展覧会『クリスチャン・マークレー「Voices」』を鑑賞しての備忘録
ギャラリー小柳にて、2021年11月24日~2022年2月26日。
マンガをモティーフとした作品で構成される、クリスチャン・マークレーの個展。
《Collective Emotion (1)》(592mm×840mm)は、様々なマンガから切り抜かれた叫ぶ顔あるいは口を80点程度、赤い台紙に貼り付けた作品。老若男女様々なキャラクターは3分の2程度がカラー作品、残りがモノクローム作品からのものである。10点ほど擬音語が描き込まれたものがあるが、他は驚きあるいは恐怖の表情を浮かべて大きく開かれた口、あるいは口のみが表わされている。口を大きく開けた顔が並ぶ画面は、赤い台紙と相俟って賑やかそうである。ところが、不思議と五月蠅くは無い。何故か。原則として矩形切り抜きは、サイズは区々であるものの、画面の四周に対して平行し、かつ「テトリス」のように画面をほぼ埋めている。その精緻さは昆虫標本を思わせるものがある。マンガのストーリーから切り離されることで、キャラクターがその生命を絶たれたことが、標本作りの結果として印象づけられる。額装された作品は標本箱となる。それが密やかさの理由である。密やかさは展覧会タイトルに冠した"Voices"にそぐわないのではないかとの疑問が湧く。しかし、やはりマンガから切り取った絵を貼り合わせたシート15枚から成る《No!》という作品が併せて展示されているのを見ると、浮かんだ疑問は解消する。マンガのスクラップ・ブックのような《No!》は、歌唱のための図案楽譜だからだ。イメージ自体は発声を指示するものであって声そのものではない。指示に従って歌唱することで声が聞こえるのだ。発声を待つ図案楽譜は、鑑賞者(解釈)の存在を待つ作品のアナロジーである。
「Toxic Talk」シリーズの3作品では、画面の左右の端にマンガから切り取られた顔が複数配され、やはりマンガから切り出されたロープなどの線が口からエクトプラズムのように出ている。お互いから伸びた線は重なり合いこそすれ(「輪唱=troll」か?)、決して相手に届くことはない(但し、"9 trolls"では1組だけ相互に線が届いている)。"troll"にはインターネット上で挑発的なメッセージを発する人を意味するため、画面はインターネット空間を、ロープはメッセージを表わすのだろう。インターネットという思想の自由市場において、良貨は悪貨を駆逐するだろうか。叫ぶ人物の目に叫び声の擬音語が突き刺さるコラージュ作品《Blinded by Fears》(418mm×297mm)は、タイトル通り、恐怖の余り状況が見えなくなっている人物を表わす。顔の下に散らばる、ジュアン・ミロの絵画を想起させるような弧や線は、吐き出された言葉であり、心を蝕む(toxic)ものでありうる。"toxic talk"を回避するためには、啓蒙(enlightment)により不安を除去する必要があることを伝えるようだ。