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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『クリムト展 ウィーンと日本 1900』

展覧会『クリムト展 ウィーンと日本 1900』を鑑賞しての備忘録
東京都美術館にて、2019年4月23日~7月10日。

グスタフ・クリムト(1862~1918)の作品約50点(油彩27点)を中心に、同時代のウィーンで活動した画家たちの作品や、彼らが影響を受けた日本の美術品などを合わせ、総数100点超の作品を8つのテーマに分け、クリムトの画業を紹介する企画。

 

ロビー階は「1. クリムトとその家族」(全9点。クリムトの写真1点・油彩《ヘレーネ・クリムトの肖像》)、「2. 修業時代と劇場装飾」(21点。クリムトの油彩9点、鉛筆1点、チョーク3点)、「3. 私生活」(全10点。クリムトの油彩《草叢の前の少女》・鉛筆1点・書簡)、「4. ウィーンと日本 1900」(全17点。クリムトの油彩《女ともだち》
・油彩《赤子(ゆりかご)》・パステル1点)で構成。

クリムトの油彩《草叢の前の少女》(No.38。3に展示)の女性は、キーラ・ナイトレイが演じるシドニー=ガブリエル・コレット(1873~1954)(映画『コレット』)を髣髴とさせる。ウィーンとパリで場所は異なるもののほぼ同時代。なお、《草叢の前の少女》のモデルはマリア・ウチッカー(1880~1928)との説があるが、クリムトは自分好みに顔を描き直すそうで、確定はできないとのこと。

クリムトの油彩《女ともだち》(No.49。4に展示)は、125×42cmという柱絵(浮世絵)の影響を感じさせる縦長の画面に、黒い衣装をまとった2人の女性を描いたもの。上部に描かれた、画面の外へ視線を送る2人の白い顔が、黒い画面で引き立つ。

クリムトの油彩《赤子(ゆりかご)》(No.61。4に展示)は、正方形の画面の上部に赤ん坊の顔を描き、ここを頂点とした様々なデザインの布の山が描かれた作品。足の側の低い力から赤ん坊の顔を見るときの視界をデフォルメして描いているのだろうが、赤ん坊の顔が高い位置にあるようにも見える。クリムトは、人物を下から見上げる構図を、最晩年まで好んだようだ。

 

1階は「5. ウィーン分離派」(全17点。クリムトの油彩《ヌーダ・ヴェリダス》・油彩《ユディトⅠ》・油彩《鬼火》・リトグラフ1点・色鉛筆1点・チョーク1点・赤い表紙のスケッチブック・《ベートーヴェン・フリーズ》の原寸大複製)と「6. 風景画」(全8点。クリムト油彩4点)で構成。

クリムトの油彩《ヌーダ・ヴェリタス》(No.62。5に展示)は、右手に鏡を持つ正面を向いたヌードの9頭身の女性。足もとに絡みつく蛇と、パステル画のような印象の水流を思わせる青い線のうねり、さらに植物を思わせる線が背景に描き込まれる。この作品が描かれた当時、クリムトは、保守的なウィーン造形芸術家協会(キュンストラーハウス)から脱退した若い芸術家たちによって結成されたウィーン分離派の初代会長におさまっていた。不快な真実を排除・拒絶しようとする態度を象徴的に描いたハンス・ザックスの戯曲『真実夫人を誰も泊めようとしない』にインスピレーションを受け、クリムトは、大衆に迎合せず真実を志向することを主題に制作したという。その主題を明確にすべく、244×56.5cmの作品の上部4分の1を用いて、フリードリヒ・シラー(Friedrich Schiller)の言葉を引用している。"KANNST DU NICHT ALLEN GEFALLEN DURCH DEINE THAT UND DEIN KUNSTWERK, MACH ES WENIGEN RECHT; VIELEN GEFALLEN IST SCHLIMM."(汝の行為と芸術を全ての人に好んでもらえないのなら、それを少数者に対して行なえ。多数者に好んでもらうのは悪なり」。

