映画『遺灰は語る』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のイタリア映画。
90分。
監督・脚本は、パオロ・タビアーニ(Paolo Taviani)。
撮影は、パオロ・カルネラ(Paolo Carnera)とシモーネ・ザンパーニ(Simone Zampagni)。
美術は、エミータ・フリガート(Emita Frigato)。
衣装は、リーナ・ネルリ・タビアーニ(Lina Nerli Taviani)。
編集は、ロベルト・ペルピニャーニ(Roberto Perpignani)。
音楽は、ニコラ・ピオバーニ(Nicola Piovani)。
原題は、"Leonora addio"。
ニュース映画。スウェーデンの地図が映し出さた後、燕尾服の人々が居並ぶ映像に切り替わる。スウェーデン国王並びに数多の外交官、科学者、芸術家の臨席の下、1934年のノーベル賞授与式が挙行されました。化学賞と医学生理学賞は3人の傑出したアメリカ人科学者が受賞しました。文学賞はイタリアの劇作家ルイージ・ピランデッロが受賞しました。
ルイージ・ピランデッロが舞台を降りて客席最前列のグスタフ5世から賞を授与される。
これほど孤独と悲痛とを感じたことは無かった。甘美な栄光も苦渋の犠牲を埋め合わせはしなかった。
ドーム天井に描かれた絵画。開演前の劇場に満ちる観客のざわめき。
テーブルランプに薬瓶や缶、林檎や膿盆、グラスなどがテーブルに置かれている。美術館の展示室のような白い壁と白い床の部屋。テーブルの他に、書棚や椅子、そしてベッドが置かれている。ベッドに横たわるのはルイージ・ピランデッロである。
私の人生はもう終ったのだろうか。そんなことがあり得るのか。このように? もう終ってしまっているのか? ベッドの向かいにある白い扉から1人の少女と2人の少年が部屋に入って来る。私の子供たちだ。私に子供が生まれていたなんて衝撃だ。いつ? 昨日に違いない。昨日、私はまだ若かった。3人の子供たちは何やら話し合っている。これは夢か? いや、彼らは実際、私の子供たちだ。近付いて来る! 成長している。私に近付いて来ている。私の臨終が近いと分かっているのだ。子供たちはいつの間にか大人の姿に変わり、髪が白くなる。なぜ私の子供たちの頭に白髪が? 子供たちもどんどん年を取るのだ。子供たちに同情を禁じ得ない、そんなに年をとってしまうなんて。娘のリエッタ(Nathalie Rapti Gomez)がベッドに腰を掛ける。起き上がりたいが、もう無理だ。ルイージ・ピランデッロの右手にリエッタが両手を重ねる。
イタリア文学の巨星墜つ。ルイージ・ピランデッロの死去を伝える1936年12月10日付の新聞。笑顔で挨拶するルイージ・ピランデッロの写真。
ヴェネツィア宮殿の広大な執務室。ベニート・ムッソリーニ(Luca Ghillino)が部下たちに告げる。ルイージ・ピランデッロは黒いシャツを纏わねばならん。ファシストの葬儀として記憶されなければ。教皇庁にある諸々を全て展示するのだ。部下の一人が耳打ちする。…そうか、ノーベル賞を忘れておった、ノーベル賞のメダルもだ。
夜、執務室でムッソリーニが1人机に向かい、ルイージ・ピランデッロの遺言を読む。
葬儀は密やかに行うこと。直に布に包み、一番粗末な荷車で運び、荼毘に付すように。灰は全て撒いて何も残してはならない。もしそれが叶わないなら、骨壺をシチリアに運び、故郷の岩の中に納めるように。ムッソリーニは立ち上がると、窓ガラスに"imbecille"と指で書く。愚か者めが。
簡素な柩が台車で運ばれ、燃えさかる火葬炉の中へ。
内務大臣(Stefano Starna)が声明を読み上げる。王令1265号により、1934年7月27日付で衛生法規に基づき火葬場での焼却を承認した。作家の遺灰は遺族の希望に従いローマのヴェラーノ墓地に安置された。
遺灰はローマの墓地に留め置かれた。戦争、恐怖、野蛮、闘争の10年にわたって。
