展覧会『画廊からの発言 新世代への視点2022 大渕花波展「おばけのミラージュ」』を鑑賞しての備忘録
Gallery Qにて、2022年7月25日~8月6日。
名画を素材に、見えないことにされている額縁を「おばけ」としてフィーチャーする作品を制作している大渕花波の個展。全10点。
「おばけのプラクティス」シリーズは、名画(の主要部分)を模写した画布を木枠に張らずにハトメを付けて壁に打ち付け、額縁だけを直方体状に構成組んだものを画面の中央に空けた穴に設置した作品群。装飾的な額縁が絵画と不可分のものとして展示されながら、鑑賞時に気にされることがほとんどなく、カタログなど図版においてもカットされることが通常である。従って、額縁は見えるのに恰も存在しない「おばけ」と言い表せる。その「おばけ」を作品の主題として画面の外側から中央へ持ち込んで出現させ、逆に画面を「おばけ」の額縁にするというように、主客を転倒させる。
例えば、《おばけのプラクティス #27》(652mm×720mm×50mm)は、地面に両手を付けて水面に映る自らの像に対し、目を閉じて半ば口を開き顔を近づけようとしているナルキッソスの姿を描いた、カラヴァッジョ(Caravaggio)の《ナルキッソス(Narciso)》を引用した作品。ナルキッソスの背中より上と水面のナルキッソスの顔など画面下部がカットされるとともに、ナルキッソスの下半身の部分に穴が空けられて金色の額縁(を直方体に構成したもの)が設置されている。ナルキッソスが見て恍惚となるべき対象である水面のナルキッソスの顔の映像を省くことで、ナルキッソスが存在しない対象に入れ込む構造が示される。すなわち、ナルキッソスは存在しない「おばけ」にうっとりするのである。そして、代わりに画面の周囲を飾りながら存在しないことにされている「おばけ」(=額縁)が画面に導入され、額縁が絵画の主題を乗っ取った恰好となる。
また、《おばけのプラクティス #40》(630mm×950mm×90mm)は、波の上に白い裸身を横たえるヴィーナスと彼女を祝福する幼児姿の天使が描かれるアレクサンドル・カバネル(Alexandre Cabanel)の《ヴィーナスの誕生》を下敷きにしている。原作は、天使たちが鑑賞者に対して視線を向けることのない一方、ヴィーナスは額に当てた右手の陰から親密そうな笑みを浮かべて鑑賞者を見詰め、鑑賞者の視線をヴィーナスの姿態へと誘う。本作では、飛翔する天使たちのいる画面上部はほとんどカットされ、2人の下半身と1人の顔が覗くのみである。画面下部はヴィーナスの長い髪が漂う部分より下で、画面右側はヴィーナスが伸ばす左腕の肘の辺りより先で、画面左側はヴィーナルの左脚の脹ら脛から先で、それぞれ切り取られ、ヴィーナスがクローズアップされる形になっている。画面の中央に空けられた穴は、ヴィーナスの白く柔らかそうな身体の、仰向けに近い胸部と、捻られて鑑賞者の側に向けられた腹部から大腿部にかけてとを根刮ぎ奪い去る。代わりに、金色の額縁(を直方体に構成したもの)が挿入されている。「おばけ」(=額縁)がヴィーナスの身体に成り代わるとともに、額縁が閉ざすことで作る溝は(原作では示されていなかった)女性の器官に対する想像を掻き立てもしている。
《おばけのミラージュ #1》(2090mm×2320mm×100mm)は、ディエゴ・ベラスケス(Diego Velázquez)の《ラス・メニーナス(Las meninas)》として知られる《フェリペ4世の家族(La familia de Felipe IV)》を下敷きにした作品。画面奥の壁に掛けられた《アラクネの寓話》と《ミダスの審判》より上、マルガリータ王女のスカートの裾より下、矮人マリ=バルボラより右、ベラスケスの向かう絵画(裏向き)の木枠の右端より左は、いずれもカットされている。そして、画面の中央には絵画の額縁が描かれ、さらに額縁の中の白い部分には穴が空けられて、金色の額縁(を直方体に構成したもの)が設置されている。そのために絵画の中心的なモティーフであるマルガリータ王女の顔はもとより、2人の王妃付き女官(マリア・アグルティーナとイサベルデ・ベラスコ)の顔、尼僧姿の女官と2人の廷臣の姿、鏡に映ったフェリペ4世と王妃マリアナは画面から見えなくなっている。本作が「おばけのプラクティス」ではなく「おばけのミラージュ」という別のシリーズ名が付されているのは、画面に空けられた穴に設置された額縁(の直方体)に加え、その額縁と機能する額縁が作品に描き込まれているためと考えられる。なぜ額縁が二重に採用されたのであろうか。《フェリペ4世の家族》における国王夫妻の二重肖像の性格を反映してのことではないか。
登場人物のうち、マルガリータ、画家をも含めた6人の視線は私たち鑑者の側の1点に注がれている。恭しい彼らのポーズや作法もそうだが、鏡に映った漠たるイメージからも、それが国王と王妃マリアナに対しての反応であることが理解されよう。他方、この圧縮されたかのようなバロック的空間をルネサンス的な透視図法で把握すれば、その消失点は扉にたたずむ光景の男性〔引用者註:奥の階段上に姿を見せる王妃付き装飾頭で王室配室係のホセ・ニエト・ベラスケス〕の右腕の上あたりに帰着する。つまり、消失点に対応するはずの制作者の視点は、映った鏡のその正面に位置しているはずの国王夫妻よりもさらに右寄りに位置し、両者の地点は同一のものとは言えない。ベラスケスの鏡の用法は、そのヒントとなったヤン・ファン・エイク(1395頃-1441年)の《アルノルフィーニ夫妻の肖像》のような、15世紀ネーデルラント絵画で見られる視覚世界の厳密で忠実な再現を目的としてはおらず、空間を深めるトリック的効果と共に、フェリペ4世とマリアナを二重肖像として象徴的に提示するために用いられたと考えるべきであろう。言いかえれば、太い黒枠取りの鏡の画像は第1に肖像画の性格を備え、また2人が、他の登場人物と同じ舞台の延長上に立っていることを鑑者に深く印象づける、二重の使命を帯びているのである。しかしそこには2人が他の登場人物とは別格の存在という封建的ヒエラルキーも垣間見える。(大髙保二郞『ベラスケス 宮廷のなかの革命者』岩波書店〔岩波新書〕/2018年/p.212-213)
《フェリペ4世の家族》の画面の外側(手前側)に存在する国王夫妻が鏡に映ることで、鏡像は「肖像画」として機能するとともに、鏡に映る国王夫妻の実在が示される。《おばけのミラージュ #1》に描かれた額縁は「肖像画」であり、その中に挿入された金色の額縁は肖像主そのものと考えられるのである。ベラスケスが国王夫妻の鏡像を暈かして描いている点に、蜃気楼ないし幻影を表わす「ミラージュ(mirage)」という言葉との親和性も認められる。