映画『春画先生』を鑑賞しての備忘録
2023年製作の日本映画。
114分。
監督・原作・脚本は塩田明彦。
撮影は、芦澤明子。
照明は、永田英則。
録音は、郡弘道。
美術は、安宅紀史。
装飾は、山本直輝。
スクリプターは、柳沼由加里。
衣装デザインは、小川久美子。
衣装は、白井恵。
ヘアメイクは、齋藤美幸。
編集は、佐藤崇。
音楽は、ゲイリー芦屋。
サウンドエディターは、伊東晃。
そう、あの日、私の人生にこの先、面白いことなど何ひとつ起こらないだろうと感じていたあの日、私の人生が大きく揺れ動いたのです。
珈琲と麦酒を売りにする、昭和の雰囲気漂う喫茶店フロイデ。春野弓子(北香那)がトレーで食器を下げようとして、緊急地震速報の耳障りな音がする。激しい揺れが起き、壁に掛けられていた絵画が落ちる。弓子は、傍らの席の男(内野聖陽)がテーブルの上に拡げていた浮世絵に目が留まる。着物姿の男女の陽物と火処が大きく表わされていた。呆気にとられる弓子。あなた、春画は性器を露出させて劣情を誘う猥褻なものと思っていませんか? …いいえ。春画の本当の魅力を知りたいのなら私のところに来るといい、明日にでも。男は弓子に名詞を差し出す。弓子がトレーで食器を下げる。同僚の2人が興味深げに弓子に近付いて来る。何て言ってた、春画先生は。気を付けた方がいいよ、変人で有名だから。分かってる。
春画先生、それが、あの人の綽名でした。
弓子の自宅。ベッドに腰を降ろした弓子は春画先生に渡された名刺を棄てようとして思い留まる。弓子は立ち上がり、隣の部屋の花を活けた花瓶を手にする。
翌日、気が付くと弓子は、あの名刺を手にして、記された住所を尋ね歩いていた。狭い坂道を登り、路地を抜けると、数段の石段の上に低い木の門のある、古い日本家屋に辿り着く。表札には芳賀一郎とある。一旦は階段を降りて引き返すが、芳賀の家の屋根のセキレイの声に呼び戻される。インターホンを鳴らすと、セキレイが飛び去る。弓子が踵を返したところで、玄関の引き戸をガラガラと開けて老女(白川和子)が姿を現わす。弓子が会釈する。
どうそ。老女は弓子をぞんざいに部屋に案内する。中央に大きな卓が置かれた畳敷きの部屋で、隅には和綴じの書籍などが積まれ、庭の植栽や石灯籠を望む。芳賀が慌てて現れると、卓の上に歌麿《願ひの糸ぐち》の1枚を置き、弓子に質問する。この絵には何が描かれていますか? 性器ばかりに目を取られないで。ここには多くのことが描かれている。芳賀は春画に文鎮を載せ、性器を隠す。弓子がじっくりと絵を眺める。見えてきました。弓子は女の足の指が反るのに着目する。女の人が感じている。男は間男だろうね。物音に驚いて、それでも離れたくない。着物はほんの少し汗で湿っていて纏わり付くようだ。芳賀は続いて歌麿の《歌満くら》を見せる。これはどうですか? 素晴らしいでしょう? 女の臀部の暖かさや柔らかさ。春画で一番重要なのは、この生きているという実感です。続いて芳賀は応挙の《雪松図屏風》を弓子に見せる。松に積もった雪はどうでしょう、ほろっと崩れてしまう粉雪の質感。芳賀は弓子にルーペで細部を観察させる。雪の白さは紙の白さ。周囲を描くことで雪を表わしている。再び《歌満くら》を取り出し、白い肌を観察するよう弓子に促す。応挙の《雪松図屏風》と同じことが《歌満くら》で起こっている。肝心の肌は周囲を描くことで表わしている。つまり無により有を描く。女の肌の柔らかさ、暖かさ、あるいはかすかに立ち上るその匂いすら、この無から…。弓子に触れるほど近い距離で浮かされるように語っていた芳賀は突然這いつくばって手帖を手にして、一心不乱にメモを取り始める。そんな芳賀を急に放っておかれることになった弓子が不満げに見つめる。メモを終えた芳賀が弓子に尋ねる。じゃあ次は何時にしますか? 来週の火曜あたりどうですか? 弓子は乗り気でない。君は春画を学びたいからここに来たんだろ? 月謝なら心配しなくていい。私は施しを受けるつもりはありません。芳賀は弓子の手を取り、台所に連れて行く。絹代さん、火曜日と金曜日はこの人に来てもらうことにしたから。その方が都合がいいでしょう? ろくに弓子の都合も聞かず、芳賀は家政婦の絹代に弓子を採用したことを伝える。君、名前は? 春野弓子。弓子? 芳賀は弓を引き矢を射るポーズを取る。
