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芸術鑑賞の備忘録

映画『フラッグ・デイ 父を想う日』

映画『フラッグ・デイ 父を想う日』を鑑賞しての備忘録
2021年製作のアメリカ映画。
112分。
監督は、ショーン・ペン(Sean Penn)。
原作は、ジェニファー・ヴォーゲル(Jennifer Vogel)の"Flim-Flam Man: A True Family History"。
脚本は、ジェズ・バターワース(Jez Butterworth)とジョン=ヘンリー・バターワース(John-Henry Butterworth)。
撮影は、ダニー・モダー(Daniel Moder)。
美術は、クレイグ・サンデルズ(Craig Sandells)。
衣装は、パティ・ヘンダーソン(Patti Henderson)。
編集は、バルディス・オスカードゥティル(Valdís Óskarsdóttir)とミシェル・テゾーロ(Michelle Tesoro)。
音楽は、ジョセフ・ビタレッリ(Joseph Vitarelli)。
原題は、"Flag Day"。

 

ヘリコプターのプロペラとパトカーのサイレンが鳴り響く。逃走車を数台のパトカーが追跡している。パトカーから警察官が降りて、ライフルの発射を準備する。
1992年6月。連邦地方裁判所。ジェニファー・ヴォーゲル(Dylan Penn)が警察官(Tom Anniko)に部屋に案内される。ジェニファーの向かいに坐る連邦保安官のブレイク(Regina King)が説明を始める。あなたの父親は保釈中で、罪状認否の審理が月曜日に予定されていました。彼は現れませんでした。州警察は最善を尽しました。ブレイクは証拠物件を取り出す。これが何か分かりますか? 偽造紙幣だった。非常に高品質です。色は完璧で、紙質も良好。重量、透かし、金属加工、全てが精巧です。金属の埋め込みもあります。あなたの父親は6ヶ月で5万ドルを流通させました。5万ドル刷ったんですか。いいえ、5万ドルは流通させた分、印刷されたのは2200万ドルです。最大75年服役する可能性がありました。それ、触ってもいいですか? ジェニファーが偽造紙幣を手にしてじっと眺める。思わずジェニファーが溜息を洩らす。綺麗。ブレイクがジェニファーに語りかける。私の父は数え切れないほど死んだんです、注射器を使って、最後にはこっちが諦めざるをえなくなるよう、リハーサルを繰り返していたのでしょう。上手く対処できますよね? ジェニファーが目を閉じて、幼い頃の日々を思い返す。
麦畑の中に、カウボーイが腕を動かす巨大な看板が立っている。「ハッピー・ハイウェイ・ハリー」、絶品料理まで3マイルだって。幼いジェニファー(Addison Tymec)が父親のジョン(Sean Penn)に肩車されている。ルーフに荷物を載せた青い自動車。幼い弟のニック(Cole Flynn)。踊ったり煙草を吸ったりする母親パティ(Katheryn Winnick)。父親がハッピー・ハイウェイ・ハリーをメモ帳に描いて見せる。ハッピー・ハイウェイ・ハリーの動きを真似る母親と弟。
父は私たちの前に現われては消えた。承認欲求を満たしたいときにだけ姿を見せた。私は父の心遣いが大好きで、父も心からその思いに応えてくれたし、抛ちもした。記憶はぼんやりしたり閃いたり。幼い頃の特別な瞬間はまるでお伽噺で、私にとって父は王子だった。
自殺の方法はいくらでもある。選択の幅を考えると、1つ1つの自殺の方法が来し方を反映しているということになる。仮にこれが真実なら、父の最期は暴力的で壮観なものになるだろう。
1975年夏。街灯の無い道をジョンが運転している。みんな寝たか? 起きてるよ。後部座席のジェニファー(Jadyn Rylee)が運転席に身を乗り出す。前に来るか? ジョンはジェニファーを自らの膝の上に座らせる。ガソリン、ブレーキ、シフトレバー。困ったら、ここにいるから安心しろ。無理。何が? ブレーキが届かない。大丈夫、脚は十分長い。放っておかないで。運転を学ばないと。世界を知るにはそれしかない。気をつけろ、1時間でカーヴにかかるから。1時間? ハンドルを握るジェニファーの前に広がる暗闇に蜿々と直線の道が続く。
母は時に父のことをピーター・パンと言った。無謀で衝動的な意思決定でさえ父の剽軽な魅力によって非の打ち所の無い計画に思えた。当時、父は家族のために完璧を求めていた。日常生活の退屈さを新天地での思いがけない瞬間へ。父は返済の当てもない返済計画で農場を購入した。そこは荒れ果てた古い地所だったが、家族でずっと暮らせるように父と母が修繕する間、室内をショパンで満たしてニック(Beckam Crawford)と私を常に楽しませてくれた。しかし、配送のトラックが来る度、支払いを終える日の迎えることの無い家具が積み上がり、音楽とともにあった父の輝きも闇の中に沈んでいった。父が消え去る理由が1つ1つ増えていく。
ある晩、いつものような激しい夫婦喧嘩の後、父は荷物を抱えて出て行った。窓から覗く私の姿に父は軽く笑みを浮かべると、父はタクシーに乗り込んだ。タクシーは雪道を静かに出て行く。ショパン夜想曲第2番の調べとともに。

