可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 東尾文華展『爛々』

展覧会『画廊からの発言 新世代への視点2023 東尾文華展「爛々」』を鑑賞しての備忘録
ギャルリー東京ユマニテにて、2023年7月24日~8月5日。

東洋的なモティーフとサイケデリックなスタイルとを融合させた版画を制作する東尾文華を紹介する企画。

《視線が出会う》(550mm×550mm)は、朱のインクで木目を刷った正方形の中央に正円が空けられ、金髪の女性がそばかすのある顔だけを覗かせている。僅かに開かれた口が呆気に取られた様を表現している。瞳は、円の中に僅かに見える背景と同じエメラルドグリーンで、彼女を囲む朱と強いコントラストを成している。彼女の出会う視線はどこにあるのか。それは、朱の枠が表現するものだろう。出会った瞬間、視線を送る相手は彼女にだけ視線を奪われたのである。
《その時心臓が歌い出した》(550mm×550mm)は、《視線が出会う》と対になる作品で、目を閉じている点だけが異なる。彼女は胸の高鳴りを感じているのだ。版画の複数性を活かし、彼女の一瞬の心の動きを、見開いた目から閉じた目への変化で表現して見せている。

《君とどこまでも飛んでゆけそう》(Φ900mm)は、カールしたヴォリュームのあるお団子を2つ作った髪の女性が見上げる様子を見下ろす角度で空色の円形画面に表わした作品(同じモティーフで背景をクリーム色にした《君へと向かうのさ》(Φ900mm)もある)。力強い眉毛、そばかすのある顔は顎が画面の上部右寄りに位置して、彼女は逆様になっている。お団子ヘアは赤紫にオレンジを差し、右側のお団子の方が大きく表わされかつ、円から食み出す。白い服は肩口までしか見えないが、左手が左の側頭部に持ち上げられ、肘が円形の画面から飛び出している。「倒立(逆様)」と「飛び出し(食み出し)」がポイントだ。「倒立」によって、爆発するカールした髪はロケットが発射時にあげる炎や白い煙(水)となり、白い服が雲を、顔や肘が文字通り「飛び出し」たロケットのイメージを引き寄せるのである。膝を抱えてしゃがみ込んだ女性を見下ろす形で描いた《もう、ここでお別れならば》(Φ400mm)が併せて展示されることで、正立の安定感に対する倒立の浮遊感が強調されている。その他、大小の円形作品を壁面に散らしてインスタレーションを構成している。
インスタレーションを構成する円形作品の一種である《味わうごとく季節を呼び起こす》(Φ600mm?)は、花を組み合わせた服を纏い、盆栽の松のような髪をした女性の肖像。左腕を折り曲げ、右手の親指を咥えている様を円形画面に表わしている。背景に紫、ショッキング・ピンク、蛍光の黄を配した3種がある。そばかすの女性――作家の作品に共通する――は西洋人風だが、鉢植えの松や花は和風である。背景の色味はサイケデリックな印象を生んでいる。
《綻ぶまま彼方へ》(872mm×3360mm》は、波打つ青の背景に豊かな長い髪を持つ4人の裸体女性を配した作品と、それと同じ作品を180度傾けて接続することで、左右対称の1枚の作品に仕立てている。肌の色の異なる女性たちは、それぞれ異なるデザインが施された黒髪が流れとなって連なっている。アール・ヌーヴォー、とりわけアルフォンス・ミュシャ(Alfons Mucha)を連想させる(女性群像の点ではグスタフ・クリムト(Gustav Klimt)だろうか)。
2019年に開催された『みんなのミュシャ』展では、1963年、ロンドンで行われたミュシャの回顧展をきっかけに、英米カウンターカルチャーの中でミュシャ様式が流行することになったと紹介されていた。

 日本でようやくミュシャに再び関心が集まり始める〔引用者註:1960年代末〕より少し前、北米の音楽シーンでは奇妙な現象が起きていた。それはロックミュージックを中心とするレコードジャケットやポスターにおけるミュシャの復興である。その背景にはサイケデリックアートの隆盛があった。サイケデリックとは、(略)60年代後半の北米でドラッグカルチャーとも結びついた音楽やアートの運動である。ペイズリー模様が象徴する曲線がドラッグによるトランス状態の恍惚感を想起するとされた。それがミュシャの流線の髪やアール・ヌーヴォーの装飾に感じとれたのである。それはまるで明治期、アール・ヌーヴォーが「ぐるぐる」と身も蓋もなく形容されたのと同じ受け止め方だが、同時にサイケデリックアートやレコードのジャケットなどに「ミュシャ様式」が頻出する。(大塚英志ミュシャから少女まんがへ 幻の画家・一条成美と明治のアール・ヌーヴォーKADOKAWA〔角川新書〕/2019/p.348)

ミュシャサイケデリックとは相性が良いのである。そこに東洋的なモティーフを加えたのが作家だ。その典型的な作品が《空の方へと》(1800mm×900mm)である。
カーリーヘアの女性が煙のような流体に抱きついて恍惚としたいる。その流体には沢山の顔を始め、毛皮や孔雀の羽らしきものなど、数々のイメージが組み込まれている。あるいは、流体は龍であり、龍に抱かれて女性は昇天する(エクスタシーに達する)のである。サイケデリック棟方志功とも評せようか。