可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『スティルウォーター』

映画『スティルウォーター』を鑑賞しての備忘録
2021年製作のアメリカ映画。
139分。
監督は、トム・マッカーシー(Tom McCarthy)。
脚本は、トム・マッカーシー(Tom McCarthy)、マーカス・ヒンチー(Marcus Hinchey)、トーマス・ビデガン(Thomas Bidegain)、ノエ・ドゥブレ(Noé Debré)。
撮影は、マサノブ・タカヤナギ(Masanobu Takayanagi)。
美術は、フィリップ・メッシーナ(Philip Messina)。
音楽は、マイケル・ダナ(Mychael Danna)。
編集は、トム・マカードル(Tom McArdle)。
原題は、"Stillwater"。

 

オクラホマ州。トルネードの被災地で瓦礫の撤去作業が行なわれている。ビル・ベイカー(Matt Damon)は廃墟と化した住居の中で黙々と作業をこなした。終業時間を迎え、疲れ切った作業員たちが送迎バスに乗り込む。竜巻で町はめちゃめちゃだ。たしか前にもあったよな。俺たちが更地にしたらどうなるんだ? 建て直すんだろ。みんな戻ってくるのか? 戻る奴はいる。他は出てくさ。いいじゃねえか。変わるっていいことだろ。アメリカ人は変化を嫌うと思うがな。竜巻がアメリカ人の好みを気にするかよ。会話はビルの耳には全く入ってこない。スペイン語で話されているからだ。巨大な石油の掘削機が窓の向こうに立っているのを眺めていた。ビルは車で帰宅する途中、ファスト・フードのドライヴ・スルーに立ち寄る。いらっしゃいませ。チーズ・コニー・ドッグにマスタードとタマネギのトッピング、テイター・トッツのLサイズ、チェリー・レモネードのLサイズを。帰宅したビルは、テイクアウトした食事を並べたテーブルに座る。離れた位置にあるテレビの音声が聞こえてくる。主よ、食事や多くの祝福に感謝します。どうかアリソン(Abigail Breslin)を見守って下さい。アーメン。
ビルは石油掘削会社に向かう。就職面接のためだ。作業監督者(Jake Washburn)がビルに質問する。何処から? スティルウォーターです。最後にいたのはどこの掘削会社? ITAです。なぜ辞めた? 会社がリグを減らしました。雇用調整です。半年前に解雇されました。今はどうしてる? 建設現場で。しかし建設業界もずっと景気が良くありません。例の竜巻の瓦礫を撤去しています。
ビルは車を走らせ、義母の家へ向かう。鼻カニューレを付けたシャロン(Deanna Dunagan)は家の前で本を読んでいた。ビルが声をかける。このページを読み終わるまで待って。…もう1頁ね。2人は食卓を囲む。この食事とこの世のあらゆる善良に感謝します。アリソンを注意深く見守って下さい。就職できたの? いや。今朝面接を受けた。電話があったわよ、あなたの母親から。タンパに越したって。お金か何か要求された? いいえ。あなたについて尋ねてたわ。連絡なさいよ。やらなきゃならないことが沢山あってね。私の車検証取ってくれたの? ええ。家に。ずっと待ってて…。シャロンは車検証を手にしてビルに見せる。オンラインで手に入れたわ。何でもネットね。23ドルも請求するのはやめてもらいたいわ。俺が払いますよ。そういうことじゃないの。それは分かってる。ビルはシャロンからアリソンに届けるよう頼まれたものを確認する。その中には写真の入った封筒もあった。
ビルは空港に向かう。航空会社のカウンターでアトランタとフランクフルトでの2回の乗り継ぎがあることを伝えられる。ビルはアリソンへの土産物を買おうと売店に立ち寄った。オクラホマ州立大のアメフトのオレンジ色のTシャツを手にとる。ジュエリー・コーナーに「スティルウォーター」の文字をデザインしたネックレスが目にとまった。
マルセイユに到着すると、定宿であるベストウェスタンに直行する。受付係(Louise Desmullier)が確認する。2週間の滞在ですか。はい、そうです。キーをどうぞ。156室です。ありがとう。マネージャー(Alban Casterman)はビルに気が付いて、声を掛ける。お帰りなさいませ、ベイカー様。ベイカーが部屋へ向かうと、マネージャーが受付係に漏らす。私が伝えておいたのは彼のことだよ。例のアメリカ人女性の父親。
ビルは部屋の前の廊下で1人ボールを蹴って遊んでいる少女(Lilou Siauvaud)と擦れ違う。"Pardon." ビルは部屋に入る。夜、音楽の音で目が覚める。窓を開けると、隣のテラスでは2人の女性が楽しげに話していた。音量を下げてくれないか。眠りたいんだ。    1人の女性(Camille Cottin)が英語は分からないと言った。ミュージック、シルヴプレ! "Quoi?" ビルは諦めて窓を閉める。
翌朝、ビルは荷物を用意すると、刑務所へ向かった。

