展覧会『交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー』を鑑賞しての備忘録
東京都庭園美術館にて、2022年12月17日~2023年3月5日。
現在のライフスタイルの原型が形成された、20世紀初頭から第二次世界大戦直前まで(1903~1938)のドイツ、オーストリア、フランスのデザインの動向を、両輪として駆動していた機能主義に基づくモダニズムと装飾に価値を置いたモダニティとの2つの潮流で捉える試み。日本への影響を紹介することで、モダン・デザインの世界的同期性をも示す。
第1章は、1903~1913年の動向を追う。ドイツではドレスデンやミュンヘンなどに工房(ドイツ工作連盟の中心を担ったミュンヘン応用芸術家協会など)が立ち、規格化された家具など大衆社会に対応した工業製品が模索される。オーストリアではウィーン工房(ヨーゼフホフマンら)が総合芸術を掲げて生活の美化を狙うが、次第に現実路線へと舵を切る。フランスは、先進的なドイツやオーストリアの応用芸術とその量産化、あるいは家具一式や室内のトータル・デザインに対抗すべく、個物を手掛ける装飾芸術家(artist décorateur)とは異なるコーディネーター(ensemblier)の登場を促す。他方、コルセットから女性を解放したポール・ポワレの服飾デザインは逆にウィーン工房にモード部門が新設されるなど影響を与えもした。
第2章は、第一次世界大戦の時期を対象とする。戦地に赴いた男性に代わり女性が社会に進出する。ウィーン工房では女子学生たちがデザインを手懸けるようになる。ウィーン工房を代表するダゴベルト・ペッヒェの作品などを陳列する。
第3章は、第一次世界大戦後、1925年のアール・デコ博までを扱う。敗戦国ドイツでは新たな社会の建設を目指してバウハウスが設立され芸術と技術とを統一した量産可能な製品の製作が目指される。ウィーン工房は女性が牽引するようになり、フランスでは社会進出した女性のためのファッションが生み出されるようになる。アール・デコ博では様々なデザインの室内空間が提示され、ソニア・ドローネーは自らデザインした服を着せたモデルを組み込んだイメージをメディアに流通させるとともに、ブティックを開設してショーウィンドウ越しに都市空間へデザインを拡散させた。同時期の日本における生活の西欧化の動向にも目を配る。
第4章は、1926~1938年。デッサウ移転後のバウハウスその日本への影響、フランス版バウハウスとも言える現代芸術家連盟(UAM)、シャネルらによる服飾の新潮流などが紹介される。
本館が朝香宮鳩彦王の自邸であることから、展示順路の冒頭の空間(1階大広間・大客室など)はハイライトとして、ブルーノ・パウルのダイニングチェア[1-002]、マルセル・ブロイヤーのラウンジチェア B25[4-023]、ヨーゼフ・ホフマンのセンターピース・ボウル[3-001]や鉢[3-002]、ポール・ポワレのコート[3-156]などが展示されている。
北の間で展示されていた日本における大正期の生活改善運動、中でも斎藤佳三の業績の紹介が興味深かった。音楽やデザインに幅広く携わった斎藤佳三は、2度ドイツに滞在している。1913年にはベルリン王立工芸学校で学びつつ表現主義の芸術潮流に接し、1923年には公的機関の依頼に基づき、生活としての芸術を調査に当たった。とりわけエミール・ジャック=ダルクローズのリトミック教育に触れ、身体運動による音楽の視覚化と内的生命の表現手法に感銘を受ける。ドイツ滞在の成果の1つが、ものの形を統合するとともに生活に活力を生むリズムによって生活の美的統一を果たそうと「リズム模様」の考案であった。和服から洋服へのドラスティックな転換ではなく、浴衣などに徐々に新しい要素を取り入れていく、漸進的な改良を志していたという。