クリムトの油彩《ユディトⅠ》(No.63。5に展示)は、アッシリア軍に包囲された町ベトゥリアの若き未亡人ユディトが、夜陰に乗じてアッシリア軍の陣地に向かい、敵将ホロフェルネスを誘惑して酔いつぶし、剣で首を切り落としたという物語を題材とする。ホロフェルネスの首を手にするユディトは恍惚とした表情で鑑賞者に向けて微笑む。ギュスターヴ・モローサロメに通じるファム・ファタルの図像。ファム・ファタルと男性の切断された頭部との組み合わせは、オーラル・セックス(クンニリングス)の表象と捉えてしまう(口のみの使用。映画『ドント・ウォーリー』も参照されたい)。なお、本作品の背景の装飾は、ニネヴェ宮殿のレリーフを手本としたものだという。

「5. ウィーン分離派」では、分離派会館で開催された第14回ウィーン分離派展「ベートーヴェン展」に出展されたクリムトの壁画《ベートーヴェン・フリーズ》の原寸大複製(No.73)を設置したコーナーが設けられている。幸福への憧れを象徴する精霊から始まり、跪く男女(「弱い人間の苦悩」を表す)と黄金の騎士、ゴルゴン3姉妹や悪の化身テュフォンなど「敵対する力」が描かれ、楽器を奏でる女性(「詩情」。幸福への憧れが目指すもの)を経て、「諸芸術」に導かれ、天使が「歓喜の歌」を合唱する楽園の世界で大団円。ラスト・シーンはもとより、「敵対する力」が魅力的。悪の化身テュフォンは、日本の妖怪に通じる滑稽味を感じさせるのが良い。会場のこの一角だけベートーヴェン交響曲を流しているのだが、不要だろう。なお、この展覧会の契機となった
マックス・クリンガーベートーヴェンのブロンズ像(但し、後に制作された縮小版。No.77)と当時の分離派会館の模型(No.76)、ヨーゼフ・ホフマンによる扉飾りのレリーフ(復元。No.75)、アルフレート・ロラー作のポスター(No.71)も合わせて紹介されている。

クリムトの油彩《家畜小屋の雌牛》(No.87。6に展示)はジョヴァンニ・セガンティーニの《2人の母》の影響を、同じくクリムトの《丘の見える庭の風景》(No.93。6に展示)は広重の《木曽街道六拾九次之内 三渡野》の影響を受けているとの指摘が興味深い。

 

2階は「7. 肖像画」(全8点。クリムトの油彩《オイゲニア・プリマフェージの肖像》・油彩《白い服の女》、鉛筆3点)と、「Chapter 8. 生命の円環」(クリムトの作品13点。油彩5点、チョーク2点、鉛筆6点)で構成。

クリムトの油彩《オイゲニア・プリマフェージの肖像》(No.103。7に展示)は、黄色い絨毯と壁とを背景に赤と緑とを組み合わせたドレスの女性の正面向きの立像が描かれる。右上の隅に「鳳凰」(それらしく見えないが)をはじめ、東洋の工芸品(陶磁器や七宝)から着想したと想定される模様や配色が特徴。東洋における吉祥のモティーフの理解はどれくらい有していたのだろうか。容貌はモデルに近づける努力をしている
のだろうが、豊富な色に満ちた画面からは、色彩の実験にこそ関心がありそうだ。

クリムトの油彩《白い服の女》(No.104。7に展示)は、斜め横向きの女性を正方形の画面の左上から右下への対角線の左側に描き、右の黒い背景と強いコントラストをなしている。漆器の片身替を思わせる構図。

クリムトの油彩《《医学》のための習作》(No.105。8に展示)では、下から見上げた女性象が印象的に配される。この作品は、大学の講堂の天井画のために製作されたシリーズの1点であるが、「医学」をテーマにした本作では、浮遊する若い女性が、骸骨を伴う、「病」を象徴する人物に腕を引っぱられるなど、医学を手放しに讃仰するものとはほど遠い。そこが良い。

クリムトの油彩《女の三世代》(No.119。8に展示)における女性をとりまく背景(友人の解剖学者ミール・ツッカーカンドルの講義で観た組織学的標本のイメージを用いているという)とその重ね方などにパッチワークのような、服飾的感覚が看取され、黒を基調とした画面の中で華やかに浮き立つ。母が首を90度横に倒して、腕に抱いた子供の頭に触れている姿、そしてその姿は、その脇で真横を向いて、首を前に倒した老女の姿と相似を成している。

 

クリムトの作品を鑑賞する良い機会だが、ウィーンについても日本についてもあるいは1900年における両者の関係についてもクリアに見えてくるものはなく、「ウィーンと日本 1900」という副題はミスリーディングだろう。