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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 原良介個展『裏山のキュビズム』

展覧会『原良介「裏山のキュビズム」』を鑑賞しての備忘録
un petit GARAGEにて、2021年4月30日~6月12日。

原良介の絵画10点を紹介。

《富士山が見えた》には、画面の上端を隣辺に、20度で画面左端へ伸びる斜辺を持つ直角三角形状の葉叢が濃緑で描き入れられている。画面下部には、濃緑の葉叢の斜辺に平行となる、下草の凹凸とした輪郭線が表されている。画面右上で枝分かれしているY字型の太い樹幹がわずかにしなりつつ直立している。その左手には、相似となるやや細めの樹幹が立つ。画面上部の半分以上を占める緑色の樹冠と、2本の樹幹、下草が画面下部に作る四角い枠が、遠景に広がる緑がかった青空に浮遊するような三峯の富士の額縁となっている。樹幹は上部の方が太く、根に近づくほど細く表されている。その肥痩と微妙な湾曲は、葉叢と下草との斜辺と相俟って、画面下部中央の富士へと視線を導く力を生んでいる。そして、鳥居のように立つ木々の「奥」に位置させることと、俗世から切り離す「浮遊」とによって、富士の聖性が高められている。ところで、鈴木其一の『伊勢物語』第9段を題材にした《東下図》に、騎乗の業平が背後の富士を振り返っているもの(遠山記念館蔵)がある。「駿河国に至った業平は、仲夏の終わりになってもまだ雪の残る富士をみて、その高さに驚き『時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ』と詠」ったのを踏まえているという(東京国立博物館読売新聞社編『尾形光琳350周年記念 大琳派展 継承と変奏』読売新聞社/2008年/p.360-361〔松嶋雅人執筆〕)。「振り返る」動作には、一旦目にしつつ通り過ぎたという事前の動作が当然の前提となっており、驚きのあまり二度見するという含みを其一は画面に表現したのではないか。それならば、本展タイトルの「裏山の」に、驚きのあまり振り返るという意味を作家が籠めたと考えることも不可能ではないだろう。上下に配された左下へに向かう斜線は、振り返りの回転運動を構成していたのだ。

《景色と体》には、画面一杯に両腕と胴体、すなわち首元の下から臍の下までの裸体が描かれている。臍の辺りには絵具が厚く盛られることで、身体よりも皮膚の表現であることが強調される。そして、皮膚が画布であるかのように胸の辺りに茂みが描かれている。「裏山の」雑木林に分け入ったことを示すため、作家は自らの身体に浴びた光を描くのだろう。

 描こうとする対象に見られなければ、画家はその対象が息づいている世界に入れない。よって、私が見られるためには、私は精神ではなく、身体でなければならない。私が見られるということは、私が可視的であることである。私たちは対象から反射してきた光を浴びることで見る。逆に、他者の眼は、私から反射する光線を使って見る。他者が私を見るとは、他者が私の身体から反射した光を浴びることである。他者はさまざまな場所から自分のところに集まってくる光、すなわち、包囲光を浴びている。私が周囲のどの場所も見ることができるということは、それらすべての場所から光を浴びているということである。その可能な視線である包囲光の一部に眼を向けて、選択的にその光を眼に受ける。他者は私からやってきた光線に眼を向けることによって私を見る。「樹木が自分を見ている、私は樹木から見られている」と感じることとは、樹木が私の身体から反射した光を浴びていることを知覚することである。
 だが、私はどのようにして、私から反射した光が樹木を照らしていると知ることができるのだろうか。それは、ひとつには、私が樹木を見ることができるということである。私が見ているときには、樹木と私とは相互に光を反射しているはずである。その反射しあう光を利用して、私と相手は相互に見られる。したがって、森の中で樹木が私を見ているという経験は、森の中での私の可視性と森の樹木の可視性を経験するということである。私は誰にでも見える。樹木がこちらに関心を持つならば、私は樹木にも見えるはずなのだ。(河野哲也『境界の現象学 始原の海から流体の存在論へ』筑摩書房〔筑摩選書〕/2014年/p.56-57)

《景色と体》において、作家は身体=皮膚が包囲光を浴びている事実を明らかにする。そして、小倉遊亀が木の天板の載せられた古九谷の鉢、三宝柑、レモンを描いた《佳器》を本歌取りした《裏山の佳器》においては、果物がリンゴへと置き換えられるとともに、鉢に「裏山の」雑木林の光景が描き込む。器は身体のアナロジーである。また、画像データを保存する容器=メディアである。

