展覧会『悉皆-風の時代の継承者たち-』を鑑賞しての備忘録
日本橋高島屋S.C.本館6階美術画廊にて、2021年8月4日~17日。
美術品コレクションをはじめ、髙島屋にまつわる物事物事をモティーフとした作品の制作依頼を引き受けた29名の作家の作品を展観する、高島屋創業190年記念企画。
束芋の《富士》と《蓬莱山》とは、2枚1組の作品で、横山大観が《蓬莱山》(1949)に描いた、画面左奥で背後から光を放つ「蓬莱山」と、画面左手前から右手中景に向かって連なる険しい峰とにそれぞれ取材している。両作品とも大まかに蓬莱山と切り立つ峰をなぞってはいるものの、裸の女性の身体として描かれている。《富士》には脚を開いた下半身が描かれているため、マルセル・デュシャンの「遺作」(《(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ》)を思い出さずにはいられない。脚は皮膚に覆われた形状だが、太腿の上部あたりから腹部にかけては血管だけをまるで透視したように表わしている。ドローイングのようなモノクロームの画面の中で、子宮で丸まっている胎児だけが着彩され、女性の脚や血管は胎児を目立たせる効果線の機能が付与されているようでもある。束芋の《蓬莱山》は、脚を持ち上げて寝そべっているような女性の全身像である。産婦人科の検診台に載せられた身体をイメージさせる姿勢と言える。ドローイング調で右腕や両脚、頭部などの血管が表わされ、頭部は、右耳の描き込みから、《富士》に描かれた胎児を仰ぎ見る角度であることが分かる。「『命を生み出さなかった』私の身体が妊婦の身体を仰ぎ見る」(作者コメント)構図である(2画面のため、その配置になるように調整して展示されている)。臓器や乳首には色が差されている。大観の《蓬莱山》における峰からの落水(滝)が、腰の辺りに表わされている。臓器や乳首には色が差されているため、墨絵のような「落水」の流れの白さが際立つ。卵子と結合することのない精液の流れかもしれない。
田中信行《-Orga-》は、吉原治良の「円相」作品に取材した、黒漆による乾漆像。正対しても円の形には見えない。横から見るとお椀型の乳房のような形である。吉原が描いた円ないしその筆触よりも、それによって穿たれた空間部分を模したと思われる。描線によって描かれない穴が「描かれる」という反転そのものを、穴すなわち凹を乾漆像という凸による表現で提示している。題名の"Orga"も、"orgasm"を介して、その語源であるギリシャ語"ὀργασμός"が表わす「膨張」(=凸)と共鳴するだろう。そして、漆黒の「穴」は、アニッシュ・カプーアの「穴」へ、さらにはその「穴」はタイトル《L'Origine du monde》を介してギュスターヴ・クールベの同名作品へと通じている。ここで膝を打たざるを得ない。束芋の《富士》の右隣にこの作品が置かれていたのは、《-Orga-》が「胎内めぐり」の入口であり、《富士》の女性の子宮で生まれ代わるためであったのだ。