可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 三田村光土里個展『人生は、忘れたものでつくられている』

展覧会『三田村光土里「人生は、忘れたものでつくられている」』を鑑賞しての備忘録
HIGURE 17-15 casにて、2021年12月4日~19日。

三田村光土里によるインスタレーション

展示の中心となるのは、青空を背景にサングラスをかけた作家と両親の肖像写真。それぞれ大きく引き延ばされて印刷された紙が、木枠から垂らす形で展示されている。また、木材やビニール・シートでできた四角いフレームが会場の随所に設置されている。空間を貫くパイプや梯子状のビニール・シート。天井から吊された円盤。積み上げられた『日本百科大事典』(小学館)や撒かれたようなスナップ写真。壁に貼られた手紙や日記。床には板や角材が散乱している。
入口から奥に向かって広がる展示空間は、奥側の床が高くなっているため4段ほど上がる必要がある。椅子の座面、吊された円盤、正方形の一辺を半径とする円弧を切り抜いた板、円形の板など円のイメージが散在する。円はレンズであり、波紋であり、何より穴であり通路である。「通路」は奥の壁面に設置された円形の白い照明(天井灯)へと繋がっている。鑑賞者の視線がそこに誘導されるのだ。照明のカヴァーには作家の少女時代の肖像が描かれている。少女が放つ光はインスタレーション全体をごく柔らかな光で包む。常に作家が手を加えているインスタレーションは、作者そのもののメタファーであろうから、幼少期が人生に影響を与えていることを示すものと言える。展示空間を貫くパイプは、時空を超えるワーム・ホールでなくて何であろう。また、百科事典もまた人生のメタファーだ。知覚・経験が集積して人間を形作るのだ。随所に設置されたフレーム群は、人生という百科事典の記事であり図版である。それぞれのフレームに何も収められていないことによって、忘れられた「記事」や「図版」が表現されている。ところで、「人生は、忘れたものでつくられている」として、その「忘れられたもの」とは失われたものではないだろう。例えば、歩くときに身体の一つ一つの動作を考えることのないように、「忘れられたもの」とは、意識に上るまでもない程度にまで血肉化(自己同一化)したもののことでないだろうか。同化して距離が失われるとき、対象を視覚で捉えることはできないのである。サングラスは不可視のメタファーであったのだ。