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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち』

展覧会『ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち』を鑑賞して
の備忘録

パナソニック留美術館にて、2019年4月6日~6月23日。

ギュスターヴ・モロー美術館所蔵のギュスターヴ・モロー(1826~1898)
の絵画69点を4つのセクションで紹介する企画。

 

「第1章 モローが愛した女たち」
ジョリス・カルル・ユイスマンスが「パリの真ん中に閉じこもった神秘主義者」と評したギュスターヴ・モローは、社交界やジャーナリズムと距離を置いて母ポーリーヌと自宅に引きこもった生活を送った。冒頭には油彩の自画像《24歳の自画像》(ネクタイとシャツの色は作家自ら後年に加筆)が掲げられるとともに、母の肖像(鉛筆画)や母に宛てた作品解説のメモ書き(自作解題)などが、続いて、生涯の伴侶であったアレクサンドリーヌ・デュルーの肖像画が並べられている。《雲の上を歩く翼のあるアレクサンドリーヌ・デュルーとギュスターヴ・モロー》は3頭身で描かれた2人の愛らしい戯画で、睦まじい仲を思い起こさせ微笑ましい。《パルクと死の天使》はアレクサンドリーヌに先立たれた直後に描かれた作品。日が沈み星が瞬き始めた荒野を、馬上で剣を押し立てた死の天使と、その前を手綱を手にうなだれたアトロポス(冥府に属する3人の運命の女神の1人)が歩む。喪失感にうちひしがれるなか、制作に打ち込む決心を表した作品という。

「第2章 《出現》とサロメ
母親である王妃ヘロデヤに唆され、ヘロデ王に踊りの褒美として洗礼者ヨハネの首を所望したというサロメの物語。その図像化は6世紀に遡り、盆に載せられたヨハネの首、踊り子としてのサロメなどが描かれてきた。19世紀末にファム・ファタルとしてのサロメのイメージを定着させたのが、1876年のサロンに出展されたモローの油彩《ヘロデ王の前で踊るサロメ》と水彩《出現》(オルセー美術館)であった。本展には、《ヘロデ王の前で踊るサロメ》と対になる予定であった油彩の《出現》が紹介されている。青い衣を纏いながら、ネックレスやブレスレット、ベルト以外、ほとんど白い裸身を晒したサロメが、血を滴らせながら浮遊する輝くヨハネの首に対し、左手を突き付けるように向ける。この対決場面だけでもインパクトがあるが、この作品に特異な印象を加えるのは、曖昧に描かれた宮殿の内部に、緻密な線描で柱などの装飾が浮き立つように上から重ねられていることだ。異なる時間がレイヤーとなって、1つの空間に合わさるかのように、幻想的な世界を立ち上げている。サロメヨハネの描かれた作品を中心に、構想画やスケッチを合わせて展示し、《出現》が誕生した背景を紹介する。サロメを輝く白い裸身に焦点を当てた《サロメ》(出品番号34)、廃墟あるいは時空の異なる世界を感じさせる未完の習作(?)の《サロメ》(出品番号17)が魅力的。

「第3章 宿命の女たち」
白鳥に変身したゼウスによって誘惑されたスパルタ王テュンダレオスの妃レダトロイアの王子パリスによって掠奪されたスパルタ王メネラオスの妃ヘレネ、放蕩で知られるローマ皇帝クラウディウスの妃メッサリーナ、獅子の軀と鷲の翼を持つ女性スフィンクス、美しい姿と歌声で船乗りを遭難させるセイレーンなど、魅惑的な女性を主題とした作品を紹介。《エウロペの誘拐》は、ゼウスの変身した雄牛の頭部のみ姿を変えずにゼウスの顔を描き、そのゼウスが振り返って妖艶なエウロペと視線を交わす場面を描く強いインパクトを持つ作品。《トロイアの城壁に立つヘレネ》は下絵であるために粗いタッチで描かれ、ヘレネの顔も描き込まれていない。そのことでかえって城や石垣、あるいは積み重なる死体の現実感が薄れて象徴性が高まり、トロイア戦争の発端となった美貌の力の強度が表現されているように感じられる。《バテシバ》(出品番号54)はイスラエルダヴィデが水浴するバテシバに欲情して手籠めにしたという物語(高師直塩冶高貞の妻との物語とそっくり)。前景のバテシバに対しダヴィデはかなり離れた位置にいる。屋根のないベランダのような場所で水浴をしているが、夕刻で裸身を見づらいだろう。逢魔が時の演出を優先したのであろうか。《クレオパトラ》(出品番号59)はクレオパトラの横たわる前景から奥へ向かって立ち並ぶ柱がつくる空間が、ファンタスティックな世界を生み出している。

「第4章 《一角獣》と純潔の乙女」
一角獣は貞節の象徴とされ、純潔の乙女にだけ従順になるという。モローが描いた、女性に抱かれた一角獣を中心に構成。《妖精とグリフォン》(出品番号66)に描かれる洞窟は、異界やパラレル・ワールドの舞台装置として有効に機能している。

 

本展では、習作、未完成作が多く並ぶが、それらの作品はギュスターヴ・モローの魅力を高めているとまでは言わなくても、うまく伝えているように感じた。