展覧会『美男におわす』を鑑賞しての備忘録
埼玉県立近代美術館にて、2021年9月23日~11月3日。
美少年・美青年を描いた絵画などの美術作品を特集。「第1章:伝説の美少年」、「第2章:愛しい男」、「第3章:魅せる男」、「第4章:戦う男」、第5章「わたしの『美男』、あなたの『美男』」の5章で構成。
展覧会のタイトルは、「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」という与謝野晶子の和歌の第4句から。
最初にタイトルを見た時、いいタイトルだなと思ったんです。作品に表されたものが「美男かどうか」は、作り手と受け手にレイヤーがあるじゃないですか。鎌倉の大仏にしても、作り手はある種の理想像として「仏」を作っているわけですが、その理想の造形と、与謝野晶子がそこに見出す「美男」の姿にはズレがある。晶子は表現されたものをそのまま受け取るのではなく、自分の中で主体的に愛しいものや美しいものに対する感情を喚起して、その感情を「美男」という言葉に込めているのです。(「特別座談会:美男はあなたの心のなかに」五味良子他編『美男におわす』青幻舎/2021年/p.12〔佐伯綾希発言〕)
冒頭には、サルバドール・ダリの絵画を連想させる、荒寥とした空間で繰り返される生成と消滅を描くような「武者絵」、入江明日香の六曲一双屏風《L'Alpha et l'Oméga》[102]が掲げられている。
「第1章:伝説の美少年」では、仏画に表されてきた稚児・童子(松元道夫《制多迦童子》[004]など)や、伝説的人物の肖像(蕗谷虹児《天草四郎》[006]など)を紹介する。少年が持つとされる無垢な精神は、聖性と結びつけられ、その儚さと相俟って価値あるものとして貴ばれてきた。そして、彼らを表現するに際しては、アトリビュートや端麗な容姿などが定番化していった。
「第2章:愛しい男」では、浮世絵などに描かれた若衆(陰間)を紹介するとともに、高畠華宵が表紙を手懸けた少年向け雑誌『日本少年』[044]を通じて近代日本の理想的男子像を見せる。金子國義や山本タカトの絵画、魔夜峰央のマンガなどもここで紹介される。
その後、華宵は仕事の場を『少年倶楽部』『少女倶楽部』(ともに講談社)や『日本少年』『少女の友』(実業之日本社)をはじめとする少年・少女雑誌に広げ、「抒情画」と呼ばれる新興ジャンルで活躍します。ただそこでも、華宵は自信の出世作である「中将姫」の顔のデザイン〔引用者註:「中将湯」の新聞広告で描いた、長いまつげで縁取られた切れ長の目と形の良い鼻、そして肉厚の小さな唇を特徴とする、作者の命名するところの「華宵顔」〕を少年と少女の顔に採用しました。性別を問わず華宵が同じ顔を繰り返し描き続けたのは、「華宵顔」が画家の偏愛の対象であったことにくわえ、少年・少女雑誌という新しい表現媒体で自らの作家性を打ち立てるためであったと考えられます。
では、読者の少年・少女たちは「華宵顔」をもつ身体をどのように理解していたのでしょうか。ここで注目したいのは、「華宵顔」が人気を博した雑誌がいずれも性別と年齢で読者を絞り込んだ媒体であることです。少年雑誌と少女雑誌という分類は、明治以降に整備されアジア・太平洋戦争の終戦まで続いた男女別学の教育制度と呼応しています。つまりこれらの雑誌は、私的な娯楽媒体でありながら、公教育を補完するものでもあったのです。
事実、少年雑誌と少女雑誌では読者に示されたロールモデルもはっきりと異なっていました。男子は「末は博士か、大臣か、また大将か」と社会的な活躍が期待されるいっぽうで、女子は「良妻賢母」になることだけが求められました。読者には「少年らしさ」「少女らしさ」の重圧がのしかかっていたとも言えるのです。だとしたら、少年と少女の奏法に平等に与えられる「華宵顔」は、読者とどのような関係を持ったのでしょうか。
(略)
華宵の全盛期に少年時代を送ったやなせたかしは華宵を「情感と官能を刺激する画家」と評し、「そのペン先から生まれた中性的な妖しさの漂う美少年・美少女は暗い時代の谷間に咲いた花のようにどんなにか心を酔わせただろう」と述べています。やなせの言葉には、当時の少年少女たちが「華宵顔」を支持した理由の一端が示されています。それは描かれた身体が私たちに与えてくれる自由さです。描かれた身体は、現実の身体を縛るくびきからも、それに基づいて社会から課される「らしさ」からも解き放たれています。だから私たちはそこに何を読み取っても、何を読み込んでもよいのです。そして、描かれた身体は応用にそんな私たちを受け止めてくれるのです。(石田美紀「男性を見ることを語る」五味良子他編『美男におわす』青幻舎/2021年/p.30-32)
