可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 水上愛美個展『「Catharsis Bed」by 4649』

展覧会『水上愛美「Catharsis Bed」by 4649』を鑑賞しての備忘録
CADAN有楽町にて、2022年1月18日~2月6日。

塗り潰された部分や、壁に掛けられた場合に見えない画面の裏など、絵画における不可視の要素について探究する、水上愛美の作品展。ペインティング8点、ドローイング5点、オブジェ1点を展示。

《Mansion of happiness》の木枠に張ったキャンヴァスは、余った部分が周囲から垂れ下がっている。砂の質感を持つペーストや実際の砂を混ぜ合わせた塗料によって、ざらざらとした質感の下地に描かれているのは、左側に、ロープを伝って部屋に降りてきたような人物。部屋の床にはマグカップが倒れ、コーヒーであろうか、飲み物が溢れている。右手にはバケツをひっくり返したような形状のシェードを持つライトスタンドが光を放っている。画面奥のカーテンの明け放れた先にバルコニーの欄干があり、空の真正面中央に満月が掛かっている。人物に水彩のような青、ロープに緑、カーテンに朱、光の表現に黄が指されている他は、キャンヴァスやサンド・ペーストの色のままである。一部、釉薬のような光沢を持つ絵具が垂らされている。作品は黒い支柱に取り付けられ、ガラスの壁面を通して、会場の外から裏側を見ることができる。そこには部分的に画布が張られ、俯いて立つ人物と、その傍に降りてきた蜘蛛が布と板とに跨がって描かれている。
《Waiting for a great day Ⅱ》は板に描かれた作品。画面の上部の空を表わすと思しき青や、画面下部の足などが覗く。作品の中心となる、サンド・ペーストを塗った最前面の層には、石あるいは煉瓦を敷き詰めた床を1本のロープを右手に摑んだ3人の人物が歩いて行く姿を右側から捉えて描いている。三者は似たような風貌、体格、出で立ちで、彼らを導くものはロープではなく、それぞれの目の前でひらひらと揺れている「何か」であるようだ。画面中央には青空を覗かせる丸い穴が穿たれているが、3人は見向きもしない。「青い鳥」がすぐ傍にいることを示すメタファーであるようでもあり、あるいは「青い鳥」がその穴から飛び去ったことを表わすのかもしれない。画面の裏側には、顔を覆ってベッドに横になる人物と騎乗の人物とが向かいあうように斜めの位置に配して描かれている。
《Sweet dream》には、ベッドに横たわる人物が手前(画面下部)に描かれる。枕元に立つライトスタンドの明かりは消されている。彼が夢見ている内容なのか、彼の頭上には小さな円が立ち上るように3つ描かれ、その先の暗がりの中には、さざ波の立つ浅瀬から布か紙を取り上げる長い髪の人物がレモン色の光の中に表わされている。画面の裏側には、顔を持つ花と、その上に2つの手が翳されている様が描かれている。
《blindfold》には、右手を額に当てた、椅子に腰掛ける人物が中心のモティーフ。足元にはマグカップが倒れて中身が溢れ出している。人物の脇に立つライトスタンドは明かりが消えているが、部屋は明るい。この「黄色い室内」の背後には何かが描かれている。それが何であるかは判然としない。
《BLOOM》は、繰り返し塗り直された壁のような画面に、長い細首を持つ花器い活けた花と、それに向き合う人物が描かれている。花と花瓶に対して人物は小さい。それでいて、人物の手と足の比率が極めて大きい。アルファベットや槍のようなものも描き込まれているが、それが何を表わすのかは判然としない。

パネルやキャンヴァスに、砂や砂の質感を持つ画材を用いた「地」が作られている。その「地」は何度か塗り重ねられ、最前面の主たるモティーフの背後にある存在を、塗り残しによって顕わにしている。次々ともたらされる新しい情報に、今までの話題は掻き消されていく。情報の量とその伝達速度の問題か、あるいは観衆の目を欺く奇術師のトリックのような意図的な操作かは、情報の波に呑み込まれていく。《Waiting for a great day Ⅱ》に表わされるように、ネットを構成するロープ(≒ライン)にしがみついた人物たちは、見開かれた目を見ることを目論まれたものにしか向けない。あるいは、《Mansion of happiness》において、ロープ(≒ライン)にしがみ付き(足が地に着いていない)、蛾のようにランプに飛びつこうとする人物は、「外にも出よ」とばかりに煌々と輝く満月を見ようとしないのだ。《blindfold》のように、明かりを消して、自らの内部を覗き込む。すると、《Sweet dream》のように、自分の中から浮かび上がるものがある。絵画における不可視の要素について探究する絵画は、目に見える形で、見えないものに目を向けることも訴えている。…と、つい表面的な解釈してしまうことこそ忌むべきだと諭す作品であるかもしない。