 

オクラホマ州出身のアリソン・ベイカー(Abigail Breslin)が、留学先のマルセイユでルームメイトを殺害した罪で懲役9年の刑を受け、現地の刑務所に収監されて5年が経過した。石油掘削会社で働いていたビル・ベイカー(Matt Damon)は失業し、竜巻の被災地の瓦礫処理などの日雇い労働を行なっていたが、娘に会うために再びマルセイユに飛ぶ。面会に訪れた父親にアリソンは弁護士のルパルク(Anne Le Ny)への手紙を密かに託す。手紙は真犯人の捜査を訴えるものらしい。ビルは早速ルパルクに接触するが、噂程度の信憑性の無い「証拠」では裁判所は審理を再開しないと門前払いを受ける。ホテルに戻ったビルは、部屋に入れないで困っていた少女マヤ(Lilou Siauvaud)を助けてやったことから、引っ越しのため隣室に滞在していたマヤの母親ヴィルジーヌ(Camille Cottin)と知り合う。フランス語で書かれた手紙の内容を知りたいビルは、ヴィルジーヌに英訳してもらう。そこには「真犯人」であるアキムという男などについて書かれていた。

以下では、全篇に触れる。

ビル・ベイカーは、真面目な労働者であることが、冒頭、瓦礫の中で黙々と作業する姿で示される。寡黙だが話すときには丁寧な言葉を用い、食事の前には祈りを欠かさない。それでもビルは失業している。家に帰っても誰もおらず、疎遠となった娘のアリソンはフランスの刑務所にいる。それは、ビルがかつて現在のような男ではなかったからだ。過去を掘り起こせば、酒に溺れた過去がある。祈りや言葉遣いは断酒と更生の過程で身につけたものだと推測されるのだ。ビルは8歳くらいの少女マヤに玩具のロボットを手土産に持って行くが、安物のロボットは簡単に壊れてしまう。そこで、ビルは簡単に直せると、ロボットの腕や足を取り付けてみせる。土産物の選択は、かつてビルが幼いアリソンの面倒を見ていなかったことを偲ばせる。また、掘削リグで働いていたビルが工具を使うのが得意であることをも示唆する(実際、ビルはヴィルジーヌの部屋の故障した備品を次々と直す)。さらには、ロボットは直せると示すことは、自らが更生できたように、娘の再起(冤罪の証明)や父娘関係の修復も可能であるとのビルの認識を象徴するものとなっている。実際には、人間関係はロボットのようには直せないのだ。
アメリカ人は変化を嫌うと、ヒスパニックの労働者が(スペイン語で)語る。そこでのアメリカ人とは白人のことだろう。ビルはアルコール依存症から更生し、かつこれから娘のアリソンとの関係を改善したい。表面上は、変化を望む白人である。だが、娘の事件の「真犯人」であるアキムを捜す過程で、次第にビルは自らの内部奥深くに埋まっていた性質を掘削していくことになる。象徴的なのは、アキムと顔見知りの可能性がある
バーの先代のオーナーで老人(Jean-Pierre Gourdain)と会う場面だ。アラブ系に対する強い反感を持っている老人は、アラブ系を連れてくれば誰でも見たことがある(すなわち犯罪者である)と裁判で証言してやろうと言う。通訳を担当したヴィルジーヌは気分が悪くなって会話を打ち切って立ち去る。だがビルはヴィルジーヌが不快になる理由を理解できない。その認識の差によって、実はビルが変化を嫌うアメリカ人(白人)であることが浮き彫りにされるのだ。なお、バーの現在のオーナー(Olivier Ho Hio Hen)はアジア系である。老人は変化を受け容れざるを得ない状況で生きている。
ラスト・シーンでは、スティル・ウォーターにあるビルの住まいの前で、ビルとアリーとが早朝、町を眺めている。アリーが「ここは何かも同じに見える。何も変わってない。でしょ?」と父に言うと、ビルは「いいや、アリー、全てが全く違って見えるよ。もう同じ場所だなんて分からないくらいだ。」と答える。ビルは、自分の思い描いた「現実」とはかけ離れた現実を突きつけられ、「変化」を認識せざるを得ない。だが、娘との認識の差を埋められないという意味では、娘の言うとおり、何も変わっていないのである。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」(『方丈記』)である。