映画『ある画家の数奇な運命』を鑑賞しての備忘録
2018年製作のドイツ映画。189分。
監督・脚本は、フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク(Florian Henckel von Donnersmarck)。
撮影は、ケイレブ・デシャネル(Caleb Deschanel)。
編集は、パトリシア・ロメル(Patricia Rommel)。
原題は、"Werk ohne Autor"。
1937年、5歳のクルト・バーナート(Cai Cohrs)は、芸術を愛好する若く美しい叔母エリザベト・マイ(Saskia Rosendahl)とともに、ドレスデンに巡回した退廃芸術展の会場にいた。展示の解説員ケルステンス(Lars Eidinger)が来場者に講釈をたれている。退廃芸術家たちは軍人を醜く描いて誇りを失わせ、女性を娼婦のように描いて貶める。彼らは野を青く、空を緑に、雲を黄で塗りたくる。遺伝による病気か事故による障害なのだ。意図的なら無論、刑罰に値する。カンディンスキーの作品の前で立ち止まるケルステンス。この作品の価格はドイツの労働者の年収を超えている。坊やのお父さんは何をしているのかな。クルトは無職だと答える。君は立派な絵を描くんだよ。皆が立ち去ると、エリザベトはクルトの耳元で囁く。内緒だけど、私はこの絵が好きなの。クルトの父は党員になることを拒否して職を失い、クルトはドレスデンを離れて郊外の叔母の元に身を寄せていた。バスに揺られ帰宅する二人。三つ編みの女の子に会えなくて淋しい? 近くに住んでる職人さんに会えないのも淋しい。バスを降りると、エリザベトはクルトに荷物を預け、バスの車庫に向かう。運転手にお願いして、一斉に警笛を鳴らしてもらう。エリザベトはうっとりとした表情で聞き入り、その姿をクルトが見つめている。
エリザベトは町で総統を出迎える際、列の後方に控えていたが、エリザベトの美貌に目を付けた将校に命じられ、総統に花束を渡す役目を負わされる。クルトが寝ているとピアノの演奏が聞こえる。リヴィング・ルームに向かうと、服やナチスの旗が床に落ちている。ピアノを弾くエリザベトは、何も身に纏っていなかった。クルトに気が付くと、エリザベトは万物の原理が分かったと告げ、鍵盤でラの音を叩いてみせる。そして、テーブルの灰皿を手に取ると、テーブルに叩きつける。ラの音よ。灰皿で頭を叩く。ラの音。エリザベトの母(Ulrike C. Tscharre)と祖母(Johanna Gastdorf)が医師フランク(Sven Gerhardt)のもとに連れて行くと、統合失調症だと診断される。フランクは遺伝性の病気だが、血縁者に同種の病気や鬱病の者はいないかと尋ねる。二人は否定し、自宅療養ができるよう衛生局への通報もしないよう懇願するが、フランクは規定通り通報する。衛生局の担当者がエリザベトを精神病院へ収容するためにやって来る。エリザベトは抵抗するが、注射を打たれて赤十字の車両に乗せられる。騒ぎを聞きつけて表に出てきたクルトに、エリザベトは、真実から目をそらさないでというメッセージを残す。
1940年。ドレスデンの高名な産婦人科医で親衛隊に所属するカール・ジーバント(Sebastian Koch)は、対英戦に備えて病院の病床に余裕を持たせるよう、精神病患者に断種手術を行う際、余剰な者と判断すればピルナ=ゾンネンシュタインの安楽死施設へ送るよう指示を受ける。ジーバントのもとに断種手術のためにエリザベトが送られてくる。エリザベトは執務室に飾られた絵を見てジーバントの娘の絵だと判断する。かわいい娘さん。でも絵の才能は無いわ。私の甥っ子にはあるけれど。部屋の外で断種手術の抗議が行われ、ジーバントが対応に出る。その間、机の上の書類に目を通し、断種手術が行われることに気が付いたエリザベトは、総統のために子供を生んで兵士にすると言ってジーバントに縋り付くが、彼は聞く耳を持たない。処置のために彼女が連れ去られた後、電話で手術を他の医師に押しつけると、エリザベトの書類にピルナ=ゾンネンシュタインへ送るマークを記入する。クルトは、党員となった父のヨハン(Jörg Schüttauf)、母のヴァルトラオト(Jeanette Hain)、エリザベトの兄エーレフリート(Jonas Dassler)とギュンター(Florian Bartholomäi)らとともにエリザベトの入院する精神病院に向かう。だがエリザベトは転院したと告げられ会うことが叶わない。
