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芸術鑑賞の備忘録

映画『ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男』

映画『ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男』を鑑賞しての備忘録
2019年製作のアメリカ映画。
126分。
監督は、トッド・ヘインズ(Todd Haynes)。
原作は、New York Times Magazineに掲載されたナサニエル・リッチ(Nathaniel Rich)の"The Lawyer Who Became DuPont's Worst Nightmare"。
脚本は、マリオ・コレア(Mario Correa)とマシュー・マイコウ・カーナハン(Matthew Michael Carnahan)。
撮影は、エドワード・ラックマン(Edward Lachman)。
美術は、ジェシー・ローゼンタール(Jesse Rosenthal)。
衣装は、クリストファー・ピーターソン(Christopher Peterson)。
編集は、アフォンソ・ゴンサウベス(Affonso Gonçalves)。
音楽は、マーセロ・ザーボス(Marcelo Zarvos)。
原題は、"Dark Waters"。

 

1975年。ウェストヴァージニア州パーカーズバーグ郊外の自動車道。暗闇に蛍の光が浮かぶ。音楽を流しながら1台の車がやって来る。車は道から逸れて金網フェンスの前で停まる。3人の若者が車を降り、仲間の心配を物ともせず女性が真っ先に軽々と柵を乗り越える。投げ込まれたビールを受け取った女性が駆け出すと、2人の男もその後を追う。2人が服を脱いで暗い川に駆け込む。温かいね。2人は泳ぎ出す。岸辺に残った1人はビールを呷っている。何やってんだ! 怒声はボートに乗って近付いてきた作業員のものだった。ライトを照らして侵入していた若者たちを追い出すと、彼は水面に立った泡を除去するための薬剤を噴霧し始める。灯りを消せ! 男は同乗する若い作業員を叱り飛ばす。
1998年。オハイオ州シンシナティ。大手法律事務所タフト・ステッティニウス&ホリスターでは、弁護士のロブ・ビロット(Mark Ruffalo)が会議資料を準備していた。会議の冒頭、所長弁護士のトム・タープ(Tim Robbins)が大手企業の面々にロブを紹介する。パートナーに昇格したロブ・ビロットをお見知りおき下さい。環境の専門家ですよ。会議中、受付のキャスリーン・ウェルチ(Abi Van Andel Dar)がロブを呼ぶ。申し訳ありません。どうしてもお引き取り願えなかったので。ロビーで待っていたのは、デニムを穿きジャンパーを着てキャップを被ったいかにも農夫然とした2人だった。段ボール箱いっぱいのヴィデオ・テープを持った男(Bill Camp)がロブに訴える。隣の土地をデュポンが買って、穴を掘ってゴミを埋め出したら、うちの牛がバタバタ死んだんだ。このヴィデオを見たら分かる。地元の弁護士も役所もみんな相手にしてくれねえ。なぜ私のもとへ? あんた環境専門なんだろ。私は企業の弁護をしています。デュポンのような化学企業を守る立場なんです。なら俺のことを守ってくれよ。弁護士の紹介ならできますよ。ロブは立ち去ろうとするが、ウェストヴァージニア在住の祖母の知り合いだと言われて引き返す。男の名はウィルバー・テナント、もう1人は彼の弟のジム(Jim Azelvandre)だった。ロブを呼び戻しに来たトムは、この件はここだけの話にしておこうとロブに耳打ちした。会議が終わると、ロブはトムたちとは行動をともにせず、今まで通り、アソシエイト弁護士のカーラ・ファイファー(Louisa Krause)とジェームス・ロス(William Jackson Harper)とともに飲みに行くことにする。ジェームズはパートナーに昇格したロブをやっかんでエリート校出身じゃないことなどを論う。ロブは先に行っててくれと公衆電話に向かった。ロブが帰宅すると、妻のサラ・バーレイジ・ビロット(Anne Hathaway)は電話の最中で、あれこれと指示を出している。サラもかつて弁護士をしていたがロブとの結婚・出産を機に専業主婦になった。電話を終えたサラは食卓に着いたロブに明日タイルを買ってくるよう依頼する。翌日、ロブはウェストヴァージニアの祖母のもとへと車を走らせた。デュポン社の看板や横断幕が随所に掲げられた「城下町」。住宅街に入ると自転車に乗った少女がロブに微笑んでくれた。可愛らしい彼女の歯が痛んでいたのがロブの目に焼き付く。祖母はロブの突然の来訪に驚くとともに大いに喜んだ。電話に出なかったから来てみたんだ。最近は脚が悪くて電話に出るのも億劫でね。ウィルバー・テナントとは知り合いなの? 親しいというわけではないけどね。昔連れて行った農場の隣の人だよ。祖母はアルバムを取り出す。あの農場か、いいところだったなあ。乳搾りをさせたらずっと打ち込んでたの、あなたらしかったわねえ。それで、彼の依頼を引き受けるのかい? ロブはウィルバーの家へ向かう。ウィルバーはロブを家の中へ通すと、肥大した臓器や黒く変色して傷んだ歯、変形した蹄、頭部の腫瘍などを次々と見せた。農場に向かう。俺が文句を言ったら囲いを付けやがった。小川を渡る。流れに問題は無さそうですが。お前の目は節穴か! 石が白くなってるのに気付かんのか! 農場には2頭しか牛の姿が見えない。ウィルバーは斜面に築かれた沢山の塚を見せる。最初は1頭1頭埋めてたんだが、とても間に合わん。まとめて埋めるしかなくなった。何頭死んだんです? 190頭だ。隣はジムの農場だったが、病気になって手放さざるを得なくなった。デュポンが買い取って廃棄物を埋め始めたんだ。無害なものしか処分しないって話でな。衝撃を受けたロブは、帰りにオハイオ川沿いにあるデュポンのワシントン工場に立ち寄った。立ち並ぶ煙突からはもうもうと煙が出ていた。