1936年、ノーベル賞作家のルイージ・ピランデッロ(声:Roberto Herlitzka)が死去した。散骨か、それが叶わなければ故郷シチリアの岩の中に納めて欲しい。彼の遺志は尊重されず、ベニート・ムッソリーニ(Luca Ghillino)のファシスト政権下で遺灰はローマのヴェラーノ墓地に安置された。10年後、ルイージ・ピランデッロの出身地アグリジェントの代議士(Fabrizio Ferracane)が遺灰を故郷に運ぶ特命を帯びてローマを訪れる。ヴェラーノ墓地で遺灰の入った壺の取り出しを見守る際、首相の肝煎りでアメリカ軍の航空機でシチリアに運搬することになったと伝えると、立会人のローマ市職員(Robert Steiner)はその実現を訝しむ。果たして特使が遺骨とともに乗り合わせたことに気付いた乗客たちが縁起が悪いと搭乗を拒否すると、機長(Ivan Giambirtone)までプロペラが故障したと言い出す。特使は遺灰の壺の入った大きな木箱とともに汽車に乗り込む羽目となった。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
死後10年間ローマの墓地に安置されていたルイージ・ピランデッロ(Luigi Pirandello)の遺灰が、故郷シチリア島のアグリジェントに改葬するために運搬される過程を描く。
冒頭でノーベル賞授賞式のニュース映画が紹介されるように、映画やニュース映画の挿入によって時代状況が説明される。死から改葬までの10年は第二次世界大戦を挟む、「戦争、恐怖、野蛮、闘争」の10年である。イタリアのパルティザンが処刑される映画や、その処刑を指揮したピエトロ・カルーゾ(Pietro Caruso)が戦後処刑されるニュース映像などが紹介される。
遺灰の運搬に当たるのは、ピランデッロと同郷の政治家である。作中に名前は出てこないが、ガスパレ・アンブロジーニ(Gaspare Ambrosini)をモデルにしている。
「アンブロジーニ」が遺灰を伴って移動するトラブル続きの道中がコミカルに描かれる。ヴェラーノ墓地で遺灰の入った壺を取り出す場面から、人夫の作業が雑で、先行きが案じられる。飛行場へ向かうジープは暴走してヒヤヒヤさせられる。やっと乗り込んだ飛行機では乗客が遺灰を縁起が悪いと忌避して、機長も出航を取りやめてしまう。汽車に乗り込むと遺灰の入った箱がいつの間にか見当たらなくなってしまう。
汽車は、戦後の混乱を生き抜く人々が幾ばくかの希望を持って場を共有する。身分を問わず雨を避けるために軒下に集まる英一蝶「夕立図」に通じるシーンだ。「アンブロジーニ」が煙草を手に眺める車外の光景は、まさに「国破れて山河あり」である。
(以下では、後半の内容についても言及する。)
アグリジェントでの葬列に際し、ピランデッロの遺灰は子供用の柩に入れられる。遺灰の入ったギリシャの壺になど祝福は与えられないと司教(Claudio Bigagli)が拒否したため、壺を柩に入れることになったが、大人用の柩が不足していたのだ。葬列を見た少女は子供が亡くなったと思う。だが亡くなったのは子供じゃないと言われて、小人の葬列だと言う。「王様は裸」なのだ。形式を重んじる大人・宗教・組織の愚かしさが、子供の視点によって炙り出される。
彫刻家(Francesco La Mantia)(レナート・マリーノ・マッツァクラティ(Renato Marino Mazzacurati)がモデル)が墓にする石を探す。山に登り、そそり立つ岩に手を当てる。人間の大きさと石の大きさと、あるいは人間の時間と石の時間とが対比される。
遺灰の一部が海に撒かれる――このシーンから映画はモノクロームからカラーへと転換する――と、そこから作家が死の直前に執筆した『釘(Il chiodo)』の物語が描かれる。『釘』の物語が終ると、映画の冒頭で映し出された劇場のドーム(の壁画)が再び映し出されるため、『釘』も――おまけではなく――本編の内容を構成していることは疑いない。
母親と引き裂かれ、父親(トゥリッドゥ)に連れられてシチリアからアメリカに渡ってから6年。バスティアネッドゥ(Matteo Pittiruti)は父とともにレストランを構えるまでになった。ところが、少女(Dora Becker)と取っ組み合いの喧嘩をしていたベティ(Dania Marino)の脳天に釘を打ち付けて殺してしまう。バスティアネッドゥは故意に(on purpose)殺害したと言い張るが、その動機は不明だった。
出所したバスティアネッドゥはベティの墓に通い続ける。
母親と引き裂かれた経験にバスティアネッドゥは釘付けにされた。商売の成功も苦渋の犠牲を埋め合わせはしなかった。ベティが背の高い少女と取っ組み会う姿は、母親が父親に息子を連れて行くなと訴える姿に重なる。少年は父親とともに母親を「殺害」してしまったのだ。少年はベティを殺害することで自らの罪を認め、ベティの墓に通うことで罪を贖い続けるようだ。
ピランデッロの遺灰は、孤独と悲痛とを感じつつたアグリジェントに留まっている。