展覧会『野田裕示「100の庭」』を鑑賞しての備忘録
ザ・ギンザ スペースにて、2021年5月10日~30日、ギャルリー東京ユマニテにて、2021年5月12日~29日。
野田裕示の絵画展。いずれも62.8×47.7cmの箱の中に、白い絵具(1つだけ他の色の作品あり)で着彩した麻布を皺が出来るように入れ、その上から、いずれも一部を不定形に切り取った2枚ないし3枚の着彩した板を貼り込んだ作品全100点。ザ・ギンザ スペースでは、吹き抜けの展示空間の3つの壁面にそれぞれ縦3枚×横4枚、縦3枚×横5枚、縦3枚×横4枚で並べ、残りは1列にして計56枚を展示。ギャルリー東京ユマニテでは、縦2枚に並べて44点を展示。
白く塗った62.8×47.7cmの木製の「箱」。その正面は、縦に3等分ないし2等分された板によって箱はぴっしり覆われている。それぞれの板には、異なる色(3枚組の場合、うち2枚に同じ配色)で、2層か3層か絵具を塗り重ねてある。それが部分的に研磨されて、下層の色がのぞく。絵具の飛沫も見られる。蓋している板それぞれには不定形の穴が糸鋸のようなもので切り取られており、切断面も着彩されている。等分された板は「穴」から伸びる線で2つに切り分けられている。それぞれの穴の中には、白い絵具(1点だけ異なる色の作品あり)を雑に塗った(塗り斑が大きい)キャンヴァスが、皺を寄せた状態で押し込められている。
絵画の画面が正面であるなら、「箱」の表面を覆う板が画面となる、一種の板絵と言える。
絵画制作において「板」は、ルネサンスの時代に画布が流行するまでは、最も古くから頻繁に使用されていた支持体です。ギリシア人は、絵画を「ピナコテク」と呼ばれるいわば今日の美術館を意味する場所に保存していましたが、これは「ピナス(板)」に由来しています。(略)板を支持体とする習慣は、前述のようにルネサンスに至るまで継続的に続けられてきました。その最盛期は、南ヨーロッパでは14~15世紀、北ヨーロッパでは15~16世紀であり、17世紀に至るまで画布と平行して使用されるのです。その後しばらくは画布が主流となりますが、19世紀には再び板がその人気を回復することになります。(小澤基弘「支持体2 支持体としての板」谷川渥監修『絵画の教科書』日本文教出版/2001年/p.278)
もっとも、穴の中に押し込められたしわしわのキャンヴァスも、「板絵」に開けられた「穴」から覗いており、なおかつ白い絵具で塗られているのだから、画面ということは可能である。
通常、油絵を描く際には、カンヴァスと呼ばれる支持体を使用します。これは主に木綿、大麻あるいは亜麻でつくられた織布で、その使用はエジプト第12王朝(前2000~前1788)までさかのぼることができます。こうした支持体としてのカンヴァスの使用は、西洋ではジョット以降、板に描かれた祭壇画が廃れはじめ、絵画の大型化が求められるについてじょじょにその頻度は増してくることになります。そして18世紀のフランスでの動力織機の発明により、機械織の織布が普及するに従って、カンヴァスは絵画の代表的な支持体としての位置〔原文ママ〕を確立することになります。(小澤基弘「支持体3 カンヴァスについて」谷川渥監修『絵画の教科書』日本文教出版/2001年/p.280)
「100の庭」という展覧会のタイトルからすれば、絵画の主たる支持体であるキャンヴァスを邸宅に擬え、それを取り囲む板絵を庭と解することができる。板絵の色から、有職の襲色目よろしく、花や池や空を連想することは不可能ではあるまい。また、箱(木枠)を窓枠と捉えて、端的に「画面」を窓外の光景と解することもできよう。その際、板絵に穿たれた穴は、キャンヴァスにより構築されたグロッタ(人工洞窟)となろう。
16世紀の庭園を彩る多彩な要素のなかでも、「第三の自然」〔引用者註:未加工の自然を「第一の自然」、自然に加工した「第二の自然」に対し、自然と人工とが同質化したものを指す〕という観念がもっとも純粋なかたちで結晶化していたのが、グロッタ(人工洞窟)と呼ばれるエレメントである。イタリア語のgrottaという語は通常、自然の洞窟や大地の窪みなどを表す言葉であるが、建築・造園学の分野で使われた場合には、壁にうがたれた壁龕ないしは独立した構築物や部屋などを、自然の洞穴風に仕上げたものを指し、内部に噴水や彫像を設置することも多かった。洞窟を擬態したこの特殊な空間が、16世紀のイタリアで大流行するのだ。
イタリア式庭園のグロッタのルーツは古代建築にある。水の精ニンフにささげられたニンフェウムと呼ばれる祭祀堂がその起源のひとつで、たいていは水源地に建てられ、洞窟や窪地を装った建築結構の中に噴水がしつらえられた。(桑木野幸司『ルネサンス庭園の精神史 権力と知と美のメディア空間』白水社/2019年/p.315-316)