可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 五木田智央個展『MOO』

展覧会『五木田智央「MOO」』を鑑賞しての備忘録
タカ・イシイギャラリーにて、2020年8月28日~9月26日。

五木田智央の絵画展。

《Skin Deep》は、暗紫色の背景に、濃い赤紫色のストラップレスドレスをまとった(おそらく)女性の胸像。首から頭部(?)にかけての皮膚はタートルネックのような形状をしていて顔は表されていない。「皮だけ(skin-deep)」だ。その上にはピンク色の本を伏せたような形が載っていて、その間の三角形の空間は闇を表すのか黒く塗り込められている。シックなドレスのエレガントな女性像でもあり得た画題は、とっくり型のっぺらぼうとしてエキセントリックな作品に転じている。タイトルに用いられる"Skin Deep"は、"Beauty is onky skin-deep."という諺で用いられる。「見目より心」、すなわち「美」が表層的なものに過ぎないという警句である。もっとも、絵画はキャンバス(など支持体)の「皮だけ(skin-deep)」に表される。絵画においては美は表層にこそ存在しなけれなならない。のっぺらぼう(=skin)に美を追求せよとのメッセージが発せられている。
《Late Marriage》は、ぴったりと寄り添う夫婦の肖像。愛の不思議な作用(the chemistry of the love)に因るためか、二人の身体の触れ合う部分は癒着するようで、夫の左肩は燃焼作用が生じて焦げてしまったようで、妻の首筋から胸にかけての部分にも何かしら変化が起こりつつある。溶融したような顔の表現は、ジョルジョ・デ・キリコの描くマネキンに通じるような不穏な雰囲気を生み、淡い緑や黄を基調とした穏やかな画面に埋もれることなく、鑑賞者に忘れ難い印象を残す。なお、このような人物表現は、《Bride》の花嫁とその友人(介添人?)にも見られる。
《Neue Tanz》は部屋の中央で踊る女性の姿を描く。彼女の影が、エドヴァルド・ムンクの《思春期》よろしく、床から壁へかけて長く大きく広がる。彼女を眺める人物らしきものが画面左手前に描かれているが、溶け出すかのように、絵具が垂れている。壁に映る彼の黒い影は、舌を出した怪物のようにも見える。
《New Latin Quarter》は、レオナルド・ディカプリオ風のスーツの男が中央に立ち、彼をはさむようにドレスアップした二人の女性が立ち、背後にも5人の女性が控えている。男が左右の女性に比して小さく感じられ、その比率は「連行される火星人」ほどではないとしても、あの写真を連想してしまう。あるいは、「すしざんまい」の代表のように手を広げているのも目に焼き付く原因だろうか。女性の顔はそれぞれ個性をもって描かれている。ただ、左奥の女性の顔だけは他の6人の女性たちと明らかに表現が異なり、しかも胴体が消えている。彼女は写ってしまった心霊なのだ。そして、鑑賞者は思い出すだろう。この展覧会のタイトルが「ムー(MOO)」であったことを(但し、例の雑誌と英文表記は異なる)。
《Profile》は、金髪の、マツコ・デラックス風の人物の横顔を大画面に表した作品。小画面、暗い背景、左向きのモデルのヨハネス・フェルメール真珠の耳飾りの少女》を、大画面、明るい(淡い)背景、右向きに翻案したような印象を受ける。とりわけ、小さな耳を飾る大きな真珠のイヤリングが強烈な印象を鑑賞者に与えるだろう。
《Solitude》は赤いドレス(下着?)をまとった女性の胸像。肩紐のない服からは乳房がこぼれ出している。頭部は漏斗状で、中央に口が一つ開いている。目や耳を欠いているのは、外部からの情報の遮断を意味し、それとともに口は自己との対話を促しているからなのか。