可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 浅葉雅子個展

展覧会『浅葉雅子展』を鑑賞しての備忘録
コバヤシ画廊にて、2021年10月25日~11月6日。

女性や少女のモティーフに春画のイメージを重ねた絵画作品6点を中心とした、浅葉雅子の個展(別室に小画面の作品9点も展示)。

《Mam》(727mm×1000mm)は、ファッション・ブランドのショー・ウィンドウのような場所を前に佇む幼い少女を、彼女の左後ろから切り取った作品。L字の額縁として機能する壁の中に展示されているのは、脚を開いて露わにされた陰裂と恥丘の陰毛、その左右の内腿である。左右反転した《世界の起源(L'Origine du monde》(ギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet))とも言えるが、より女性器をクローズアップした構図となっている。裂溝からは右上に向かって光を放つ(あるいは何かを噴射する)ような効果線の表現と、左上と右下とに覗く襞を作る緋色の襦袢(和服)の存在とによって、春画(浮世絵)のイメージであることが明らかにされる。赤襦袢とともに、巨大な女陰に対峙する少女の赤いワンピースが、肌を強調する。ところで、少女は左手で裾を持ち上げている。紫や緑の方形の紙が粗いモザイクのようにショー・ウィンドウを覆っているため、スカートの中がガラスに映り込むことはない。しかし、この身振りは、ギリシャ語で「衣服を持ち上げる」を意味する「アナ・スロマイ」(あるいは、アナシルマ」「アナシルモス」)を模倣するものではなかろうか。それは、ギリシャ人の歴史家ヘロドトスが、エジプト旅行で目撃したブバスティスの祭礼において、女性が意図的に女性器を見せる行為に対して付与した言葉だ(C・ブラックリッジ〔藤田真利子〕『ヴァギナ 女性器の文化史』河出書房新社河出文庫〕/2011年/p.28-30参照)。

 カタルーニャのことわざがある。「女陰を見せれば海が鎮まる」。カタルーニャのこの信仰は、漁師の妻が夫を海に送りだすときに、縁起をかついで、海に向かって性器を見せるという習慣のもとになっている。この信仰の裏にあるおは、当然のことだが、女性が海におしっこをすると嵐を起こすことができるという信仰だ。さらに、伝承によれば、ヴァギナを見てなだめられるのは海だけではない。女性の性器をぱっと見せることには、ほかの自然現象を鎮める力もある。たとえば、インド南部のマドラス(現チェンナイ)地方の女性たちは、性器を見せて危険な嵐を鎮めたことで知られている。紀元1世紀の歴史家プリニウスは、『博物誌』のなかで、裸の女性が立ち向かったら、雹や竜巻や稲妻が衰え、消え失せたことを書いている。
 伝承や歴史によれば、女性がヴァギナを見せる行為は、自然の驚異を鎮める力を持つにとどまらない。多くの民族にとって、女性生殖器は強力な魔除けの力を秘めたものでもあったつまり、女性がヴァギナを見せれば、悪いことが起きるのを防ぐことができると思われていたのである。悪魔を追い払い、悪霊をしりぞけ、鬼を脅し、敵を恐れさせ、神々を威嚇する――こうした英雄的で危険な行為のすべてが、女性生殖器の力を示すものとみなされている。その結果、さまざまな文化で女性がヴァギナを見せる勇敢な行為の物語が伝えられている。(略)
 このようなヴァギナ観には驚かされるし、心をかき乱されるかもしれない。ヴァギナは自然現象を鎮めたり悪魔を追い払ったりできるんだって? 今日では、非常に異例な見方なのは確かだ。21世紀の西洋世界では、女性が性器を見せることは、力や影響力というよりは、セックスやポルノグラフィーや女性の協調的な姿勢と強く結びついている。悲しいことに、女性がヴァギナを見せるのは深いな行為と見られていて、肯定的に考えられることはめったになく、ましてや歓迎すべきだとか、自分たちを守ってくれる行為などとはみなされない。女性自身にっっても、人前でヴァギナを見せることは尊敬と敬意ではなく、恥や困惑の感情を引き起こすものとなっている。今日のヴァギナをめぐる否定的な連想に加えて、多くの文化では、女性生殖器が人目にさらされることがないように大きな努力が払われているという事実がある。現在では、裸のヴァギナにかかわる最も力のある概念は、おそらく出産だろう――ヴァギナが押し広げられ、奇跡のように赤ん坊をこの世に送りだす瞬間である。ヴァギナにとってはこの分娩の姿が、唯一「受け容れられる」公的な顔だと言ってもいいだろう。この姿なら、それほど恥も困惑も感じることなく見ることができる。(C・ブラックリッジ〔藤田真利子〕『ヴァギナ 女性器の文化史』河出書房新社河出文庫〕/2011年/p.21-23)

日本にも「アナ・スロマイ」の伝統は存在する。記紀において、天岩戸に閉じ籠もった天照大神が再び姿を見せるきっかけになったのは天宇受売命のヴァギナ・ディスプレイであった(C・ブラックリッジ〔藤田真利子〕『ヴァギナ 女性器の文化史』河出書房新社河出文庫〕/2011年/p.40-41参照)。赤い服の少女を天宇受売命に、女陰を天岩戸に見立てれば、効果線は再び放たれた陽光に擬えることができよう。

