可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『子どものための建築と空間展』

展覧会『子どものための建築と空間展』を鑑賞しての備忘録
パナソニック 汐留ミュージアムにて、2019年1月12日~3月24日。

教育・保育の近現代史を建築を軸にたどる企画。

時代順に6つのセクションから構成される。明治(「Ⅰ 子どもの場の夜明け」)、大正(「Ⅱ 子どもの世界の発見」)、昭和モダン(「インターミッション 戦争前夜に咲いた花」)、戦後復興・高度成長期(「Ⅲ 新しい時代の到来、子どもたちの夢の世界を築く」)、安定成長期(「Ⅳ おしゃべり、いたずら、探検―多様化と個性化の時代」)、バブル景気以後(Ⅴ「今、そしてこれからの子どもたちへ」)。

 

「Ⅰ 子どもの場の夜明け 明治時代」は、1872年の学制公布により、全国で25,000の小学校が設立されたところからスタート。建設費が国民負担であったため寺子屋や寺院を転用して開学する例もあったようだ。初期の建築はバルコニーや塔屋を備えた「擬洋風」、明治中頃には唐破風の屋根や高塀の「御殿風」が流行したという。1891年に小学校設備準則が、1895年には学校建築図説明及設計大要が公布されると、長くそのプランが学校建築に採用され続けた。

幻灯機(マジックランタン)は17世紀半ばにヨーロッパで普及、日本には18世紀に伝えられ、明治時代には興行だけでなく地理・歴史・修身の視覚教材として利用されたらしい。
唖鈴、球竿、棍棒という体操の補助具(?)は、歌川国利《学校体操運動図》に利用法が図解されている。様々な衣装を身に着けた子ども達が手にとり体操する姿は群舞に近い。
1876年には保育書『幼稚園』が翻訳公刊され、日本初の幼稚園として東京女子師範学校附属幼稚園が開園。フリードリヒ・フレーベルの唱えた保育法をドイツ人女性松野クララ主席保母の下で実践。フレーベルが考案した恩物(Spielgabe)の実物や解説動画も合わせて紹介されている。
1903年の第5回内国勧業博覧会ではメリーゴーランドが初お目見えし、ウォーターシュートも話題になった。1906年には同文館が上野でこども博覧会を開催し、図書・衣服・調度・食品・玩具・児童絵画・児童文学が紹介された。

 

「Ⅱ 子どもの世界の発見 大正時代」では、世界的な教育改革の動きである「新教育運動」と大正デモクラシーの風潮との中で生まれた「大正自由教育」の実例を紹介。また、『赤い鳥』をはじめとする児童雑誌が登場するなど、子どもをターゲットとする市場が形成されていったこと、1923年の関東大震災を機に東京・横浜に鉄筋コンクリート造の震災復興校舎が建設され、学び舎が防災・避難施設としての性格を併せ持つようになったことも合わせて紹介される。
1917年大正自由教育運動を実践する成城学園が、澤柳政太郞(義務教育6年制に貢献)により創立される。パーカスト女子創案のダルトン・プランを採用。なお、成城高等女学校に娘を入学させた富本憲吉は同校の卒業記念のブローチを作成している。
1921年、「全く新しい家庭的友情的気分の中に」教育を行う女学校として自由学園が創設される。全校生徒が集まり、皆で温かい食事をとることを教育の基本とするため、校舎(現在の自由学園明日館)は食堂を中心として設計された。自由学園では山本鼎(自由画提唱者)や木村荘八を招聘して美術教育にも力を入れていた。
鈴木三重吉の『赤い鳥』は児童文学・児童音楽に大きな影響を与えた。中流家庭における読み聞かせなど。
羽仁もと子・羽仁吉一夫妻の婦人之友社が発刊した雑誌『子供之友』は、北澤楽天を絵画主任に、竹久夢二武井武雄村山知義らが筆を振るった。
1909年第1回児童博覧会が三越呉服店で開催され、巌谷小波編・杉浦非水画の豪華な育児アルバム『賢母必携「子寶」』が限定出版された。

