映画『ファーザー』を鑑賞しての備忘録
2020年製作のイギリス・フランス合作映画。97分。
監督は、フロリアン・ゼレール(Florian Zeller)。
原作は、フロリアン・ゼレール(Florian Zeller)の戯曲"Le Père"。
脚本は、クリストファー・ハンプトン(Christopher Hampton)とフロリアン・ゼレール(Florian Zeller)。
撮影は、ベン・スミサード(Ben Smithard)。
編集は、ヨルゴス・ランプリノス(Yorgos Lamprinos)。
原題は、"The Father"。
まだ明るい夕刻。ロンドン・ブリックのフラットが立ち並ぶ通りを、アン(Olivia Colman)が1人、やや速い足取りで歩いている。建物に入り、階段を駆け上がり、ドアを開ける。父さん! 声をかけるが応答がない。声をかけながらキッチン、ダイニングなどを見て回る。一番奥の部屋で、ようやく椅子に腰掛けるアンソニー(Anthony Hopkins)を見付けた。暗い中、父はヘッドフォンで音楽を聴いていた。アンはカーテンを開け、部屋に明かりを入れる。眩しそうな表情をする父に尋ねる。何があったの? 何もない。何もないはずないでしょ、辞めさせてもらうって電話があったんだから。とても感じのいい人だったのに。気難しいから探すのだって一苦労だったのよ。人の手を借りんでも暮らしていける。売女って言ったでしょ、彼女泣いてたわ。ここは私の住まいだ。私のやり方で暮らして何が悪い。父さんは精神的にだけでじゃなくて、物理的にも彼女を傷つけたのよ。この私が? そこまで言うなら言わせてもらうか。これは言いたくなかったがな。腕時計を盗られたんだ。彼女が盗るわけないでしょ。実際、どこにも見当たらない! バスタブの下に忘れてるんじゃない? 何故バスタブの下のことを知ってるんだ! 偶然知ったのよ。アンソニーはバスタブの下を確認しに行き、腕時計を左手首にはめて戻った。やっぱり盗られてなかったでしょ! 盗られそうになったから一時的に隠しておいたんだ。父さんには、どうしてもヘルパーさんが必要なの。私はパリに行くから。どうして英語も話せん奴のところへ行く必要があるんだ? 知り合った人と暮らすためよ。その年で男が出来たのか。私を見捨てるつもりか? 週末には顔を出すわ。だけど父さんがヘルパーさんを受け容れられないなら、決断しなきゃいけない。決断って…一体何をだ?
認知症の進行する父アンソニー(Anthony Hopkins)の世話をしてきた娘のアン(Olivia Colman)は、交際相手のポール(Rufus Sewell)とパリで暮らすため、ヘルパーを雇う。だが、気難しい父への対応に手を焼いたヘルパーは、次々と辞めていった。次に雇うヘルパーを父が受け容れなければ、父を施設に入所させなくてはならないとアンは心に決めていた。
以下、全篇について触れる。
アンソニーは、新たにやって来たヘルパーのローラ(Imogen Poots)が、下の娘ルーシーに似ていると言って喜ぶ。それだけではなく、アンソニーは部屋に飾られた絵をルーシーの描いたものだと紹介し、ルーシーにしばらく会っていないから会いたいなどと、ルーシーについて度々言及する。日頃、父の面倒を見ているアンを差し置いて、ルーシーのことばかりを褒めるのだ。実はルーシーは事故で亡くなっており、アンと違って衝突する可能性が全くないからだろう。だが、アンからすれば、骨身を削って世話している父から蔑ろにされ、亡き妹のことばかり話題にされては、立つ瀬が無い。疲弊するアンを心配するポールの勧めがきっかけであったとしても、アンがロンドンを離れる決断を下す(あるいは、父を施設に入所させる)一番の要因はそこにあったのではないか。
同じ出来事がキャストや視点・場面を変えて繰り返し画面に映し出される。アンソニーとともに、鑑賞者も認知症を患うような不確かな感覚をあじわうことになる。しかも、ヘルパーを追い出す方便としての腕時計の盗難の主張や、ダンサーだった(タップ・ダンスが出来る)とかサーカスにいた(手品が出来る)といったローラに対する軽口によって、彼の言葉の信憑性が揺るがされる。
舞台となるフラットは、家具の配置などによって、微妙に異なっていく。アンソニーの記憶、あるいは彼の見ている世界を表現するために、再構成や欠落を視覚化している。同時に、小道具の置き換えで場面の転換を表現する、舞台的な演出が活かされている。
アンが施設から出てくる場面では、Igor Mitorajの彫刻(《Luci di Nara》?)が彼女の心情のメタファーとして印象的に登場する。
Anthony Hopkinsの役名は"Anthony"アンソニーであり、実年齢も同じ設定。それに対し、Olivia Colmanの役名は、"Anne"であるが、映画『女王陛下のお気に入り(The Favourite)』(2018)で女王"Anne"を演じて第91回アカデミー賞主演女優賞を受賞している。
因みに、Imogen PootsがJesse Eisenbergとともに主演した『ビバリウム(Vivarium)』(2019)は、嫌な気分になれる映画としてお勧め。