自宅に戻った弓子は興奮して風呂敷包みを開け、春画の分厚い画集を机の上に取り出して眺める。興奮した弓子は嬉々としてベッドに跳び込んだ。
芳賀家に出向いた弓子は、家政婦心得なる紙を目にする。服装心得として、芳賀家に仕える者は身嗜みに気をつけるべし、和装とすべしなどとあった。
和服に着替えた弓子は廊下のぞうきん掛けを始める。
昭和の風情のある喫茶店フロイデ。春野弓子(北香那)がテーブルを片付けたところで大きな地震が起こる。紳士(内野聖陽)のテーブルに置かれた浮世絵版画に描かれる男女の交合に目が留まる。春画に興味があるなら明日にでも訪ねて来なさいと紳士から名刺を渡された。年下の同僚からは「春画先生」は変人だから気を付けた方がいいと釘を刺されるが、翌日、弓子は名刺を手に春画先生こと陽芳賀一郎の屋敷を訪ねていた。セキレイの声に促され思い切ってインターホンを鳴らすと、家政婦の本郷絹代(白川和子)に日本家屋の1室に案内された。芳賀は歌麿の《願ひの糸ぐち》や《歌満くら》を見せて、視覚により刺激されるあらゆる感覚について滔滔と弁じ立てる。背中に芳賀を感じながら陶然と解説を聞いていた弓子は、突然芳賀が自らの存在を忘れたようにメモを取り出すのを歯痒く思う。手元不如意の弓子は今日限りで芳賀の指導を断ろうとするが、週2日、家政婦として働くことで授業料と相殺することを決めてしまう。弓子は嬉々として生徒兼家政婦として芳賀の下を訪れるようになる。春画とワインの夕べという初心者向けのイヴェントに参加する芳賀に、弓子は彼が7年前に死別した妻伊都(安達祐実)のドレスを着用して同伴するよう求められる。芳賀は近代化によって欧米のキリスト教的倫理が持ち込まれ、性に対する従前の大らかさが失われたと解説した。早速弓子は渓斎英泉の《古能手佳史話》に描かれた海を、外憂の予兆として読み解いてみせる。参加者から歌麿と北斎の違いを尋ねられた芳賀は、交合しながら描くのが歌麿で交合する暇を惜しんで描くのが北斎だと答える。先生はどちらですかと芳賀と弓子とを見ながら重ねて問われると、弓子はどういう意味ですかと怒るが、芳賀は博士論文執筆中、交際相手との行為中、突如閃いたアイデアを書き留めるために、相手を放ってしまったエピソードを語って聞かせる。帰りの車中、魅力的な怒った顔を誰にでも見せる必要はないと諭された弓子は、ますます芳賀に惹かれが、庭に蛍が舞うのを見せた芳賀は、弓子の肩に留まった蛍を伊都だと言って追いかけてしまう。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
「春画先生」と綽名される芳賀は、彼の弟子であり編集者の辻本(柄本佑)曰く、関わる人のリミッターを外してしまうという。春画=芳賀は、当然視されている性規範が、実は土地や時代の文化によって相対的なものに過ぎない(揺れ動く)という視点を与えてくれる装置なのだ。
春画は、性器あるいは交合だけに着目するとポルノである。だが男女の仕草に示される機微、周囲に配された景物のメタファーなどに着目すれば、豊かな物語が立ち現われてくる。そして、春画をどのように見るかは、鑑賞者の思考を露わに映し出してしまう鏡なのだ。ポルノと(のみ)捉える者は、その実、ポルノに囚われているのである。
芳賀と弓子との関係は、ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw)の『ピグマリオン(Pygmalion)』の言語学者ヒギンズと花売り娘イライザの関係にも擬えられる。だが物語は亡き妻の姉・藤村一葉(安達祐実)の登場により、さながら片身替のように趣を替える。それもまた、春画と並んで江戸情緒を添えていると言えようか。
そして、物語は急展開するのだが、芳賀は実は何も変わっていないというところがポイントだ。芳賀はあくまでも触媒であり、変わるのは弓子なのだ。これもまた、春画(芸術作品)の評価のメタファーとなっている。