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芸術鑑賞の備忘録

映画『名探偵ポアロ ベネチアの亡霊』

映画『名探偵ポアロ ベネチアの亡霊』を鑑賞しての備忘録
2023年製作のアメリカ映画。
103分。
監督は、ケネス・ブラナー(Kenneth Branagh)。
原作は、アガサ・クリスティ(Agatha Christie)の小説『ハロウィーン・パーティ(Hallowe'en Party)』。
脚本は、マイケル・グリーン(Michael Green)。
撮影は、ハリス・ザンバーラウコス(Haris Zambarloukos)。
美術は、ジョン・ポール・ケリー(John Paul Kelly)。
衣装は、サミー・ディファー(Sammy Sheldon)。
編集は、ルーシー・ドナルドソン(Lucy Donaldson)。
音楽は、ヒドゥル・グドナドッティル(Hildur Guðnadóttir)。
原題は、"A Haunting in Venice"。

 

1947年。ヴェネツィア。雨に濡れるサンマルコ広場。時計塔のムーア人のブロンズ像が時を告げる。広場に群れていたハトの1羽がカモメに襲われる。
エルキュール・ポアロ(Kenneth Branagh)が目を覚ます。
ゴンドラが行き交う運河。箒で清掃する修道女たち。パン屋に並ぶ人たち。賑わう市場。
運河に面した庭でポアロが植物の世話に精を出していると、ゴンドラで菓子が届けられる。
ポアロの隠棲する建物の扉の前には、相談に乗ってもらおうと多くの人々がポアロを待ち構えている。ポアロが姿を現わすと、皆が彼の後を付いていく。先頭の男(Amir El-Masry)がポアロに熱心に訴える。昨年、両親が不自然な死に方をしまして、兄も後を追うように逝ってしまって、医者は説明が付かないと…。相手にしないポアロに駆け寄る男を、建物の影にいた警固役のヴィターレポルトフォリオ(Riccardo Scamarcio)がラリアットで倒し、二度と近付くなと警告する。それでも懲りずに付き纏い、ヴィターレに運河に突き落とされる者もいる。ポアロは市場に卵を買いに出た。
庭で読書するポアロにヴィターレが告げる。友人と名乗る女性が緊急の案件でお見えです。私には友人などない。女性はそうおっしゃることを見越してこれを。ヴィターレがリンゴを取り出す。ああ作家先生か。
ポアロはアリアドニ・オリヴァー(Tina Fey)と屋上で卓を囲む。警固の非礼は許して欲しい、私の指示だ。1日2度のお楽しみ以外は誰も通すなと。これが大のお気に入りでね。ポアロがチョコレートを箱から取り出す。エルキュール・ポアロが年を取ったってトルタっておかしくもないわ。満足はしていないがね。幸せなのよ。ヴェネツィアで豪奢な遺物とともにじわじわ海に沈んでいくの、挑むことを忘れたあなたみたいに。見くびってもらっては困るわ。私は世界一の推理作家、30冊中27冊がベストセラーなの。ろくでもない評論家に近作3作品を罵られたけれどね。ご一緒してもらわないといけないわ、人生を蘇らせるために。緊急の案件で来たの。魅惑的な事件で誘惑しようとするのはあなただけではありませんよ。これほど素晴らしい事件はないわ。本当に世間と隔絶してるのね。今日が何の日か知らないなんて。
アリアドニに連れられ、ポアロがヴィターレを伴って街を行く。狭い通りに仮装した子供たちが溢れている。私たちアメリカ人が持ち込んだのは、喧しい音楽と不味いチョコレート、それにハロウィーン。子供たちのためのパーティー。不可解な事があって。あらゆる角度から検討してみたけど理解できないのよ。街角のベンチに腰を降ろし、アリアドニがポアロに新聞の切り抜きを見せる。レイノルズ夫人(Michelle Yeoh)っていう霊能力者。霊媒師よ。記事によると、ジョイス・レイノルズは最近釈放された、1735年の魔術法で収監された最後の女性らしいわ。霊能力者を名乗る人には数多く会ってきたけど、インチキばかりだった。でもレイノルズ夫人には驚いた。降霊の場面に出会したの。世界最高峰の知性を誇るこの私にさえ見抜けなかったわ。だから世界で二番目に優秀な名探偵ポアロに手口を見抜いてもらいたいの。孤児院の子供たちのためのハロウィーン・パーティが行われた後に催される降霊会に招待されてるから。
夜空に花火が打ち上がる。アリアドニ、ポアロ、ヴィターレがゴンドラに揺られて降霊会が行われる古い建物に向かう。

 