復興建築である本町尋常高等小学校の校舎(1927年)の玄関やスロープの装飾は、アール・デコらしきデザインとなっている。
1919年に都市計画法で児童遊園の区分ができ、日比谷公園(日本の様式庭園の先駆)内にも児童遊園が開設された。現在のプレイリーダーに当たる公園児童指導員に、末田ますが着任。

 

「インターミッション 戦争前夜に咲いた花」では、西脇尋常高等小学校、明倫尋常高等小学校、慶應義塾幼稚舎、高野口尋常高等小学校といった校舎建築と、『キンダーブック』、『コドモノヒカリ』、『少年倶楽部』などの雑誌を紹介。


「Ⅲ 新しい時代の到来、子どもたちの夢の世界を築く 1950-1970」では、1947年の教育基本法・学校教育法(義務教育6・3制化)・児童福祉法(保育の二元化)の制定に始まる戦後の動向を紹介。経済的混乱の中、戦災復興、新制中学の整備、児童数増加などに対応するための学校建築が求められた。
八幡浜市立日土小学校(八幡浜市役所職員・松村正恒の設計。1956年中校舎、1958年東校舎)は戦後の木造建築として初めて重要文化財に指定された、現役の校舎。校舎が面する川に迫り出す二階ベランダが魅力的。
ゆかり文化幼稚園(丹下健三)はヴォールトの連続がつくる蜂の巣のような形状が特徴的な建物。南斜面の敷地の勾配を利用し、園児の成長とともに園内の活動範囲が広がるように設計されているという。
井上靖が日本で一番美しい詩と童話の雑誌を目指して創刊した『きりん』には、吉原治良須田剋太脇田和田中敦子元永定正らが表紙絵などで参加。

 

「Ⅳ おしゃべり、いたずら、探検―多様化と個性化の時代 1971- 1985」では、柔軟に教育活動を展開できるよう間仕切りのないオープン・スペースや多目的ホールを持ったオープン・スクールが求めれるようになった時代の学校建築を紹介。
宮代町立笠原小学校(象設計集団)は柱や壁の色使い(赤やピンク)や、地面から建物を持ち上げた部分や飛び出した部分、柱に刻まれた平仮名など、ユニークで印象深い。
黒石ほるぷ子ども館(菊竹清訓)はりんごの花を臨む子どものための図書館。中2階のような部分も楽しそう。
タコすべり台(前田屋外美術株式会社)は、1950年代に公団住宅内のプレイロットに設置された「石の山」に、タコの頭をつけて単体の遊具としたものだという。
モエレ沼公園にあるイサム・ノグチのよるプレイマウンテンはスケールが大きい。

 

「Ⅴ 今、そしてこれからの子どもたちへ 1987-」では、地域性を打ち出した学校建築などが紹介されている。木造建築の再評価も進んでいるという。
道の持つ生活空間や社交場としての役割に着目する「とうきょうご近所みちあそびプロジェクト」の紹介で、1960年代以来「遊戯道路」なる取り組みが行われているのを初めて知った。
空き家を利用した「ただの遊び場 ゴジョーメ」内に設置された「遊び人以外登れない壁」、「やりたい放題ウォール」、「今日は一人にさせてください」スペースが楽しそう。

 

量的整備+画一化、質的整備+個性化といった時代ごと建築動向をつかむことができる。また、学校建築には教育理念が色濃く反省されていることも改めて認識できた。
建築に関するパネル展示(解説+写真)が主だが、建築模型や建築図面、什器(椅子など)、雑誌、玩具などもあわせて展示されている。
『子どものための建築と空間展』というタイトルからは、どんな企画なのかよく分からなかった。実際に展示を見て、「教育・保育の近現代史を建築を軸にたどる企画」だということが分かった。建築にそれほど関心がなくとも、少しでも教育に関心がある人なら十二分に楽しめる企画であること請け合いである。