《A Woman With a Past》(1135mm×1820mm)は、狼狽えた様子の、花柄の朱色のワンピースを身につけた女性が、3人の女性に抱き留められている姿を描いた作品。ビル・ヴィオラ(Bill Viola)の映像作品《驚く者の五重奏(Quintet of the Astonished)》のような「群像劇」の登場人物の1人に焦点を当てたようなイメージと言えようか。崩れ落ちるところを支えられたように、女性は傾いだ姿勢で、土気色の顔の唇の周囲には口紅が滲んだように広がり、左側(画面右側の)女性の腕に縋る手の指先には血が付着している。彼女を抱える3人の女性たちの顔は画面上端で一部ないし全部が切れているため表情が窺えないが、彼女らの肌はくすんだ淡い緑色で表されている。なお、彼女らの膝上辺りが画面の下端となっている。画面下部、女性たちの胸から下の位置に、春画の交合場面が筆の線で描かれている。そこに淡い橙や紫などの方形の薄い紙が重ねられているのは、現代の女性群像と江戸の遊女とを接続するワームホールを狙ってのことだろうか(なお、モザイクとして機能する縞模様を施した紙も貼られている)。いずれにせよ、両者の重ね合わせの意図が鑑賞者に突きつけられる問いとなる。差し当たり、遊客にとって「歓楽境」である遊郭春画によって、遊女にとって「苦界」である妓楼を現代女性に置き換えて表現したものと解しておきたい。

 遊郭と妓楼は遊客には地上の天国・極楽・無上の歓楽境、遊女にとっては実に現実の地獄・苦海(苦界)、自力ではどうしても足のぬけない泥沼であった。
 妓楼は遊客の目を奪い、魂を虜にするため、大厦高楼に造り、内部の装飾には、唐紙の襖に金銀の彩色を施し、床・違棚には紫檀・黒檀・タガヤサンなど唐木を用い、金襴・緞子・びろうど・唐織・繻子・羅紗などを用い、髪ののものには鼈甲・珊瑚・金銀の細工を尽す。
 そういう世界で金銀を惜しまぬ放蕩者を遊び相手とするゆえ、彼女にとって失費も多く、年とともに、苦患は昔に倍増した。(略)
 (略)
 遊女は、日夜、心1つ体1つでこのバクダイな金銀を稼がねばならぬ、命限りの仕事である。女独りにとっては、これは嶮岨難儀である。客と頼む人の中にも本当に情のある人はなかなかいない。当てにならない戯れ人を相手にして稼ぐことゆえ、何かにつけて、客をだますより仕方がない。
 本来真情を売るべき遊女を無類の嘘つきへと追い込んだのは誰か。いうまでもなく、それは楼主であって、「売女〔遊女〕は悪むべきものにあらず。ただ憎むべきものは、彼亡八と唱える売女業者なり」と『世事見聞録』の著者武陽隠士は憤慨している。
 (略)
 (略)初期の郭では昼1人、夜1人の定めであったが、文化年間の頃には、「廻し」と称して、一夜に5人も10人もの客を取らせた。(略)
 遊女たちの働きが鈍ると、蔵替と称して、下等な売女屋へ売り渡す。買った売女屋は、彼女たちを徹底的に酷使し、彼女の健康など全く顧みないで、死に至るも、平然としていた。
 遊女はこのような憂き目を逃れようとするが、衣装代をはじめ、経費が倍増しているので、否応なしに、手練手管で客を騙さないではいられなかった。それに耐えられない遊女は出奔しようとして、窓を破り、屋根を伝い、土台下を潜り、堤を越え、塀を渉る。露見すると、死ぬほど折檻される。奉行所へ訴え出ても、郭を抜け出したことを叱られ、郭へ戻され、厳しく折檻された。このときの仕置きは特にはげしかった。竹べらで目をまわすまで叩かれ、手拭で猿轡をされ、手脚を縛られ、梁に吊される。これをつりつりといい、亡八自身がこれを行なう。
 この仕置をうけた遊女は、やがて外へ住み替えさせられ、年季を増され、諸雑費まで積み重ねられて、元金借金を取り立てられた。病気になっても看病されず、干し殺し同様に扱われる。遊女は耐えかねて、首を縊り、井戸へ身を投げ、舌を噛むなどして死んだ。姿態は投込寺へ投げ込まれ、無縁仏にされた。(小野武雄『吉原と島原』講談社講談社学術文庫〕/2002年/p.88-93)

《A Girl With a Past》(970mm×1455mm)には、画面の上部に横たわる女性を描き、そこに本茶臼でまぐわう男女の枕絵が重ねられている。横たわる女性像であり、なおかつ波の表現(衣装の流水模様)がある点で共通する、アレクサンドル・カバネル(Alexandre Cabanel)の《ヴィーナスの誕生(La Naissance de Vénus)》と比較してみたい。《ヴィーナスの誕生》では、ヴィーナスが目を覚ます(≒目を開く)ことで「誕生」を表現する。それに対し、《A Girl With a Past》の女性は、右腕で顔を覆うことで眠っているように表されている。また、ヴィーナスが波に乗っている(あるいは支えられている)のに対し、女性は、画面下部に空白を取ることで、宙に浮くように配されている。眠りと地を離れた配置から、《A Girl With a Past》の女性が死の表現として描かれている可能性がある。女性の身体から画面下部に向かい垂らされた絵具によって、女性の身体が溶け出すように表されていること、また、女性の衣装に表された流水と菊花との「落花流水」が、男女の相思相愛だけでなく、衰頽の意味も含み持つこともその証左となろう。