「第3章:魅せる男」では歌舞伎役者を描いた浮世絵を紹介。
「第4章:戦う男」では、忠臣蔵(歌川国芳「誠忠義士傳」シリーズ[074])や源平合戦(安田靫彦《源氏挙兵(頼朝)》[090]などの日本画)をはじめ、武士・剣士・力士を描いた絵画を紹介する。
第5章「わたしの『美男』、あなたの『美男』」では、現代作家を紹介する。
竹宮惠子による『JUNE』の表紙(展示されているのは創刊号から14号まで)には、原則として一組のカップルが描かれている。
1978年、女性読者に向けて、男性同士の性愛物語に特化する雑誌『JUNE』が創刊されました。『JUNE』は竹宮の「少年愛」作品に呼応しながら、男性同士の性愛物語を「耽美」と呼ばれるジャンルとして作り上げ、来たる「ボーイズラブ」の土壌を耕しました。竹宮は創刊から長年にわたり『JUNE』誌の表紙イラストを手がけるのですが、この表紙については、同誌の企画者であり、編集長を務めた佐川俊彦が興味深い証言を残しています。
少年たちの絵が女の子と区別がつかないので、『JUNE』も世間では意外とすんなり通っちゃったようです。(中略)普通の男性からみれば、髪の毛が長くて、首が細くて、目が大きくて、マツゲが長ければ、女の子の絵だ、と見て思うわけです。みんなそれほど暇じゃないですから(笑)、普通の少女だと勘違いしたわけです。でも女の子にとっては、この絵は少年だったし、少年でなければならなかった。
佐川の証言から判明するのは、少女マンガの様式で描かれた身体の性別を作り手が想定した通りに受け取るためには、細部を読み取る技量が必要とされていること、そしてそれを身に着けるのは簡単ではないことです。作り手と受け手が様式を共有し、両者のコミュニケーションが円滑におこなわれてはじめて、描かれた身体の性別は確定されるのです。(石田美紀「男性を見ることを語る」五味良子他編『美男におわす』青幻舎/2021年/p.28)
𠮷田芙希子《風がきこえる》[109]は、襟を立て、首にスカーフを巻いた男性のプロフィールを巨大なレリーフとして表した作品。大首絵の末裔とも言えよう。髪の毛が浮かされることで吹き抜ける風が表現されている。白い壁面に飾られた白いレリーフは、色彩の欠如とも言える状態を生み出し、視覚の刺激を最小限に抑えることで、風の音を耳を澄まさせようとする。
木村了子《夢のハワイ− Aloha 'Oe Ukulele》[106]は、砂浜で寝椅子に横たわるアロハシャツの男性を描く。ティツィアーノの《ウルビーノのヴィーナス》やエドゥアール・マネの《オランピア》などに描かれてきた横たわる女性(裸婦)像の系譜を反転させるように、男性を眼差しの先に据える。
真っ暗な室内でストーブの前に立って煙草を手にする男を描いた井原信次《Afterimage》[118]は、蝋燭などに照らし出される人物を描いたジョルジュ・ド・ラ・トゥールを思わせる。
議論の中で外していったもののひとつが、筋肉隆々の「マッチョ系」の作品です。(略)それで改めて日本における美男の系譜についてつらつらと考えたんですが、光源氏も業平も、江戸時代の色男も、美術や文学においては顔以外の身体の美しさがほとんど描写されていません。衣装や持ち物、詠んだ歌、振る舞いなどがステキ、ていう評価。光源氏はそれに加えて、全ての女性を平等に愛する広い心とか、経済力とか、見た目ではない要素がプラスされています。つまり江戸時代までの日本には男性の肉体に「美」を見出す習慣がなかったのですが、明治以降に西洋絵画と彫刻が入ってきて意識が変わった。特にロダンの影響は大きくて、西洋に倣った「マッチョ系」の肉体表現が始まりますが、それまで日本人が考えていた「美」とは少し違う、「力」や「雄々しさ」という意味合いが加わった美意識なんじゃないかと思います。(「特別座談会:美男はあなたの心のなかに」五味良子他編『美男におわす』青幻舎/2021年/p.14-15〔川西由里発言〕)
衆道が扱われているにも拘わらず(あるいはそれがゆえに)、出品作品からは、去勢されている印象を受ける。より正確には、陰茎が切除された印象を受ける。その結果、「ペニス羨望」が印象づけられることになる。例外的に、全身骨格標本を肋骨の部分で頭に被せている、金巻芳俊 《空刻メメント・モリ》では、下着を身につけた股間の膨らみが表現され、男根の存在を示している。