《景色を着る枝(3)》は、縦長の画面の中央を縦に細い幹(タイトルからすれば枝と解するべきかもしれない)が貫き、下部、中央部、上部の3箇所からそれぞれ、3本、3本、2本の枝が左右に伸びている。木によって画面がそれぞれ異なる形を呈する10の区画に分けられて、それぞれが青い絵具で埋め尽くされている。幹や枝は茶で描かれているが、部分的に金の絵具が施されている。この輝きが景色の放つ光であるなら、「枝」が「景色を着」ていることとなる。《景色を着る枝(2)》では、同様の構図であるが、最上部の2つを除く8つの区画に、それぞれラインストーンが1つずつ貼り付けられている。ラインストーンの星によって、木が星空を纏っていることが分かる。「景色を着る枝」と題することで、樹木・空・星とが画面上では同一平面にあることが強調されている。《景色と体》の胴体=皮膚や、《裏山の佳器》の鉢に対し、《景色を着る枝(2)》では画布が写像を映すスクリーンとして提示されているのである。《レモンのような風景》では、やはり距離を異にする満月と樹影とが「レモン」として同じ画布に定着されている。なお、《景色を着る枝(1)》は左右に伸びる枝の色と数が増え、「区画」彩るのは左が緑、右が紫と違えている。補色は色相環の位置関係を想起させ、天体の移動をも連想させることから、違う時間を定着させる試みと解される。

本展タイトルに掲げられた「裏山のキュビズム」とは何であろうか。先に指摘したとおり、「裏山の」が、「驚きのあまり振り返る」という作家の経験に基づいたものであることを表すとして、「キュビズム」が問題となる。「裏山の」という作家「独自の知識や法則といったものにより認識される別の現実を表現にとりいれる必要性」から、「可能な視線である包囲光の一部に眼を向けて、選択的にその光を眼に受ける」という考え方を「現実の対象を可視化する」手法として用いたと、とりあえず解してみたい。

 (略)クールベのレアリスムからゾラの自然主義、ドニの客観的変形とう概念をふまえてはじめて、なぜキュビスムの理論において「レアリスム」や「現実」という概念がなおも重要な位置を占めていたのかを理解することができる。まず、レアリスムや自然主義の言説において、眼で捉えられた現実が、芸術家の個性をとおして多様に表現されうることが主張された。次に、眼で捉えられ主観的にほんあんする営みとは対立する要素として、理性や法則により自然を翻案した「現実」という要素も考えなければならないことが、ドニにより主張された。それは、芸術作品に表現されたかたちに施されるゆがみやひずみが、無知ではなく、知識によっても生み出される「現実」の様態だということを主張するものでもあった。

 こうした流れに続いて、キュビスムをめぐる議論で問題とされたのは、19世紀から20世紀初頭に登場していたさまざまな「現実」の概念との距離をどのようにさだめていくのかということであった。キュビスムの芸術家自身によっては、レアリスムはキュビスムの前史であり、自らの芸術とは様式的に隔たる一方で、系譜として連続するものであった。こうしてメッツアンジェは、「クールベの表面的なレアリスム」から出発し、「セザンヌの奥深いレアリスム」へと進むことでキュビスムが生まれた、と主張する。レジェもまた、論考「絵画の起源とその再現的価値」において、「概念のレアリスムはマネとともに生まれ、印象派の画家たちやセザンヌの作品において発展し、そして今日の画家たちの作品において達成されつつある」とする。彼らにとって、多様な「現実」を表現するというレアリスムや印象派の発想は、決して自らの芸術態度と無縁のものではなかったのだ。ただし、それを認識のひとつの様態として捉えながら、さらに彼ら独自の知識や法則といったものにより認識される別の現実を表現にとりいれる必要性があったのである。キュビスムの芸術家や理論家が、数学や科学とのアナロジーで語ろうとしたものは、まさにこうした現実の認識のあり方であった。換言すれば、キュビスムの理論家たちは、眼では捉えられない真理に到達するための手段として、現実を認識する複数の次元が存在することをまず想定し、そのひとつの認識のあり方として幾何学や色彩それ自体に重要性を見出したのである。このためにグレーズとメッツアンジェは、次のように、現実の対象を可視化する際に複数の仕方があると主張している。
ある対象がひとつの絶対的なかたちを持っているのではない。
[……]ある対象を熟視する眼と同じだけ、この対象のイメージがある。それを理解する精神と同じだけ、本質的なイメージがある。
(松井裕美『キュビスム芸術史 20世紀西洋美術と新しい〈現実〉』名古屋大学出版会/2019年/p.70-72)