展覧会『柘植萌華「ドロップ」』を鑑賞しての備忘録
Bambinart Galleryにて、2021年4月3日~18日。
柘植萌華の絵画13点を紹介する企画。
《知らん顔》は河岸の草地に立つ蝋燭を描く。草地の先には川が流れ、対岸にはコンクリートの堤防や階段、東屋などが見え、その奥にはビル群がぼうっと姿をのぞかせている。画面中央に立つ蝋燭の下からは濃い影が延びるが、影は黒では無く濃い緑色で表されている。夏ではない。灰色を基調にまとめられた対岸の風景が霞むことから春であろう。濃い影は日が高いことを示す。白昼。それにも拘わらず、蝋燭の焔がはっきりと描かれている。昼行灯ならぬ昼蝋燭にならぬよう、蝋燭の炎が鑑賞者を焚き付ける。作品を読み解けと。
《風景#8》は、植木の葉がのぞく塀の前に立つ電柱を画面中央に捉えた作品。電柱の側面や塀のタイルは青空を映しているのか、青みがかっている。目を引くのは電柱に取り付けられた、折り曲げられた黄色や緑の輪っかだ。電柱から浮いているのか、影が電柱の表面に映っている。ドア・ノッカーのように輪っかを手にして電柱を叩くよう誘うようだ。誰を呼び出すのか。
《風景#5》は暗い空間の中で明るく浮かび上がるクリーム色の聖母像(?)。目を閉じ、わずかに口を開く(drop (open))。赤紫やオレンジで描かれた影が表情が作っている。星の輝きを表すような形が赤と緑とで首元に描き込まれ(闇の奥に反射している)、涙(tear"drop")か光か、いずれによせ画面を引き締める効果を生んでいる。
《そこから歩いていった》は三方を塀で囲まれた砂場(あるいは池)があり、茶色の猫を腕で前に抱えた人物が画面手前に向かって歩いて行く作品。人物の俯く顔に呼応するようなぐったりした猫。人物の身につける長袖のTシャツ(?)の明るい白は、周囲の明るい地面と溶け合っている。画面に対して塀(の下端)や砂場(?)が斜めに描かれていることが画面中央にほぼ垂直に描かれた人物によって強調され、動きが生まれている。人物の背後の影もやや右にズレて表され、恰も人物の動きを表す効果線のように働いている。そのことに気が付くと、ぐったりしているはずの猫が、実は人物の左手前への動きを促す重りのような役割を果たしていることが分かる。
《朝食》には、ヨーロッパの偉人の肖像画が2枚掛かった壁の前のテーブルにミルクボウル、水のペットボト、グラス、ニンニク(?)、ティッシュペーパーの箱が置かれている。肖像画やテーブルの焦げ茶、壁面のタイル(あるいは壁紙)の茶やオレンジによって画面が統一され、ペットボトルのキャップ青が差し色として機能している。テーブルが狭く、「朝食(breakfast)」をタイトルに冠しながら、2枚の肖像画が画面に占める割合が大きい。食事は肖像画の人物への捧げ物なのかもしれない。彼らは長い時間を隔て、断食(fast)を破る(break)ことになる。
《無題#2》は、橋梁か高架の下、あるいはトンネルの内部の壁面を描いている。画面下部には歩道があることを示すようにオレンジと白のラバーポールが1本立っていて、作品のアクセントになっている。左から強い光が斜めに射し込み、白い壁面に描かれたタグが浮かび上がる。射し込む光は二叉に別れていて、タグを照らさない方には、重力源を異にする、人の脚を表すような影が映り込んでいる。この空間は、マウリッツ・エッシャーの《相対性》のような世界への入り口へと通じているのかもしれない。
《無題#9》は、柵や建物や青空を映した球体を中央に配した作品。鏡面の球体であろうか。もっとも、周囲には鏡面が取り込むべき風景は存在せず、鼠色の空間が広がる中、分散した光のスペクトラムが5つほど浮いている。「球体」の内部が現実の世界であり、球体の周囲に広がるのが「現実界」であろう。外部は虚構であり、灰色の流動体で表される空無が広がるばかりである。スペクトラムが表すのは、外部への期待感の残像だ。
《風景#20》は清冽な流れの上に差し出された両手の上に載せられた小さな円形の鏡を描いている。そこには鼻と口が映っている。作者により描かれた作品を見る(=解釈する)ことは、結局は鑑賞者の姿を映し出すことになる。作者はメッセージを送っ(drop a line)ていたのだ。一筆(a line)ではなく限りない筆触(millions of lines)によって。