 

1992年6月。連邦地方裁判所で、ジェニファー・ヴォーゲル(Dylan Penn)は、連邦保安官のブレイク(Regina King)から、保釈中の父ジョン(Sean Penn)が公判期日に出頭せず、州警察による捜索・追跡が行われたと説明を受ける。父の起訴理由は偽造通貨行使罪。ブレイクは証拠物件の紙幣を示し、その卓越した精巧さを指摘する。ジェニファーは1枚を手に取らせてもらい、父の手業を眺めるうち、父との記憶が呼び覚まされた。
アメリ国旗制定記念日「フラッグ・デイ」生まれの父は、自分が特別な存在として成功する権利があると信じていた。父は突然荒れ果てた農場を買って一家で移り住むことにした。地所の購入代金の返済に家具や日用品の支払いが積み重なり、あっという間に家計は破綻、父は事業を理由に蒸発した。2人の子供と請求書の山とともに残された母親のパティ(Katheryn Winnick)はやがてアルコールに溺れた。ジェニファー(Jadyn Rylee)はニック(Beckam Crawford)は母親との生活に耐えられず、父と暮らす決断をする。伯父のベック(Josh Brolin)に、デビー(Bailey Noble)とともに暮らす父の下に連れて行ってもらった。楽しい新生活には常に借金取りの影がつきまとった。一家で湖畔の別荘で過した夏、父は借金取りによって血だらけにされた。姉弟は父によってパティの下に送られることになった。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

麦畑の中にぽつんと立つレストラン「ハッピー・ハイウェイ・ハリー」の看板。カウボーイの姿をしていて、ゆっくりと腕が揺れる。その廻りで過す家族の団欒。食事をしたり、肩車をしてもらったり、看板の動きを真似てみたり。何気ない1日。
幼いジェニファーは、ジョンにハッピー・ハイウェイ・ハリーの絵を描いてもらう。その絵は、家族の幸福の瞬間が存在したことの証で、ジェニファーは大人になってもロケットに入れて大切に持ち歩いていた。
「フラッグ・デイ」生まれの父は、自分が国民から祝福されるに値する、特別な人間であると信じている。だが目の前に広がるのは――かつて運転席にいる自分の膝に座らせた娘にハンドルを握らせたときのような――闇の中の1本道だ。ジョンは大きな成功を収められると闇雲に怪しげな事業に手を出しては失敗する。それもそのはず、彼の才覚は、洗濯で縮んだデニムのパンツを引き伸ばす棒を発明するくらいのものなのだ。だが、ジョンは、子供たち、とりわけ愛娘のジェニファーに対しては自分が偉大な父親であることを示したい。だから、失敗する度に娘の前から姿を消さなくてはならなかった。
あまりに極端な行動をとるジョンだが、彼の気持ちには誰しも思い当たる節があるのではないか。

むこうみず

今日も、川べりで
ささやく声をきいた
「きみはまちがっている」
ふりかえることも
なぜかと問うこともできないから
泣いてしまう
子どものころのように
しんとした水に石で挨拶し
いつばん遠い波紋を
いつまでも、いつまでも
みつめていた
おもしろいわけじゃないだろう
おれなんかのうしろに裸足で立って
草たちを笑わせている男
そいつが去り
こんどはおれが
だれかのうしろにそっと立つ
そんな物語に
どこからはいるのか
あと2つ、3つ
愉快な失敗をやらかして
思いもよらないところに波紋をおこしたら
わかるような気がして
名前を知らない草の上に
むぞうさに靴を脱いだ
まちがっている
でも、ものすごくまちがっているわけじゃないだろう
福間健二福間健二詩集』思潮社〔現代詩文庫〕/1999年/p.48)

ジョンは「まちがっている」としても、「ものすごくまちがっている」と断じることはできない。

ジェニファーのために高級車を購入した(手付けを払った)と見え透いた噓をつく父親。娘には父の噓が分かっている。そんば馬鹿げた噓を付くのはいい加減に止めて欲しい。けれど、愚かしければ愚かしいほど、かえってジェニファーはどこかで父親の愛情にほだされてしまうことを否めない。それがジェニファーにはつらいのだ。

「ハッピー・ハイウェイ・ハリー」の絵。それは、ジョンの対象を再現する才能を示すもの。ジェニファーが見抜いた、父の唯一の才覚。ジョンの大成功を収める野心と結びつくとき、それは通貨偽造となる。偽造紙幣は、繰り返される、偽物の成功の象徴である。