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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『停滞フィールド 2020→2021』

展覧会『停滞フィールド 2020→2021』を鑑賞しての備忘録
トーキョーアーツアンドスペース本郷にて、2021年2月20日~3月21日。

トーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)のプログラムに参加経験のある作家を中心に紹介する展覧会シリーズ「ACT(Artists Contemporary TOKAS)」。フィクションに登場する、時間が停滞した領域「停滞フィールド」を冠した2020年の第2回展は、開始直後にコロナ禍のため中止となった。同展に出展した3組を再度取り上げることで、現実に「停滞フィールド」を経た展覧会としてリブートした形になった。広瀬菜々&永谷一馬の磁器によるインスタレーション(1階のSPACE A)、渡辺豪の映像2点(2階のSPACE Bと倉庫)、田中秀介の絵画19点(3階のSPACE CとSPACE D、及び2階の交流室)で構成される。

広瀬菜々&永谷一馬《Still life》
展示室の真ん中に、8メートルはありそうなテーブルが置かれ、白い天板の上に、パンやマカロニ、野菜や果物、食器や容器など様々なものを模った白い磁器が並べられている。歪んだり撓んだりしているのは、熱に反応しやすくするよう磁土を調整してあるためである。食べ物や食器が並んだ白い長いテーブルと言えば、レオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》を想起せずにはいられない。また、食べ物や食器から色が失われている点は、嗅覚など感覚を次々と奪っていく感染症パンデミックを描いた映画『パーフェクト・センス』(2011)を思わせる。映画ほどドラスティックではないとしても、少しずつ感覚(視覚や味覚)が失われていく状況を色を失った食卓(=世界)が描き出されている。そして、その先には「最後の晩餐」が待っている。ヴァニタスの「静物画(Still life)」と言えよう。

渡辺豪《自分の成分》
真っ暗な部屋の中に積み重ねられた作品の収納された函や段ボールを、カメラがゆっくりと滑らかに移動しながら映し出している。暗闇は無重力の宇宙空間のようで、無音であることがその印象を強めている。そして、明るく照らし出された函は、宇宙ステーションの構造物のよう。作品と、作品を生み出す場としてのアトリエと自宅。それらを繋ぎ合わせるためにアトリエと自宅の間の移動時間(33分49秒)を映像作品の長さに設定し、移動の際の曲がる動作をカメラの移動に反映させているという。

田中秀介
《寸前に我なし》は、キャップを被った男が手を伸ばすガラスコップの酒を描く。男の顔はコップによって完全に隠されてしまい、男の特徴を一番詳細に捉えているのはグラスに触れる右手の指だ。《空っぽ保持》ではカウンターに座る女性が空になった丼をテーブルに置く瞬間を描く。女性の背景の淡い水色の壁、女性の顔から胴へ、肩から長く誇張された腕へ、さらに手が支える大きな丼へ。左上から女性の肘を介して、画面右隅のラインとカウンターテーブルとがつくる直角三角形の重心(?)の丼へL字状に視線を強く誘導する。春画における陽物のように、意識を向ける対象が肥大化して描かれている。