1945年。爆撃機の騒音で目を覚ましたクルト(Oskar Müller)が表へ出ると、大量の銀色の薄片が舞っている。無線を遮断するために爆撃機から投下されたものだった。遠くに見えるドレスデンが赤い炎に包まれていく。
戦後、クルト(Tom Schilling)は絵の才能を活かして看板職人となった。父は党員になったことが災いし復職が叶わず、クルトの仕事場で清掃員をして糊口をしのいでいた。
画家のクルト・バーナート(Tom Schilling)が自らの画風を確立していくまでの半生を描く。ゲルハルト・リヒターがモデル。
ナチス・ドイツと東ドイツとで芸術に対する許容性がどれほど変わったのかという問いが投げかけられる。敗戦を経てナチスからドイツ社会主義統一党(SED)に変わったものの、全体主義に変わりは無い。その象徴がカール・ジーバント(Sebastian Koch)だ。クルトが彼によって肖像画を描かされるのは、指導者が国家の歯車として労働者への奉仕を強調しながら、実際には個人崇拝を求めている状況を表している。"ich"の主張を否定しつつ(ドレスデン芸術アカデミーのホルスト・グリマー教授(Hans-Uwe Bauer)は"ich, ich, ich"が口癖で、新しさだけを追い求める個人主義的な傾向に否定的に言及する)、他の特定の"ich"へと奉仕させられる矛盾。
クルトが初めてデュッセルドルフ芸術アカデミーを訪れるシーンが面白い。オープンキャンパスのようなイヴェントが開催されていて、ギュンター・プロイサー(Hanno Koffler)が「絵画は終わった」後の「西」の美術を紹介していく。全身に絵具を塗っている連中、的に向けて矢を放つ作品、廊下では黄色い絵具をつけた人物が紙の上を転がっている。アイデアが大事だというギュンター。ルチオ・フォンナもどきのキャンパスを切り裂くパファーマンスをする女子学生については、胸が大きいから赦す、と。
デュッセルドルフ芸術アカデミーのアントニウス・ファン・ファーテン教授(Oliver Masucci。『帰ってきたヒトラー』(2015)の総統を演じた役者だと全く気が付かなかった!)が素晴らしい。彼が何故、脂とフェルトしか用いないのか。自分とは何か、原点は何かという問いかけ。ちなみにヨーゼフ・ボイスがモデルらしいことは姿からすぐに分かったが、会田誠が自作で演じていたのが印象に残っていたため。
エリー(エリザベト)・ジーバント(Paula Beer)が一糸まとわず階段から降りる姿は神々しい。絵になるとはまさにこのことか。クルトの中で、エリザベト・マイ(Saskia Rosendahl)の姿は重ね合わされているだろう。
バスの警笛。ピアノの「ラ」の音。引き延ばされる音と、絵具を引き延ばす行為(スクイーズ)とが共鳴する。
クルトは、「誰か」が撮影した写真をモティーフにした絵画を思い立つ。作者の存在しない作品(Werk ohne Autor)。それは、自らの人生は、他の「誰か」によって成り立っていること、すなわち他人の生(Das Leben der Anderen)を生きていることに気付いたからこそ生まれたものだ。『善き人のためのソナタ(Das Leben der Anderen)』を監督したフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク(Florian Henckel von Donnersmarck)のテーマは明確だ。響き続ける音は"A(ラ)"。すなわち、Andere(他人)の頭文字。
『善き人のためのソナタ』のヴィースラー大尉に共感していたのは孤独からだとばかり思っていたが、芸術家でない者が芸術(家)に対する憧れるという構造が同じだったことに今さらながら気が付いた。