可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 山城知佳子個展『リフレーミング』

展覧会 山城知佳子個展『リフレーミング』を鑑賞しての備忘録
東京都写真美術館にて、2021年8月17日~10月10日。

5章10件で構成される、山城知佳子の個展。「起点―そこにある風景」では映像作品《BORDER》(2002)を、「私というメディア」では3点の映像作品《I like Okinawa Sweet》(2004)・《OKINAWA墓庭クラブ》(2004)・《あなたの声は私の喉を通った》(2009)を、「擬人化された風景」では映像作品《アーサ女》(2008)と、写真作品「コロスの唄」シリーズ(2010)・「黙認のからだ」シリーズ(2012)とを、「土の連なり、穴という回路」では映像作品《創造の発端―アブダクション/子供― 'A Piece of Cave 1-16'》(2015)・《土の人》(2016)を、「風景とからだ」では映像作品《リフレーミング》(2021)を、それぞれ展示している。

会場は地下1階の展示室。階段を下っていくと、途中にモニターが設置されている。洞窟(洞穴)を彷徨する男の映像が映し出されている。展示室に入る過程で、鑑賞者に「黄泉下り」を想起させる仕掛けになっている。展示室入口手前には、強い日差しの中、「フェンス」の前でアイスクリームを舐める作者の姿を捉えた映像作品《I like Okinawa Sweet》が上映されている。そのお天道様を拝んで、冥府の入口たる展示室の入口を潜る。墓庭で作家がひたすら踊る《OKINAWA墓庭クラブ》には墓(墓穴)が、そして、《BORDER》では墓とその「縁語」としての海岸やフェンスが映し出される。此岸から境界(海岸やフェンス)と、その向こうに広がる世界(墓=死者の世界=彼岸)を眺める。それは同時に彼岸(=死者)からの視点を獲得することになる。戦争の記憶の語りを作者が模倣する《あなたの声は私の喉を通った》が聞き手から語り手への変身する(なおかつ喉という「穴」を通過する)ことで、視点の転換(=リフレーミング)が行なわれたことを明快に示す。続く《アーサ女》では、海の中から海上や浜辺(地上)を眺め、《土の人》では死者や冥界を象徴する洞穴から外を眺めるのである。
《リフレーミング》では、沖縄の海で行なわれている埋め立て事業を題材に、人間から珊瑚(≒自然)へと視点のさらなる転換(=リフレーミング)が試みられる。石灰岩鉱床である岩山に珊瑚礁をプロジェクション・マッピングで現出させることでタイムスリップを鮮やかに行なう。人間の歴史の枠組みから、造礁珊瑚によって形成されるカルスト地形の地質学の枠組みへと準拠枠のタイムスパンを飛躍的に拡張しているのだ。ところで、代議制民主政治の下では、少数派に配慮した政策決定が不可欠である。さもなければ、少数派が多数派と同じ政府を戴くことは困難になるだろう。本作では、多数派の意向によって「少数派」に負担が押し付けられ続けている現状を「パンチドランカー」に喩えている。多数派の押しつけの力を少数派がそのまま跳ね返す策こそが希求されている。珊瑚を岩肌に投影するのも、海底から地上への反転が重ねられていよう。その他にも、天こ盛りのご飯(≒瑞穂の国)に「米」国発祥のチェーン店のフライドチキンの骨を突き刺すことで基地負担を表現するなど、「絵解き」の要素も多数盛り込まれ、見応えある作品となっている。