可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 岡典明個展『森をあるく』

展覧会『岡典明展「森をあるく」』を鑑賞しての備忘録
藍画廊にて、2021年2月1日~6日。

ギャラリーの白い壁に掛けられた作品は、遠目には樹形のことなる樹木を1本ずつ描いたドローイングのように見える。実際には、画面は紙ではなく、いずれも一辺20~30cm程度の長方形のアルミ板で、鏡のような銀色の輝きを持つものから曇って灰色を呈するものまで様々な表情を持っている。また、黒い線は木炭などで描かれたものではなく、酸化して黒くなった針金だ。樹木の幹は針金をぐるぐると巻くことでやや太く表現され、細い枝先はゼンマイのようにくるりと曲げられて愛嬌がある。横から眺めると幹の部分がアルミ板に映って二重の線になることで人の脚や胴の姿に見えてくる。「ゼンマイ」の枝先と相俟って皿回しやジャグリングをする曲芸師をイメージさせなくもない。少なくとも、針金の「樹木」に人のイメージが重ねられていることは、ギャラリー奥の床に敷かれた銅版の上に垂らされたテグスに「樹木」が絡みつくインスタレーション《森柱》から分明だ。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のメタファーとなっていて、赤銅色の銅版が地獄を、テグスが釈迦の垂らした蜘蛛の糸を、(下部にとりわけ密集している)「樹木」が人を、ぞれぞれ表しているからだ。コロナ禍の社会を揶揄していることは言うまでもない。また、複数の作品がやや高さを変えて並べられている壁面をインスタレーションのごとく眺めれば、アルミ板の曇り方の違いがつくる濃淡のある霧に包まれた樹林の世界が立ち現れる。等伯の靄に見え隠れする松林の水墨画の後裔に位置づけることもできるかもしれない。もっとも、主題はアルミ板に付いている傷や汚れだ。展覧会が「森をあるく」と銘打たれているように、この作品は作家がアルミ板を引き摺って森を徘徊した記録なのだ。《はれ》、《くもり》、《あめのあと》と、1つ1つの作品には歩いた際の天候がタイトルとして付されている。そして、「図」としての針金にばかり目を奪われて、「地」としてのアルミ板に目が向けられない鑑賞者の態度をこそ浮き彫りにする。「見せ球」のような派手なパフォーマンスに目を奪われることなく状況を冷静に観察するようにとの警句的表現と言える。やはりコロナ禍の社会の諷刺なのだ。