 

シンシナティの大手法律事務所タフト・ステッティニウス&ホリスターの弁護士ロブ・ビロット(Mark Ruffalo)は、環境分野の専門性を武器に企業法務に従事していた。パートナーとなった矢先に、祖母の知り合いだというパーカーズバーグの畜産家ウィルバー・テナント(Bill Camp)から、デュポン社の杜撰な廃棄物処理のために河川が汚染されて家畜が死んだと訴えられる。業務上、デュポン社との付き合いもあるロブは戸惑うが、現地の惨状を目撃して考えを改める。まずは旧知のデュポン社の顧問弁護士フィル・ドネリー(Victor Garber)に環境保護庁(EPA)が行なった調査結果を入手してもらい、ウィルバーに届けた。ところが報告書に目を通したウィルバーは激昂する。そこには家畜の飼育の問題点ばかり列挙され、デュポン社の規制値違反の事実は一切認められていなかったのだ。ロブは不自然な報告書の謎を考えるうち、そもそもEPAが把握できていないために規制できない化学物質の存在に思い至る。その観点で改めて資料を読み込むと、"PFOA"という謎の化学物質が繰り返し登場することに気が付いた。

デュポン社は、自社の従業員による人体実験によってテフロン加工の際に用いられる化学物質の有害性を確認し、それによる地下水や河川の汚染を把握しながら、問題を放置し続けていた。なおかつ、役所、弁護士、化学者、獣医らを飼い慣らすことで問題が発覚しないように工作していた。ウィルバー・テナントは、デュポン社の廃棄物の埋め立て開始後、自らの飼養する家畜が異常な症状を見せて次々と死んでいくのを目の当たりにして、デュポン社の問題を見抜く。だが、デュポン社の企業城下町の住人たちは、デュポン社を相手取って争うウィルバーに対して辛辣な態度をとる。自らの健康が蝕まれているにも拘わらず。
弁護士ロブ・ビロットは環境分野を専門にしながら化学に疎い。それでも厖大な資料を丹念に読み込み、化学者に質問を重ねながら、徐々に真実に近付いていく。だがようやくデュポン社の不法行為の構造が把握できても、その影響が広範囲に及ぶため、疫学調査の分析にも、被害者個々の訴訟手続(被害の立証など)にも、厖大な手間と時間が必要とされる。地道な努力を積み重ねる以外、特効薬が無い。その苦みを鑑賞者はロブやウィルバーとともに味わうことになる。ロブの妻サラを演じたAnne Hathawayも、脚本を読んで巨悪を倒す痛快な展開を期待したが、そうではない、より現実的な展開であったとインタヴューで述懐している。
ロブが祖母の住まいに向かう際、車中で「カントリー・ロード(Take Me Home, Country Roads)」が流れる。同曲が流れる作品としては、映画『ローガン・ラッキー(Logan Lucky)』(2017)をお薦めしたい。