可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『遠見の書割 ポラックコレクションの泥絵に見る「江戸」の景観』

『遠見の書割 ポラックコレクションの泥絵に見る「江戸」の景観』を鑑賞しての備忘録
インターメディアテク〔GREY CUBE〕にて、2020年6月24日~終了日未定。

東海道五十三次」を画題とした泥絵の展示。泥絵は江戸時代の洋風画の一ジャンルで、下地に胡粉が用いられていることから「胡粉絵」とも、土産物として芝明神前などで売られたことから「芝(司馬)絵」とも呼ばれたものだという。なお、展覧会タイトルに掲げられた「遠見の書割」は、藤岡作太郎が幕末の「泥絵」を評した言葉に基づく。

菱川師宣の『東海道分間絵図』(1690)を印刷したものを壁に張り巡らし、宿場に対応する泥絵がその上部に展示されている。その他展示台に設置されたケースなどに泥絵が展示されている。
作者未詳《坂の下》は中央に田の広がる村を、作者未詳《桑名》は帆掛け舟の浮かぶ湾を、作者未詳《見附》は富士を背後に天竜川を行く舟を、作者未詳《三島》は雨に煙る神社をそれぞれ描く。画面を支配する「プルシャンブルー」(プロイセン製の青色の化学染料)と相俟って、人気のない静謐な世界が生み出されている。色味はまるで異なるが、アンリ・ルソーの描いた都市景観に通じるものがある。作者未詳《土山》、作者未詳《府中》、作者未詳《原》、作者未詳《平塚》などには人が描き込まれているが、ジオラマとそこに置かれた人形のように生気が失われている。その失われているという感覚が真空のように機能して観る者を吸い込む。
逸名職人が手がけた「泥絵」の制作者で例外的に落款を残しているのは司馬口雲坡。彼の《霞ヶ関元朝参賀図》は、描き込むモティーフを減らすためか空の広さを表現するためか画面の上3分の2を空が占めている。画面下部の立ち並ぶ積み木のような武家屋敷の左上には富士山が大きく姿を見せる。屋敷の手前の道を人形のような人が歩いている。
桑楊編『東海道分間絵図』(1752)は師宣のものの半分のサイズで、神社仏閣・名所旧蹟・名産・茶屋などの文字情報が追加された、縮尺12,000分の1の街道図。手彩色。

「泥絵」と聞くと、江戸川乱歩の「押絵と旅する男」を思わずにいられない。同作の押絵に描かれた人物たちは妙に生々しいのであるが、絵画というミニチュア世界に没入していくという点では、本展出品作との類似性も認められるだろう。

「喜んで御見せ致しますよ。わたくしは、さっきから考えていたのでございますよ。あなたはきっとこれを見にお出でなさるだろうとね」
 男は――寧ろ老人と云った方がふさわしいのだが――そう云いながら、長い指で、器用に大風呂敷をほどいて、その額みたいなものを、今度は表を向けて、窓の所へ立てかけたのである。
 私は一目チラッと、その表面を見ると、思わず目をとじた。何故であったか、その理由は今でも分らないのだが、何となくそうしなければならぬ感じがして、数秒の間目をふさいでいた。再び目を開いた時、私の前に、嘗て見たことのない様な、奇妙なものがあった。と云って、私はその「奇妙」な点をハッキリと説明する言葉を持たぬのだが。
 額には歌舞伎芝居の御殿の背景みたいに、幾つもの部屋を打抜いて、極度の遠近法で、青畳と格子天井が遙か向うの方まで続いている様な光景が、藍を主とした泥絵具で毒々しく塗りつけてあった。左手の前方には、墨黒々と不細工ぶさいくな書院風の窓が描かれ、同じ色の文机が、その傍に角度を無視した描き方で、据えてあった。それらの背景は、あの絵馬札の絵の独特な画風に似ていたと云えば、一番よく分るであろうか。
 その背景の中に、一尺位の丈の二人の人物が浮き出していた。浮き出していたと云うのは、その人物丈けが、押絵細工で出来ていたからである。黒天鵞絨の古風な洋服を着た白髪の老人が、窮屈そうに坐っていると、(不思議なことには、その容貌が、髪の色を除くと、額の持主の老人にそのままなばかりか、着ている洋服の仕立方までそっくりであった)緋鹿の子の振袖に、黒繻子の帯の映りのよい十七八の、水のたれる様な結綿の美少女が、何とも云えぬ嬌羞を含んで、その老人の洋服の膝にしなだれかかっている、謂わば芝居の濡れ場に類する画面であった。
 洋服の老人と色娘の対照と、甚だ異様であったことは云うまでもないが、だが私が「奇妙」に感じたというのはそのことではない。
 背景の粗雑に引かえて、押絵の細工の精巧なことは驚くばかりであった。顔の部分は、白絹は凹凸を作って、細い皺まで一つ一つ現わしてあったし、娘の髪は、本当の毛髪を一本一本植えつけて、人間の髪を結う様に結ってあり、老人の頭は、これも多分本物の白髪を、丹念に植えたものに相違なかった。洋服には正しい縫い目があり、適当な場所に粟粒程の釦までつけてあるし、娘の乳のふくらみと云い、腿のあたりの艶めいた曲線と云い、こぼれた緋縮緬、チラと見える肌の色、指には貝殻の様な爪が生えていた。虫眼鏡で覗いて見たら、毛穴や産毛まで、ちゃんと拵えてあるのではないかと思われた程である。
 私は押絵と云えば、羽子板の役者の似顔の細工しか見たことがなかったが、そして、羽子板の細工にも、随分精巧なものもあるのだけれど、この押絵は、そんなものとは、まるで比較にもならぬ程、巧緻を極めていたのである。恐らくその道の名人の手に成ったものであろうか。だが、それが私の所謂「奇妙」な点ではなかった。
 額全体が余程よほど古いものらしく、背景の泥絵具は所々はげ落ていたし、娘の緋鹿の子も、老人の天鵞絨も、見る影もなく色あせていたけれど、はげ落ち色あせたなりに、名状し難き毒々しさを保ち、ギラギラと、見る者の眼底に焼つく様な生気を持っていたことも、不思議と云えば不思議であった。だが、私の「奇妙」という意味はそれでもない。
 それは、若し強しいて云うならば、押絵の人物が二つとも、生きていたことである。(江戸川乱歩押絵と旅する男江戸川乱歩江戸川乱歩全集 第5巻 押絵と旅する男』光文社〔光文社文庫〕/2005年/p.16-19)

ミニチュアの世界への没入という点では、ロバート・ゼメキス監督の映画『マーウェン』(2018)が忘れ難い。