展覧会『モダンデザインが結ぶ暮らしの夢展』(後期)を鑑賞しての備忘録
パナソニック汐留美術館にて、2020年1月11日~2月11日(前期)、2月13日~3月22日(後期)。
欧米のモダンデザインの日本への導入と、日本の建築や意匠からの近代性の発見とを、ブルーノ・タウト、井上房一郎、アントニン&ノエミ・レーモンド、剣持勇、ジョージ・ナカシマ、イサム・ノグチの業績を通して紹介する企画。
「第1章 ブルーノ・タウトと井上房一郎たち:「ミラテス」を中心に」
ジードルング(集合住宅)などを手がけた建築家ブルーノ・タウトは、「田園・工場・仕事場の共同体」を夢見る都市計画家でもあった。ドイツの政情不安から1933年に来日し、仙台の商工省工芸指導所の嘱託として招かれた後、高崎に移って井上房一郎の会社で工芸デザインを行った。タウトは、寓居「洗心亭」での工芸デザインと著述に傾注したの日々を「建築家の休日」と自嘲している。井上は、山本鼎の勧めでパリで文化を学び、アール・デコの洗礼を受けた人物。帰国後、郷土高崎に産業を興そうとして、タウトを紹介された。井上は軽井沢と銀材に家具工芸店「ミラテス」(「布地を見る」を意味するラテン語adomiror tissuに由来)を開店した。タウトのデザインした《竹皮編み裁縫箱》や《伸縮自在本立》、《ペーパーナイフ》や《卵殻螺鈿角形シガレット入れ》といった製品に加え、デザイン画、「ミラテス」の看板や包装紙などを紹介。『画帖-桂離宮』や、軸装されたタウトの手紙、タウトの東大での講演を筆記した立原道造のノートなども展示されている。タウトの手がけた旧日向別邸(洋間の壁のワインレッドの壁や波状にかかる電球の列からはタウトの愛した達磨市の雰囲気が感じられるという)については椅子やテーブルとともに映像での紹介もある。
「第2章 アントニン&ノエミ・レーモンド」
チェコ出身のアメリカ人建築家アントニン・レーモンドと、その妻でフランス出身のインテリア・デザイナーのノエミ・レーモンド。笄町自邸で撮影された二人の姿通り、仲睦まじく協働作業を行った。井上房一郎邸や新スタジオ(建物の中心に聳えるコンクリート製の暖炉を大黒柱代わりにしている)などの代表作を設計図や映像で紹介するとともに、ノエミ・レーモンドが手がけた机や椅子などが並べられている。アントニン・レーモンドの陶芸や絵画作品も展示されている。夫妻は、三田平凡寺(がらくた宗の主宰)という畸人との交流もあったという。
「第3章 剣持勇の「ジャパニーズ・モダン」」
商工省工芸指導所でブルーノ・タウトから指導を受けた剣持勇は、国策のため機能と効率性を追求する傍ら、愛する民具を衒いなくインテリア・デザインに取り入れることで、日本趣味に止まらない「ジャパニーズ・モダン」を提唱するに至る。ヤクルトの容器のデザインでも知られる。大相撲力士柏戸に因んだ名前を持つ《柏戸椅子T-7165》や職人が10時間ぶっ通しで編み上げる籐製の《丸椅子C-316》が良い。石元泰博の撮影した、赤ん坊の乗った丸椅子の写真が印象に残る。
「第4章 ジョージ・ナカシマと讃岐民具連」
日系二世アメリカ人のジョージ・ナカシマは、レーモンド建築事務所に勤めた後、家具作りに転向した。木は単なる素材ではなく自然の一部である霊的存在だという信念のもと、コノイドスタジオ(建物の貝殻を伏せたような屋根から「コノイド(=シェル構造)」と命名)から家具を世に送り出した。《コノイドベンチ》や《フリーフォーム・センターテーブル》など、素材の形が活かされたゆったりとした作風。
「第5章 イサム・ノグチの「萬來舎」とあかり」
彫刻から庭園、家具と幅広く作品を手がけたイサム・ノグチの仕事の中から、父・米次郎が教授を務めた慶應義塾大学に谷口吉郎が設計した萬來舎に関するものと、、岐阜提灯を照明彫刻へと発展させたあかりシリーズとを紹介する。もともと内部に光源を持つルナー彫刻を制作していたノグチは、岐阜で提灯を目にし、ルナー彫刻を和紙と竹による照明彫刻へと発展させた。AKARIは軽み(LIGHT)に通じ、明かりは「日+月」であることがあかりシリーズの命名の理由だという。
ブルーノ・タウトが「田園・工場・仕事場の共同体」を夢見ていたことに絡めた、宮沢賢治の羅須地人協会や立原道造の芸術家コロニイ、竹久夢二の榛名山美術研究所などへの言及、丹下健三の建築への壁画の導入に対する疑義(とりわけ都庁舎の岡本太郎作品)、モダンデザインに伝統を託す背景にある失われた民衆の仮構(なお、三浦雅士は『孤独の発明 または言語の政治学』でマルクス主義から転向した者が民俗学で論じられる民衆・大衆・共同社会に活路を見出したと指摘している)など、展示の合間に挿入されたコラムが興味深かった。