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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『ミュシャ展 運命の女たち』

展覧会『ミュシャ展 運命の女たち』を鑑賞しての備忘録
そごう美術館にて、2019年11月23日~12月25日。

アルフォオンス・ミュシャ(1860-1939)の描いたポスター、装飾パネル、油彩画、素描などを、チマル・コレクションからの約150点で紹介。「運命の女たち」の副題通り、出展作品の約8割は女性を描いた作品が占める。時代順に配列された、第1章「幼少期 芸術のはじまり」(参考作品を含め計14点)、第2章「パリ 人生の絶頂期」(参考作品含め計92点)、第3章「アメリカ 新たなる道の発見」(計7点)、第4章「故郷への帰還と祖国に捧げた作品群」(計37点)の4章で構成。

第1章「幼少期 芸術のはじまり」では主に初期の素描を紹介。姉妹(異母姉のアントニエ、妹のアンナと妹アンゲリカ)ら女性に囲まれて過ごしたことがミュシャの家族の写真(1880年)で示される。初恋の女性ユリア・フィアロヴァー(愛称ユリンカ)をモデルに制作された、「J」の文字を中心に花々で構成された、アヴァンギャルドなデザイン画《J》(1874年)が印象的。暗い画面の中で妖精たちの頭部の輝きが強調された素描《水の精たち》(1882年)、アパートから通りを幼馴染みの女性テレザ・トラプルを描いた素描(1882、1883年)、ミュンヘンのアパートから向かいのパン屋や通りの露店を撮影した俯瞰構図の写真(1887年)なども紹介されている。

本展の中核をなす第2章「パリ 人生の絶頂期」は、前半では挿絵画家として評判を得た『おばあさんのお話』(ドイツ、スペイン、北欧、ロシアのお伽噺を集めた本)(1892年)の挿絵原画6点などを、中盤ではパリでの恋人ベルト・ド・ラランドの肖像(写真など)などを、後半では名声を博すことになった女優サラ・ベルナール出演作品のポスターなどが紹介される。クリスマス休暇で印刷所にただ一人残っていたミュシャが担当することになったサラ・ベルナールのポスター《ジスモンダ》(1894年)。縦長の画面に描かれたサラ・ベルナールは手にした棕櫚の葉で「SARAH」の文字を覆ってしまうレイアウト。名が売れている大女優だからこそ可能な大胆なデザインだろう。商品のポスターでも、シガレットの広告《ジョブ》(1896年)ではやはり商品名「JOB」の「O」が女性の頭部に隠れてしまっている。後の自転車店の広告《ウェイヴァリー自転車》(1898年)では自転車はほとんど女性とそのスカートに隠れ、ハンドルしか描かれない。また、サラ・ベルナールの舞台《メディア》(1898年)のポスターでは「SARAH BERNARDT」を縦書きにレイアウトすることで、青ざめた表情から手にしたナイフ、そして足下に仰向けに倒れる女性へと視線を動かされることになる。先の《ジョブ》でもシガレットの火からギザギザに立ち上る煙と、女性の緩やかにカーブする髪が垂れる様とが対をなして動きを生んでいる。舞台《悲劇の物語デンマーク王子ハムレット》(1899年)の足下の、納棺を髣髴とさせるオフィーリアの像や、舞台《トレンザッチオ》(1896年)の、コマの外にキャラクターを描くマンガのメタ的な手法に通じる、デザインされた枠をつかむドラゴン(?)なども興味深い。連作装飾パネル《芸術:詩》では思索に耽るような腰掛けた女性を横からとらえた構図で描き、背景には大きく輝く星を配する。詩をいかに表象してデザインに落とし込むかは悩ましい問題だったのではないか。『おばあさんのお話』の挿絵《ジャック》ではナイフを呑み込もうとする男と向かいに座り身を乗り出すようにして驚く双頭の男の姿に、ティム・バートン監督の映画『ビッグ・フィッシュ』(2003年)を連想した。挿絵原画《奇術師》(1892年)などを含め、挿絵(原画)に見られるミュシャカリカチュア的な表現も面白い。

ミュシャは《スラヴ叙事詩》制作のため資金を集めるため渡米した。第3章「アメリカ 新たなる道の発見」では、写真《ドイツ劇場の絵画《悲劇》のためのモデル、ライシェル(ニューヨーク)》(1908年)のインパクトが強い。

第4章「故郷への帰還と祖国に捧げた作品群」では、初恋のユリンカを描いた素描《イヴェンチッツェの思い出》(1903年)が印象に残る。20代前半で早世したユリンカの姿は故郷つ強く結びついていたようだ。本展のメイン・ヴィジュアルに採用されているチェコスロバキアの独立10周年を記念した「スラブ叙事詩展」のポスター(1928年)のモデルは娘のヤロスラヴァがモデル、また《スラヴ叙事詩》制作のパトロンとなったチャールズ・R・クレインの娘がポスター《スラヴィア保険会社》(1907年)のモデルとなっている。