可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 東山詩織個展『simple bed』

展覧会『東山詩織個展「simple bed」』を鑑賞しての備忘録
Token Art Centerにて、2020年6月6日~7月12日。

東山詩織の絵画展。

メインヴィジュアルに採用されているのは《simple bed》という作品。街路樹というよりは垣根だろうか。トピアリーらしき幾何学的な円や紡錘形の樹木が大きさの順で整然と並んだものが、空間を仕切る生け垣として、あるいは幾何学式庭園の植栽として、画面の様々な場所を占めている。その隙間を埋めるように、三角柱を横倒しにした同形のテントが数多く並んでいる。そのテントの入口や周囲には、やはり同じ印象を持つ長い髪をした女性たちが姿を見せる。樹木とテントといった自然での生活、着衣のない身体(ヌード)、反復が生む酩酊(ドラッグの効果。なお《tent》と題された作品はアルフレッド・ヒッチコック監督『めまい』の螺旋階段に通じるものがある)などと相俟って、彼女たちにはヒッピーの雰囲気が漂う。植栽やテントの列の反復は入れ籠状に表されていて、他の同名の作品でもプロジェクターで投映した映像を見る人物が入れ籠状で描かれており、多元的な世界観が呈示されているようだ。また、繰り返しの手法は漫画やアニメーションを想起させる。例えば、擬音の有無やキャラクター造型の違いを置けば、幾何学的な形象の連なりは、横山裕一の漫画(ずばり『NIWA』と題された作品も)に通じるものがある。ところで、幾何学式庭園を生んだ西洋の庭園の源流には、『旧約聖書』の「創世記」の劈頭を飾るエデン神苑がある(桑木野幸司『ルネサンス庭園の精神史 権力と知と美のメディア空間』白水社/2019/p.38-40)。エデン神苑に登場するのがアダムとエヴァであるのに対し、《simple bed》には女性が、しかも同じ姿の女性が繰り返し描かれている。そのために単為生殖ないし無性生殖の世界を表現したとも解されよう(イヴがアダムの肋骨から創造されたというのも多分に単為生殖的だが)。画面の基調となる色は、幾何学的な樹木の緑と、地や人物やテントなどの紫であるが、ゲイ・プライドの「レインボーフラッグ」では、緑は"nature"を、紫は"spirit"を表すという。配色にも自然と精神=人為との調和が認められ、「幾何学式庭園」ひいてはエデン神苑ないしユートピアへの連想を促すものがある。タイトルに関しても、"bed"は「寝台」で「テント」を連想させ、"bed"は「花壇」で「植栽」を連想させ、"bed"は「堆積」で「繰り返し」さらに「複製」=「コピー」を連想させる。さらに"bed"は「性行為」で「生殖」に関わり、そこに"simple"が重なることで「単為生殖」を連想させることになる。ついでながら、テントの形状あるいはその入口を表す襞のような描線は、他の作品にずばり《A》と題された作品があるせいもあるだろうが、"A"という文字に見えて仕方が無い(もっとも襞の表現からは倒立させて"V"="vagina"と解した方がふさわしいかもしれないが)。ナサニエル・ホーソーンの『緋文字』の"A"("adulteress(女性の姦通者)"など)のようにその意味を探るとすれば、"asexual reproduction(無性生殖)"の頭文字とすれば牽強附会との謗りを免れないだろうか。それでも、《ビニールハウス》における三角柱型テントのビニールハウス(生産)と女性と花(生殖)との執拗な反復の螺旋(DNAの構造に類似)型配置に至っては、ヘンリー・ダーガー的モノマニアさえ感じられ、強ち鑑賞者の誇大妄想のみとも言えないのである。
循環を示唆する流水を描いた《ほとり》や反復をイメージさせるタイルを描いた《tile》では、剪定を施されていない植物の葉の伸びやかな姿が表され、唐草文様的な生命への希求、さらには輪廻が象徴されている。また、両者ともに《simple bed》よりも色数が増え、生命の豊饒さないし多様性がより強調されている。

 

蛇足。もとい脱線。TVドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』第3話より。
風見:シングルベッドで一緒に眠る夫婦だって…
沼田:尾崎豊じゃないんだから。……尾崎は"軋むベッド"だよ。「シングルベッド」はつんくだよ。間違えちゃったよ。