1947年。ハロウィーンヴェネツィアに隠棲するエルキュール・ポアロ(Kenneth Branagh)を旧友で推理作家のアリアドニ・オリヴァー(Tina Fey)が訪ねる。アリアドニは、ジョイス・レイノルズ(Michelle Yeoh)が本当の霊媒か見抜いて欲しいと言って、オペラ歌手ロウィーナ・ドレイク(Kelly Reilly)が催す降霊会にポアロを連れ出す。ロウィーナは、1年前の娘アリシア・ドレイク(Rowan Robinson)の転落死をきっかけにオペラ歌手を引退し、娘との再開を痛切に願っていた。警固のヴィターレポルトフォリオ(Riccardo Scamarcio)を伴いポアロが向かったのは、孤児院の来歴を持つ古い建物だった。降霊会の前に孤児を招いたハロウィーン・パーティーが行われ、その冒頭、建物には疫病の流行時に遺棄された子供たちの霊が取り憑き、医師や看護師を取り殺すとの幻灯が演じられた。子供たちが賑やかにパーティーに興じる中、霊媒レイノルズ夫人が助手のデズデモーナ・ホランド(Emma Laird)を伴って現われる。あまりに多くの魂が声を上げていると言うレイノルズ夫人に、魂や神が存在するなら2つの大戦の惨禍も避けられたとポアロ霊媒を否定する。そのとき天井からシャンデリアが落ちるアクシデントに見舞われた。幸い事無きを得て、ハロウィーン・パーティーは終了する。レイノルズ夫人はアリシアの部屋を降霊会の場所に選ぶ。ロウィーナ、アリアドニ、ポアロ、ヴィターレの他、ドレイク家の家政婦オルガ・セミノフ(Camille Cottin)、アリシアの婚約者だったシェフのマキシム・ジェラード(Kyle Allen)、ドレイク家の主治医レスリー・フェリエ博士(Jamie Dornan)、フェリエ医師を支える息子レオポルド(Jude Hill)も参加した。レイノルズ夫人がアリシアの霊に問いかけると、傍らのタイプライターが"Yes"を意味する"Y"を打つ。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

ロウィーナは、娘アリシアの霊と交信するために、著名な霊媒であるレイノルズ夫人による降霊会を催す。その会場は、ロウィーナ所有の建物で、1年前に病んだ娘は自室のバルコニーから運河に転落死した。老朽化した建物は、かつての孤児院で、疫病が流行した際、幽閉された孤児たちが悲惨な死を遂げたことが、孤児を招いて行われるハロウィーン・パーティーの幻灯で説明される。孤児の霊は医師や看護師を取り殺すと言う。
推理作家のアリアドニは、レイノルズ夫人の霊媒としての能力は本物としか思えないと訴え、旧知のポアロに降霊会に参加して霊媒師のトリックを見破ってみせて欲しいと依頼する。
レイノルズ夫人はアリシアの霊を呼び寄せ、語りかける。すると、タイプライターが応えるように文字を打ち出す。驚愕する参加者たち。だがポアロは冷静に状況を判断し、霊媒のトリックを見破る。
だがポアロ霊媒のトリックを見抜いたところからこそ、レイノルズ夫人の真骨頂が発揮される。レイノルズ夫人にアリシアが乗り移り、お前が殺したと叫び声を上げる。タイプライターには"M"の文字が。それは果たして自殺(Suicide)ではなく殺人("M"urder)を意味するのか、それとも…。
降霊会の終了後、死者が出る。ポアロは誰も屋敷から出ないようヴィターレに指示し、屋敷は密室となる。
ヴェネツィアの仮面、ハロウィーンの仮装、孤児院としての来歴を持つ建物、アリシアの転落死した建物。おどろおどろしいイメージが畳み掛ける。さらには、霊や霊媒をはっきり否定するポアロがいつしか霊を目撃するようになる。鑑賞者はポアロとともに取り憑かれた屋敷(haunted mansion)に閉じ込められるのだ。
探偵もまた、被害者=死者の声を事後的に再現して見せる点では、霊媒に等しい。ポアロとレイノルズ夫人との差は死者の声をいかに提示するかという手法の選択に過ぎない。
映画『マジック・イン・ムーンライト(Magic in the Moonlight)』(2014)、映画『プラネタリウム(Planetarium)』(2016)、映画『ブライズ・スピリット 夫をシェアしたくはありません!(Blithe Spirit)』(2020)を始め、近年においても霊媒ないし降霊会を描いた作品は少なくない。映画『ブラック・フォン(The Black Phone)』(2021)、映画『ラストナイト・イン・ソーホー(Last Night In Soho)』(2021)なども死者との交信を描く映画と言える。そもそも映画――より広く物語――とは、時を隔てて失われた声を再現して見せるもの、死者の声を聞くものなのだと言っては元も子もないだろうか。映画を愛する者は、およそ取り憑かれているのである。