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芸術鑑賞の備忘録

映画『花腐し』

映画『花腐し』を鑑賞しての備忘録
2023年製作の日本映画。
137分。
監督は、荒井晴彦
原作は、松浦寿輝の小説『花腐し』。
脚本は、荒井晴彦中野太
撮影は、川上皓市と新家子美穂。
照明は、佐藤宗史と川井稔。
録音は、深田晃。
美術は、原田恭明。
装飾は、寺尾淳。
スタイリストは、袴田知世技。
ヘアメイクは、永江三千子。
効果は、清野守。
編集は、洲崎千恵子。
音楽は、柴田奈穂と太宰百合。

 

2012年冬。海岸に男女の遺体が打ち上げられた。映画監督の桑山篤吉(吉岡睦雄)と女優の桐岡祥子(さとうほなみ)だった。
栩谷修一(綾野剛)が雪の降る中、忌中の貼り紙のある民家を訪れる。傘を畳み玄関に入ろうとするが、喪服の母親は廊下に立ったままで中に入れようとしない。どちらさま? 東京で一緒に仕事をしていました。仕事って? 映画を撮っていました。そこへ父親が現れる。何しに来た? 祥子さんの顔を拝みに。あんたらが悪いんだろ。高校卒業して女優になるって東京に行った。俺はそんなのなれるわけないって反対したんだ。あの子は女優になれたんですか? 女優でした。一緒に死んだのは監督だって聞いてる。女房と子どもはいたのか? 独身でした。心中なんてしなくて結婚すりゃあ良かった。死にたいなら1人で死ねばいいんだ。祥子に線香を上げられないと諦めた栩谷は香典を差し出すが、受け取りを拒否した父親は忙しいんだ言い捨てて母親とともに引っ込んでしまう。栩谷は玄関で手を合わせると、家を後にする。
雪の降る駅。ホームのベンチに腰を降ろした栩谷は、電車が到着すると、傘をベンチに置いたまま電車に乗り込む。
夜、モノレールを降りた栩谷が1人夜道を歩く。
斎場。祭壇には桑山の写真が飾られ、柩が置かれている。親族や関係者が通夜ぶるまいの席に着いている。栩谷が姿を見せ、両親にお悔みを述べる。栩谷さん、ごめんなさいね。祥子さんと同棲してたんでしょう。僕も何が何だか。私が撮らせてあげなかったのがいけなかったの。社長の小倉多喜子(赤座美代子)が悔やむ。
栩谷が祭壇に向かって手を合わせ、柩の桑山の顔を覗く。寺本龍彦(川瀬陽太)がグラスに注いだビールを2つ持って来て、1つを柩に置き、自分のグラスとかち合わせると、桑山に捧げたグラスを栩谷に渡す。桑山のでしょう? いいんだよ、もう飲めないんだ。どうだった祥子の葬式? 顔を見せてもらえませんでした。ひでえな。同棲してたって説明したか? 相手は桑山だと思ってますから。何年同棲してた? 6年です。長いな。
通夜ぶるまいの酒が回る。参列者は桑山と同じポルノ映画の業界人。ポルノ映画の劇場が次々閉館すること、映画撮影の機会がないことなどが話題に上がる。監督は撮ってなんぼなんだと言い張る、制作費50万の企画に乗っかる監督に、寺山が腹を立てる。撮るだけ撮らされてDVD化の収益は持って行かれる。監督は何を撮るかじゃない、何を撮らないかだ。女に食わせてもらってる奴が大口叩くな。寺本が激昂し、殴りかかる。内輪揉めを見かねた若手スタッフが、桑山さんの葬儀でしょうと悲痛な声を上げる。場は静まりかえる。ベテラン監督が栩谷の下に来て尋ねる。何で祥子は桑山と心中したんだ? ザリガニが死んだから。
栩谷が1人アーケードを抜けて帰宅する。
栩谷が祥子と暮らした部屋の窓の前には墓地が拡がる。栩谷は整然と並ぶ墓石を眺めながらタバコを一服する。ロフトに上がると、壁に貼られた祥子の写真を剥がす。チェストの中から祥子の下着を取り出し、ハンガーラックから祥子の衣類を取り外すと、袋に詰め、リヴィングに落とす。続いてリヴィングで書棚の本を取り出してく。ラジオは総選挙の結果、民主党は結党時を下回る壊滅的大敗を喫し、294議席を獲得した自由民主党が3年3ヵ月ぶりに政権に復帰したことが報じている。冷蔵庫に入っていたありものをビールで流し込むと、祥子の衣類の入った袋と小さな水槽を集積所に運び出す。ひっくり返して中の砂利を出してから、水槽を棄てた。
栩谷が歩いて所属する映画制作会社に向かう。サンタクロースの格好をした女の子が客引きをしている脇を通り抜ける。
ポルノ映画のポスターが貼られたオフィス。社長は栩谷に心中する直前、桑山から無心されたと言う。現場で必要だからって、気に留めることもなくカードを渡したの。300万も何に…。そう言えば、祥子を主役に撮りたいって。小倉は桑山が書いた脚本「くちびる」を取り出す。撮るつもりだったんですかね…。だったら心中なんてしないでしょ。タバコ1本ちょうだい。小倉は栩谷からタバコをもらって吸うが噎せる。久しぶりだからね。みんなにはだまってたけど、うちの会社も厳しいの。これ以上続けていく体力がないの。…映画じゃ食えないって気仙沼に帰った子いたでしょ。引き留めてたら津波に流されずに済んだのにね。姐さんのせいじゃないよ。
梅雨。栩谷が自室のテーブルの上で目を覚ます。
栩谷が大家のキム(マキタスポーツ)を訪れる。♪想い出はモノクローム ♪色を点けてくれ ♪もう一度そばに来て ♪はなやいで ♪美しのColor Gir。キムがギターで「君は天然色」を弾き語りする。もう少し、待ってもらえませんか。あんたんとこは長い付き合いだからね。ありがとうございます。立ち去ろうとする栩谷をキムが呼び止める。古いアパート、マンションに建て替えるんだけど、1人だけ立ち退かない、伊関っちゅう男(柄本佑)がいてね。若いの遣わしたんだけどさ。栩谷さん、どうにかしてくれないかね。何とかしてくれたら家賃いろつけるからさ、必要経費として。

