可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 酒井みのり個展『つらつらとしない毎日のこと』

展覧会『画廊からの発言 新世代への視点2020 酒井みのり展「つらつらとしない毎日のこと」』を鑑賞しての備忘録
藍画廊にて、2020年7月27日~8月8日。

酒井みのりの作品展。

メインヴィジュアルに採用されている《まるい洗濯ネット》は、横長の画面の上部3分の1に木目を消した木版で赤をベタ塗りし、その下に濃紺のリトグラフで洗濯ネットのごく緩やかにカーブを描く縁と網目とを表したもの。朱と濃紺との明暗の鮮烈な対比、両者の間に生じた空隙の白、ゴム部分(円弧)の一筆書きのような強い描線と、そのはみ出し部分の筆の払いのイメージなどが、鑑賞者に強く迫る。波の立つ茫洋とした大海原の果てが地球の丸みを伝えるようにごく緩やかな弧を描き、紺碧の水面が夕空の朱に映える。単色(黒ないし青)ではあるが靴下の口ゴムを描いた《くつ下のはき口》や、後述のアボカドを描いた《食べごろに見えるアボカド》などの作品と同様、作者はクローズアップと拡大とによって日常に異化効果を齎すのだ。17世紀の科学者ロバート・フックがレンズの力で世界の異貌を鮮やかに示して見せた『ミクログラフィア』にも通じよう。フックの図像が顕微鏡を通じて読者をミクロな世界に導いたように、作者の図像は鑑賞者の汚れた目玉を洗濯ネットに入れて洗ってしまうのだ。

《赤いネットに入ったみかん、ぎっしり》はタイトル通り赤いネットに入ったみかんを描いた絵画作品。橙や黄や青みを帯びた多様なみかんがすべて1つのネットの中に包み込まれている。これは日常世界のあらゆるものがデジタル・データとしてネット空間に格納されている現実を表したものだろう。あるいは、"Black Lives Matter"が世界を席巻する現在を思えば、みかんを人に見立て、様々な肌(=外観)を持つ人間が、それぞれの立場を主張しながらも(網がみかんに密着しているために、それぞれのみかんの形がぼこぼこと浮き出ている)、1つの世界で生きていく他無い(=1つの網にとらわれている)現実を表現したものとも言えそうだ。

《食べごろに見えるアボカド》は、ギャラリーの壁の高さに収まりきらず床に少々垂らす形で展示された紙面に描かれた、巨大なアボカドの図。熟れた色をアクリル絵具の赤の上に重ねられた鉛筆の黒で表すとともに、でこぼことした地面の上に置いた紙で鉛筆を擦るように走らせることで、果皮の粒状感を再現している。ところで、洗濯ネットや靴下の口、洗濯ネットやみかんのネットの網、ワンピースに至るまで、展示作品に共通するのは「穴」である。それならば熟したアボカドの赤黒いイメージはそれ自体が巨大な穴であり、アニッシュ・カプーアのインスタレーション《L'Origine du monde》にも擬えられよう。そのとき、熟した果実は「世界の起源」である女性器を表す極めてエロティックな作品へと変貌を遂げる。複数の紙を継ぎ合わせ、しかも床に垂れ下がらせた支持体は、シーツである。カプーアが本歌取りしたギュスターヴ・クールベの同名作品において、足を開き下腹部を晒した裸体の女性を白いシーツが取り巻いているからである。《くつ下のはき口》は靴下の口ゴム部をクローズアップした作品であるが、対である靴下の一方であること、なおかつ靴下(仏語:chaussette)が女性名詞であることを考えると、クールベへの連想は強ち誤りとも言えないだろう。作家が手に入れた古着をアクリル絵具で原寸よりも大きく描いた《赤いワンピース》と《花柄のワンピース》に描かれる花が種子植物生殖器官であると言い張るのは、さすがにこじつけが過ぎようが。