展覧会『RADICAL OBSERVERS』を鑑賞しての備忘録
アキバタマビ21にて、2018年12月8日~2019年1月14日。
菅実花、平澤勇輝、盛田渓太、Bitna JANG、Long JIN、Vincent RUIJTERSの6名の作家を紹介する企画。キュレーションは三宅敦大。
展示は2室で行われている。201では、盛田渓太の自然と人工の境界をめぐるインスタレーション《outside》、Bitna JANGの陶土を用いたインスタレーション《場所・時間・私》、Long JINの磁場により砂鉄がつくる表情を見せる《黙する大地》と《溢れる》、平澤勇輝の木彫動物《マッコウ》、《コマッコウ》、《ひなたぼっこ》、《おめかし》が、202では、菅実花の映像作品《Making of Do Lovedolls Dream of Babies?》及び写真シリーズ《The Silent Woman》と《The Future Mother》、Vincent RUIJTERSの風によるコミュニケーションを探る体験型作品《Wind Memoir》が展示されている。
菅実花の作品について。
菅実花は妊娠するラブドール(擬似的な性行為を行うための女性型愛玩人形)をテーマに《Do Lovedolls Dream of Babies?》と題したアートプロジェクトを展開している。なお、このタイトルは、生殖不能であるアンドロイドを描いたフィリップ・K・ディック(Philip K. Dick)の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?(Do Androids Dream of Electric Sheep?)』に擬えられたもの。
本展では、ウルビーノのヴィーナスよろしく横たわった全身像を写した《The Future Mother 14》、顔や背中脚など身体の様々な部分をクローズアップして撮影した《The Silent Woman》の8点、さらに《The Future Mother》などの制作・撮影過程を紹介する映像作品《Making of Do Lovedolls Dream of Babies?》が出陳されている。
ピグマリオンのガラテア(オウィディウス『変身物語』)や、エウォルド卿のハダリー(ヴィリエ・ド・リラダン『未来のイヴ』)の系譜に連なるラブドールには、愛情を注ぎこむ対象としての理想の姿あるいは美が追及される。のみならず、リアリティもまた必要とされる。映像作品《Making of Do Lovedolls Dream of Babies?》で言及される通り、生身の女性がなくそうとしているくすみや陰毛がラブドールではわざわざ再現(加工)されるのだ。なお、《The Silent Woman》では、一見すると生身の女性を被写体とするかのようだが、継ぎ目や埃などをあえて写し込み、修正を加えないことで、人形としての特性を浮き彫りにしている。
ところで、ラブドールのリアリティを究極まで突き詰めれば、老化や妊娠に至るかもしれない。しかしながら、それらは、ラブドールに永遠の美を求めるときには両立しえない。美が不変のものならば老化しないし、老化しないのならばリプロダクションの必要も生じないからだ。
もっとも、人間がラブドールとの愛の結晶として子を設けることを望むなら、妊娠・出産が求められることになる。それはサイエンス・フィクションに過ぎないであろうか。
だが、ラブドールの妊娠を、生身の女性との直接の交渉を介さないで子をつくることに置き換えるとどうだろう。卵子の提供を受け、人工受精し、代理出産を行えば技術的には可能な行為となる。そして、ヒトゲノムの解析、遺伝子の改変、人工子宮などといった技術が発達すれば、ラブドールの妊娠もまた可能となるかもしれない。だが、そのときには人間は既にデータに還元されてサイバースペースを漂っているだろう。