 

ポルノ映画の監督・栩谷修一(綾野剛)は、女優の桐岡祥子(さとうほなみ)の家に転がり込んで6年間同棲していた。妊娠3ヶ月となった祥子に栩谷が家族は要らないと言い放って間もなく、2人が出会った雨の日に見付けて飼っていたザリガニが死んだ。流産した祥子は一度実家に顔を見せに帰ると言って家を出て、桑山篤吉(吉岡睦雄)と海に身を投げて亡くなってしまう。栩谷は祥子の実家の通夜に訪れるが、追い返される。桑山の葬儀に参列した栩谷は、祥子が心中した理由を問われるが、栩谷にも皆目見当が付かない。ザリガニが死んだからと答えるのが精一杯だった。栩谷の所属するポルノ映画制作会社社長の小倉多喜子(赤座美代子)は、心中する前、桑山から無心されたという。桑山は祥子に当て書きした脚本「くちびる」を仕上げていたが、撮るつもりなら死ななかっただろうと言う。
栩谷が大家のキム(マキタスポーツ)に家賃支払いの猶予を求めると、キムが所有する古いアパルトマンから退去しない伊関貴久(柄本佑)を立ち退かせることを条件に出した。断れない栩谷はやむを得ずアパルトマンに向かう。道すがら激しい雨に降られて栩谷は、やはり激しい雨の日に出遭った祥子を思い出す。栩谷が伊関を尋ねると、伊関はごねた後、何故か栩谷を部屋に誘う。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

6年間同棲してきた祥子を同業者の桑山――祥子に当て書きした脚本「くちびる」で映画を撮りたがっていたのは知っていた――との心中で突然失った栩谷は、桑山の葬儀で祥子がなぜ命を絶ったのか問われても分からない。むしろ栩谷こそ祥子の死の理由を教えてもらいたかった。だが、ザリガニが死んだから、とアルベール・カミュ(Albert Camus)の『異邦人(L'Étranger)』のような言葉が湧き出てきた。妊娠3ヵ月の祥子に家族は要らないと言い放ったこと、祥子との出逢いの日に拾って飼ってきたザリガニが死んだことを祥子が結び付けていたことが脳裡に蘇ったのだ。
大家キムから家賃の猶予・減免と引き換えに、古いアパルトマンに居座る伊関の立ち退きを迫るよう求められる(なお、キムが「君は天然色」の「想い出はモノクローム/色を点けてくれ/もう一度そばに来て/はなやいで/美しのColor Gir」の部分を歌唱するシーンがあるのは、本編はモノクロームだが、回想シーンはカラーで描かれることを示唆する)。栩谷は、伊関の部屋へ向かう途中、突然の大雨に降り籠められる。祥子と出遭った日、2人が濡そぼって歩いた日の記憶が蘇る。
伊関が居座る、取り壊し予定の古いアパルトマンは、過去の象徴だ。
伊関は、アルバイト先の居酒屋で知り合い交際していた祥子がたまたま舞台女優であったことから、シナリオライターを志す。だが本気で取り組めないまま、アダルトヴィデオの脚本などを書きながら過すうち、祥子の妊娠が分かった。結婚を機に堅気にになろうと決意する伊関だが、祥子は女優の道を諦めず堕ろすことに。二人の夢は絶たれたのである。だから祥子の舞台を見に行ったのを最後に2人は別れることにした。だが伊関は失った祥子の幻影を幻覚で見続けている(朽ちていく樹木に茸が生えるイメージが重ねられる)。
栩谷はポルノ映画の監督であるが、交際相手の祥子を撮らない。
桑山が当て書きしてくれた脚本を手渡された祥子は2つ返事で引き受けようとする。だが、栩谷は本を読んでから判断するよう祥子に釘を刺す。栩谷は自らポルノ映画の監督をしながら、祥子を出演させて来なかった。自らは特別な存在だと考える祥子をポルノ映画に出演させてくはなかったのだ。祥子は自らが女優として認められていないと落胆する。監督と女優という関係と恋人という関係の齟齬が生んだ悲劇である。

(以下では、結末について言及する。)

寺本の撮影の打ち上げで行ったカラオケスナックで、桑山から「くちびる」の脚本を渡され主演を依頼され即断した祥子に対し、栩谷は本を呼んでから判断しろとやんわり否定する。その後、祥子はマイクを持ち「さよならの向う側」を歌う。鑑賞者――そして、回想した栩谷は――には「約束なしのお別れです」との歌詞が刺さる。のみならず、クロージングクレジットでは続きが映し出される。栩谷がマイクを持って、祥子と一緒に歌うのだ。祥子の「歌うの?」という言葉に様々な情感が凝縮されている。二人の共作(共演)が、燐寸の火のように、束の間姿を表わす。余韻に浸っていた鑑賞者に、最後の最後で、とんでもないものをぶつけてくる。恐るべし。