展覧会『大坂秩加「つぎはぎのうろこ」』を鑑賞しての備忘録
GALLERY MoMo Ryogokuにて、2022年1月15日~2月12日。
作者が考案したモノローグを戯曲として、それを語るに相応しい人に、それぞれノート、原稿用紙、手帳、割引券など場面を想起させる紙片に筆記してもらったものをテーブルに並べた「ライティング」公演と、同じモノローグに基づいた複数の場面を作者が1枚の絵画に描き上げた絵画による「ペインティング」公演との2本立てによる、大坂秩加の個展。
4枚のパネルを繋ぎ合わせた横に長い画面には、建て増しを繰り返した、様々な色のトタン波板やタイルで覆われた4棟の建物が、手前の直線の道路沿いに並んでいる。その生活臭溢れる建物のゴテゴテ感に比して、アスファルトやコンクリートでもない、生活感を全く感じさせないのっぺりとした地面は、建物の裏に続き、そこには地平線が覗いている。背景の夕空らしきものはその名の通り「ホリゾント幕」なのだろう。建物は書割である。中央付近には、ほぼ垂直に伸びる6本の柱が地面に立てられ、とりわけその1本にはオレンジ色の幕をかけるための支柱として用いられていることも、舞台装置の印象を高めている。バラック然とした建物はそれぞれ3~4階建てで、部屋ごとに壁の色や構造が大きく異なっている。それぞれの部屋では、どれもどこかしら現実から乖離したような女性たちの生活が表わされている。部屋の中、傘の陰で逢い引きを楽しむ女性たち、瓢箪のモビールを下げた部屋でくつろぐ妊婦、魚を巻き付けた裸の女性たち、ピザを取り合う女性たち。そこでは一体何が行なわれているのか、部屋(場面)ごとの元になっているモノローグ(全部で29ある)から想像しながら眺めていくことになる。例えば、畳で壁が塞がれた部屋では急峻な山岳の絵が2本の棒で張られ、布団に潜り込む女性の周囲には、干し柿の紐を左右の手にそれぞれ持った顔までエプロンで覆った裸の女性たちが描かれた場面は、「目を瞑って大きく息を吸うと、/身体が布団から剥がれなく/なって夜に落ちる。落ちた夜の/先でおこる奇妙な出来事を/毎晩楽しむようになってから、/もはやこの世界が本当で、/朝になると始まる現実の方/が夢であることを願う。/願っても朝は来てしまって、/大きく息を吐いてまた一日を/始める。」が「台本」となっている。また、湯気が充満した温泉ないし銭湯のような部屋では、湯の中に片脚を突っ込んで俯せに倒れた女性と、湯を囲む岩に座ったり凭れかかったりして彼女を眺めている4人の女性を描いた場面には、「わたし今っっても/傷ついてるんだからさ/もうやめてくれない?/塩をぬられて困って/るんですけど。/そんな追い討ち/かけなくったって/とっくに/瀕死ですよ!/瀕死!」というモノローグが充てられている。
1つ1つの場面と「台本」とは、確かに相関関係を認めることができるが、どこか摑みきれない焦れったさや、得たいの知れない不安を残している。それが後を引く。サザエの部屋の挿入は、映画『複製された男(Enemy)』(2013)に通じる仕掛けの面白さもある。だが、おそらく、本作の真骨頂は、屋根の上に上がって、クロワッサンの「カサカサ」を振りまいている女性の姿ではなかろうか。「クロワッサンを食べたあとにお皿に残る/カサカサを、サザーと口に流し込む瞬間!/あの一瞬の美味の美味しさのために/私はクロワッサンを食べるといっても過言じゃ/ないです。/なんかそんなクロワッサンのカサカサみたいなさ、/脳みそや身体中がしあわせでふるえるようなさ/時間を、どこかであなたも味わっています/ように。満たされながら生きていますように。」というモノローグの絵画化である。クロワッサンの「カサカサ」は、バターを挟んだ生地を繰り返し折り畳むことで生まれる。モノローグを絵画に練り込んだ作品の層構造こそ、クロワッサンのそれに等しい。本作の構造に自己言及する場面なのである。そして、「クロワッサンのカサカサみたいな」脳や身体が幸福で満たされる時間を味わうように「満たされながら生きていますように」と願掛けをしている。神饌としてのクロワッサン(そして、依代としての傘や柱)。本作が、奉納絵馬であり、奉納芝居であることの種(パン種?)明かしとなっているのだ。