可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

本 ウエルベック『闘争領域の拡大』

ミシェル・ウエルベック『闘争領域の拡大』〔河出文庫ウ-6-4〕河出書房新社(2018)を読了しての備忘録
Michel Houellebecq, 1994, " Extension du domaine de la lutte"
中村佳子

「僕」は、エコール・ポリテクニーク出身の30歳の中堅サラリーマン。ソフトウェア・サービス会社でアナリスト・プログラマーをしている。2年前にヴェロニクと別れてから女性との付き合いは無く、仕事以外で人に会うことも滅多に無い。「動物小説」を書くことを唯一の慰めとしている。業務処理ソフトウェア「シカモア」が農務省に採用され、教育業務を担当することになった。ところが、同僚とのパーティーに顔を出した際にどこに停めたのか思い出せなくなった車の「盗難届」を出すため、農務省の担当者カトリーヌ・ルシャルドワとの打ち合わせをすっぽかしてしまう。何とか失地を回復した「僕」は、11月末からクリスマスまで、後輩のラファエル・ティスランと組んで、講習会のために農務省地方局を回ることになった。

年を取り世界に関心を失ってしまった「あなたを見殺しにはしない」と、「僕」が自らを主人公にした「瑣末な出来事の連続」を物語っていく。
精神分析医の手にかかると、女性はもう決して、どんな用途にも、向かなくなってしまう」という「僕」の思考は、カウンセリングを受けていた恋人のヴェロニクに向けられることで、彼女との関係が破綻する。だが、ヴェロニク、そして女性に向けられたその眼差しは、実は「僕」に向けられたものである。「僕」は、書くことは「物事を再び描きなおし、範囲を限定する」ことで、「ごくわずかな一貫性」ないし「一種のリアリズムを生む」と独白しているが、まさに書くことで自らがあぶり出されていく。だが「ほとんど慰めにな」ることはなく、「ひどい靄のなかでまごついていることに変わりはない」のだ。
経済の自由化は市場という「闘争領域」において絶対的貧困を生む、ちょうどそのように、セックスの自由化は、恋愛という「闘争領域」において負け続ける、マスターベーションと孤独だけの日々を強いられる存在を生み出すことになる。「美と正反対」の顔を持つラファエル・ティスランは恋愛の闘争領域における絶対的敗者として造形化されている。ティスランの行く末が本作の重要な柱の一つ。

そうだとも。ずっと前から駄目なんだ。最初から駄目なんだよ。ラファエル、君は絶対に、若い娘が抱くエロチックな夢をかなえられない。仕方がないものと諦めなくてはいけない。自分はこういった物事に縁がないことを受け入れることだ。いずれにせよ、手遅れなんだ。いいかい、ラファエル、セックス面における敗北を君は若い頃から味わってきた。十三歳から君につきまとってきた欲求不満は、この先も消えない傷跡になるだろう。たとえ君がこの先、何人かの女性と関係を持てたとしても――はっきりいってそんなことはないと思うけど――それで満たされることはないだろう。もはや、なにがあっても満たされることはない。君はいつまでも青春時代の恋愛を知らない、いってみれば孤児だ。君の傷は今でさえ痛い。痛みはどんどんひどくなる。容赦のない、耐え難い苦しみがついには君の心を一杯にする。君は救済も、解放もない。そういうことさ。(ミシェル・ウエルベック中村佳子訳〕『闘争領域の拡大』河出文庫/2018/p.149)

AI機能によりキャラクターと暮らす話題(「デジタルVS 第1部上 ミクと結婚AI実現」『毎日新聞』2020年4月19日1面,同3面)は、ウエルベック的世界が現実化しているよう。