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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻3年展覧会「οὐ」』

展覧会『東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻3年展覧会「οὐ」』を鑑賞しての備忘録
3331 Arts Chiyoda〔メインギャラリー〕にて、2022年1月7日~11日。

東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻3年生55人による成果発表展。

松下七菜《白雪》
佐藤達次郎が購入して昭和天皇に献上したハンガリー産の白馬「白雪」の物語を通じて近代天皇制を描く映像作品。大日本帝国憲法下で統帥権を持つ昭和天皇大元帥として閲兵する際などに白雪に騎乗した。白雪は戦時の食糧難に喘ぎながらも戦後まで生き延び、昭和天皇もまた敗戦後に人間宣言を行なって皇位に留まり天寿を全うした。御料馬・白雪は昭和天皇の換喩である。動物はかつて人間だったという神話を踏まえ、白雪は白い服を身に纏った女性が演じ、その「白雪」が昭和天皇ゆかりの地を訪ねて廻る。「白雪」の顔が白塗りにされ、そこに赤い円が描かれている。「白地に赤く日の丸染めて」国旗を表わすのはもとより、アトミック・サンシャイン(≒原子爆弾)であり、原爆投下によって統帥権の総攬者(≒大元帥)としては「死」を迎えることになったのであるから、「白雪」にとっては毒リンゴ(白雪姫)でもある。

若林彩《豆の上に眠り続ける》
闇の中、金糸などの鮮やかな刺繍や房飾りの付いた布団を何枚も重ねた上に眠る女性の顔が覗く絵画作品。ベッドの床板にエンドウ豆を隠し置いた上に布団を何枚も重ねたところに寝かされた自称「姫」が、翌朝寝心地を尋ねられて不快を訴えたことで本物の姫君と判定されたという、ハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen)の「エンドウ豆の上に寝たお姫さま(prindsessen paa ærten)」を下敷きにしている。あえて1枚の紙に出力することで、「姫」の敏感な皮膚感覚を表現している演出も心憎い。エンドウ豆が真実のメタファーであるなら、何層もの(stories)布団が重ねられた上で安眠することは、塔の上に暮らすことは地面からの遊離であり、とりわけ情報が氾濫する社会においては、真実に目を向けようとしないことの揶揄と解される。。なお、エンドウ豆と言えばメンデルの法則であり、遺伝学から姫君の血統のメタファーとも受け取れそうだが、「エンドウ豆の上に寝たお姫さま」(1835年)はメンデルの法則(1865年)に30年先行するようだ。

酒井千明《儘》
縦2.6m×横1.0mの木の枠が、桟を縦に1本横に3本入れて張られた薄い布を囲んでいる。布の周囲に塗られた漆は、タッセルで束ねられたカーテンのように見える。展示室の梁に接するように脚が設置されて自立しているため、布から透ける骨組み(桟)が両側から見ることができ、窓のイメージを高めている。縦1本・横3本の桟は明らかにマルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)の《フレッシュ・ウィドウ(Fresh Widow)》を下敷きにしていることを示すものである。ガラスが黒い皮で覆われて中が見えないデュシャンの作品に対し、《儘》ではカーテンが開かれた(タッセルで両側に束ねられた)ように表現されている。それでもまだガラスの透明感には至らない。デュシャンは「ローズ・セラヴィ(Rrose Sélavy)」という女性として《フレッシュ・ウィドウ》を発表したことを踏まえれば、闇から薄明かりへという両作品の差異や、1920年から2022年という約100年もの時間的懸隔に、性的少数者の問題に対する社会的評価の変化を見て取ることができる。あるいは《儘》が人が立ったまま入れる高さであることを踏まえれば、「飾り窓(Raamprostitutie)」の表現ともとれる。《フレッシュ・ウィドウ》のフレッシュが「肉欲」に、ローズ・セラヴィが"Eros, c'est la vie.(愛欲こそ人生)"に通じるから、なおさらである。但し、向こう側の空間を用意しない、自立し、桟の十字が強調される「窓」は、儘ならない性的欲求というよりは、その希薄化を映し出すようだ。