可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 橋本晶子個展『I saw it, it was yours.』

展覧会『橋本晶子「I saw it, it was yours.」』を鑑賞しての備忘録
ギャラリー小柳にて、2021年9月11日~10月30日。

鉛筆で描いた写実的な絵画を中心とした、橋本晶子の個展。

《Curtain》は、5枚のトレーシング・ペーパーを継ぎ合わせて、ギャラリーの1つの壁面を全て覆ってしまうほどの画面を作り、閉じられたカーテンを鉛筆で描いた作品。トレーシング・ペーパーは、天井の際から設置されているが、壁面のみでは収まらず、床にまで垂らされている。描かれたカーテンの大きさは、作品に向かって右側の壁面にある展示室の窓(遮蔽されている)と高さがほぼ揃えられている。「カーテン」の中央のやや高い位置には、トレーシング・ペーパー越しに、壁面にテープ1枚で貼り付けた絵画が透けている。その絵画には、画面手前から奥に向かって伸びる道を繁茂する草木が左右から挟み、奥に向かって空が開けている光景が表される。絵画はしばしば窓に擬えられるように、道を描いた絵画は、壁面に「眺望」をもたらす「窓」となりうる。しかしながら、画面を留めるテープの描き込みが、露悪的に眺望が「画餅」であることを訴える。のみならず、テープで留められたイメージ(絵画ないし写真)の絵画であることが、紙(余白)とそれを留める本物のテープの存在により強調される。他方、カーテンを描いた「絵画」は、絵画を遮蔽する機能を現実に果たしていることが印象づけられる。ところが、白い壁面に擬態するトレーシング・ペーパーは、床面にまではみ出すことで、支持体としての存在を主張する。やはりカーテン自体も「画餅」に過ぎず、遮蔽機能はトレーシング・ペーパーこそが果たしていたことを明るみに出すのだ。本作は、絵画がイメージでありフィクションであることと、絵画が物質でありノンフィクションであることとの間を、鑑賞者に往還させる装置となっている。

《View》は、茂みの中にある清水の流れ込む小さな池をモティーフとした絵画を中心とする作品。鉛筆により写真のように精緻に描き込まれるのは池畔のみではない。そのイメージを4隅で留めるテープまでも写実的に表されている。その絵画を描いた紙が、壁面に4隅のテープで貼り付けられている。本作品を特徴付けるのは、この絵画の左右に設置された2枚の紙である。紙は、絵画自体のサイズの数倍の大きさがあり、何も描かれていない。右手の紙は、絵画の脇に設置され、絵画の額縁として機能していると言えなくもない。作品の保護としては一切役に立ちそうにないが、その左側に絵画があることの目印にはなるからである。額縁が絵画自体に干渉しないことが望ましいとすれば、白い壁面に擬態する白紙ほどふさわしいものはないとも言える。他方、左手の紙は、絵画の左側を覆い隠してしまっている。作品の保護には資するだろうが、これでは作品自体を見ることが叶わなくなってしまう。だが、左側の紙には絵画を隠す以外の役割を見出せそうにはないため、それが作者の狙いということになる。改めて絵画を眺めると、そのモティーフは池畔の光景であった。池=水面は「鏡」であり、「鏡」とは絵画のメタファーである。それならば、池の周囲に繁茂する樹木は、モティーフを枠付けるとともに覆い隠す、額縁やカヴァーということになるだろう。すなわち、2枚の紙は、絵画の描き出す世界を鑑賞者に追体験させるべく、アナロジーを介して絵画の内部へと没入させる装置として機能することが目論まれていたのである。作品の右側から眺めることで作品の隠された部分を鑑賞できるように、紙をわずかに浮く形で設置していることや、照明によって鑑賞者の影を作品に映し出そうとしていることがその証左である。

《To the sea》は、崖や防波堤(?)によって枠付けられた海岸を描いた絵画をマット付きで額装したものを描いた絵画。画面を3分割するように縦2箇所に折り目が入れられている。画面の左右が手前側に迫り出す形は、鑑賞者を包むように設置される三連祭壇画のイメージを引き寄せる働きを持つ。それと同時に、画面の奥行きを強調する3次元作品とも言える。海岸、海岸の絵画、海岸の絵画の絵画という3つの景観と相俟って、3という数字を作品に共鳴させている。