可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 秋葉麻由子個展『くだらないことの中に。』

展覧会 秋葉麻由子個展『くだらないことの中に。』を鑑賞しての備忘録
アートスペース羅針盤にて、2021年6月28日~7月7日。

秋葉麻由子の絵画展。主展示室の9点と、小さな展示空間の小品群10点の19点で構成。

《花束》(2021)では、右側から突き出された右手が3本の茎を握りしめ、そのうち1本の茎が左側に向かって弧を描き、右手の先で開かせた花を正面から見せている。他の1本は画面上部に向かってひょろりと伸びた茎の先に花の下側の側面が覗いている。残りの1つはつぼみのまま下に向かっている。ベージュの地にモティーフに黒が配されている。芥子は3本描かれているからタイトルに偽りはないが、「花束」という言葉が生む一般的なイメージとはかけ離れている。単に花束を作っている最中を描いたものと解するのが無難であろうか。あるいは、利休に倣って、「花束」の示す「数ある花」の中から1輪に視線を集める試みとしての作品であるかもしれない。それでも、画面右側から左側へと突き出された拳の力が、手から伸びた茎に伝えられ(あたかも密生した毛が振動を表すようだ)、その先の花を開かせた、というような想像を働かせたくなる作品である。
《雨の日》(2021)は、車のハンドルを握る人物を側面から描いた作品。黒と黄土色を基調とした画面。フロントドアガラスがフロントガラスないしワイパーの動きを表すような形になっていたり、「車内」にまで雨を表す斜線がびっしり描き込まれていたりと、自由な空間構成が面白い。人物は長方形の組み合わせにより、素朴な壁画あるいは彫像のように単純化されている。とりわけ白い犬が載る人物の腿と胴とは、恰も犬のための座席のようである。白い犬を抱きかかえる左手と、ハンドルを握る右手が太くがっしりと表現され、安心感のようなものが画面から放たれている。
《とけあう日》(2021)では、枝葉の模様の入った白い布団が、黄土色の画面の約半分の面積を占めている。横長の画面の左上と右下を結ぶ対角線と平行な線を、画面上辺のやや中央からやや左の位置から伸ばした線と、画面の右上と左下とを結ぶ対角線と平行する線を画面下辺の左側3分の1から伸ばした線、それぞれの線とその交点までが布団が覆う領域になっている。布団の上側からは人物の横顔と右手のシルエットが覗き、布団の右側からは肉球のある足2本と尻尾が食み出している。布団を共有することで、人物と犬(?)とはシルエットとして一体化し、また同じ夢を見る者として融合する。
《夢のなかへ》(2021)は、5枚の画面を横に繋げたパノラマ型の大画面。《とけあう日》と異なって布団こそ描かれない(あるいは布団の中なのかもしれない)が、青い斑の犬を抱いて眠る人物を横から描いている。人物と犬とは乾漆像(否、涅槃仏か?)を作るかのごとく四角い布が貼り合わせて描かれている。左腕を犬の腕枕に供するとともに、がっしりとした右手が犬の腹にやさしく添えられている。人物と犬の周囲は、雲母のような輝きを持つ黒の絵具で塗り込められ、布団の中の宇宙、すなわち眠りと夢の世界を演出する。これまで見てきたとおり、作家の作品では、他のモティーフに比べて手の力強い表現が印象的であるが、本作によって、触覚に対する信頼がより鮮明となる。眠りや闇によって視覚が働かない状況を設定しつつ、手、触れ合い、布の貼り付けとそれが生む触感と、鑑賞者を触覚へと誘導しているからだ。

 意識は、環境から外からの情報を編集して作られる。その編集のしくみは、時代や文化の背景によって異なってくる。触覚は個人の歴史と強く結びついているが、一方で意識というフィクションを作るしくみからは自由なのではないか。そのため、触覚をきっかけにして感じられる世界、たちあらわれる無意識は、ときには人間の、あるいは場合によっては生きとし生けるものに共通する世界のなりたちを、ぼくたちに示すのではないだろうか。(傳田光洋『サバイバルする皮膚 思考する臓器の7億年史』河出書房新社河出新書〕/2021年/p.241-242)

《海の日》(2021)は、真っ暗な夜の海岸で犬を散歩させる人物を描いた作品。右側には右手にいくつかの貝を持ち、左手にリードを巻き付け、犬を見ながら歩く人物を配し、左側には、外灯の灯りの中に浮かび上がる、飼い主を振り返る黒い犬の姿が描かれる。《夢のなかへ》同様、夜の浜辺という視覚の働きづらい状況を描きつつ、太い指と厚い掌で表される右手、そこに載せられた貝殻、左手に巻き付けたリード、リードに繫がれた犬という触覚を連想させるモティーフが、人物と犬との「視線」がつくるラインに並べられた上、貝殻の白のハイライト、犬を照らす外灯の光によって強調されている。
本展の表題作《くだらないことの中に》(2021)は、手を繫いで眠る2人の人物を真上から描いた作品。敷き布団などを表す、透過性の高い紙、白い紙、黄色い紙の上に紺で人物を描き、その上に掛け布団を表す半透明の紙が重ねられる。満月の中に浮かび上がる恋人たちのシルエットといった幻想に誘われる。
《僕のかたつむり》(2021)には、画面左側に椅子に座る人物が、その右側に飼育ケース(?)とその中のカタツムリが描かれている。黄土色の画面に人物は単純化した黒いシルエットとして表される一方、、黒い飼育ケースの中にいるカタツムリの体は明るい黄色で輝いている。カタツムリの頭(?)のあたりに白いガーゼが被されているのは、カタツムリを観察する人物の見ている部分を示すためなのだろうか。また、画面右下にはバケツのようなものの左端が覗いている。ひょっとしたら、このバケツの中身を拡大して表したものが、人物の右側に大きく描かれている「飼育ケース」なのかもしれない。
《ともだち》(2021)と《眠る男》(2020)はともに椅子に座る人物とテーブルの上に置かれた飲み物を側面から描く点で共通する。但し、前者の画面は小さく、左向きであり、後者の画面は大きく右向きである。とりわけ、《眠る男》の人物が顔を真上に向けて眠り、右手をだらりと下に垂らしながら、左手がコップに向けて伸ばされているギャップが面白い。