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芸術鑑賞の備忘録

映画『流浪の月』

映画『流浪の月』を鑑賞しての備忘録
2022年製作の日本映画。
150分。
監督・脚本は、李相日。
原作は、凪良ゆうの小説『流浪の月』。
撮影監督は、ホン・ギョンピョ。
照明は、中村裕樹。
美術は、種田陽平と北川深幸。
装飾は、西尾共未と高畠一郎。
衣装デザインは、小川久美子。
ヘアメイクは、豊川京子。
音響は、白取貢。
音響効果は、柴崎憲治。
編集は、今井剛。
音楽は、原摩利彦。

 

人気の無い公園。花柄のワンピースを身につけた少女(白鳥玉季)が一人ブランコを漕いでいる。ブランコに飽きたのか、少女は近くのベンチに座って『赤毛のアン』を読み始める。隣には赤いランドセルが置かれている。頁に雨粒が落ちてきた。次第に雨脚が強まるが、少女がベンチから動く様子はなかった。雨に打たれる少女に気が付いた青年(松坂桃李)が少女に傘を差し掛けた。朴訥な青年は家に帰らないのか尋ねるが、少女は家に帰る気がなかった。…うち、来る? 少女は青年の顔をゆっくり見上げると、頷く。雨風が強まる中、2人は青年の家に向かう。
少女がベッドで目を覚ます。日が射し込み、カーテンが揺れている。傍では青年が少女の姿を見詰めていた。少女は戸惑う。死んだみたいに眠っていたから。青年が謝る。ずっと眠れなかったから。少女が答える。青年は「佐伯文」と名乗った。「文さん」と言う少女に「文」でいいよと告げる。少女は「家内更紗」だと自己紹介した。「更紗ちゃん」と言う文に「更紗」でいいよと注文する。
夕食にアイスクリームを出された更紗は、アイスクリームを食べていいのか、文に尋ねる。食べたいと言ったから出したんだよ。夕食にアイスクリームは食べさせてもらえなかった。更紗の父は亡くなって、母は彼氏とどこかで暮らしている。更紗は叔母の家に引き取られていた。
ベッドに横たわって『赤毛のアン』を読んでいた更紗は、机に向かっている文に背後から近付き、エドガー・アラン・ポーの詩集をくすねる。一度は文に取り返されるが、再び更紗が本を取り上げると、諦めた文が、更紗にはまだ分からないよと言いつつ、一編の詩を朗読してやる。子供の頃からずっと、他の人たちと同じじゃなかった、見えてこなかった、他の人たちと同じようには…。
ピザをとらせてアニメを見たり、ビー玉やら何やらで部屋を散らかしたり、風呂場で1人で水浴びをしたり。更紗は文の部屋で自由気儘に振る舞った。ある日、テレビで10歳の少女が公園で遊んでいる姿を目撃されたのを最後に行方不明になっているとのニュースが流れる。更紗の雲隠れは、誘拐事件となっていた。帰りたいならいつでも帰っていい。文の言葉に、更紗は帰りたくないと答える。叔母の家では、皆が寝静まった後、叔母の中学2年生の息子が更紗の寝床に忍び込んで、嫌がる更紗の体に触るのだった。ただ文が困った立場に立たされていることは更紗にも分かっている。いいの? 良くは、ない。
更紗が文とともに湖に出かけたとき、2人は警察官に囲まれた。更紗は文から引き離され、文は逮捕された。
ファミリー・レストラン。ホール・スタッフの家内更紗(広瀬すず)が料理をテーブルに運んでいると、高校生のグループが15年前の少女誘拐事件の犯人逮捕の動画で盛り上がっていた。休憩時間、更紗は外の空気を吸おうと屋上に出る。喫煙していた安西佳菜子(趣里)が更紗にも勧める。更紗は一口吸ってひどくむせる。久しぶりだったんで。…すいません、本当は吸わないんです。だと思った。
更紗がマンションに戻り、段ボールを抱えて部屋に入る。更紗は夕食の支度に取りかかる。同棲相手の中瀬亮(横浜流星)が帰宅する。汗だくだと言いながら抱きつこうとする亮に、更紗は体を拭かせる。亮の祖母から荷物が届いたと伝えると、具合が悪いらしいから日曜日に会いに行こうと更紗を誘う。更紗が日曜日はシフトが入っていてと断ると、休日は合わせるって約束したじゃないかと領は更紗を非難する。急に入れなくなった人がいたのと言い訳する、更紗。
日曜日。更紗はファミリー・レストランの女性の同僚の飲み会に参加した。いつも誘っても来ない更紗がいるのを皆が珍しがる。同居人の面倒を見なくちゃならないからよ。あら、あなたそんなプライヴェートな話、家内さんとしたことあるの? 店長(三浦貴大)と話してるの聞こえちゃったのよ。同棲相手に束縛されていると指摘された更紗が、私のことが心配なんだと思いますと言うと、一同は微妙な空気になる。先に抜けた更紗に佳菜子も付いてきた。旦那に生活支えてもらって、集まれば人の噂話ばかり、いい身分だよね。私なんか、夜のバイトも掛け持ちして子供育ててんのにさ。佳菜子はアンティーク・ショップの上にある雰囲気の良さそうなバーが気になっていると、一緒に飲み直そうと更紗を誘う。1階のアンティーク・ショップは閉っていて、2階の店はカフェだった。コーヒーでも飲んでいこうと佳奈子に言われ店に入った更紗は店主の姿を見て動揺する。隠れ家のような薄暗い店を切り盛りしているのは、間違いなく、佐伯文その人だった。

 

家内更紗(広瀬すず)は、ファミリー・レストランの同僚・安西佳菜子(趣里)と偶然立ち寄った喫茶店で、店主が佐伯文(松坂桃李)であることを知る。15年前、母親に捨てられ、叔母夫婦の家に引き取られた更紗(白鳥玉季)は、従兄から性的虐待を受けて、家に帰れないでいた。その更紗を匿ってくれたのが文だった。文との間に性的な関係は一切無く、全幅の信頼を置いていたが、文は女児誘拐犯として逮捕されてしまった。今、更紗には自分に好意を持ってくれた中瀬亮(横浜流星)という同棲相手がいたが、更紗は文の喫茶店に通うのを止められなくなる。

本人や当事者にしか分からない事情があり、誤解されても知られたくない秘密がある。他人の詮索や誹謗中傷に傷つきながらも、否、傷つくからこそ、更紗と文とは2人にしか分からない思いを大切に生きていくのだろう。とりわけ、更紗が自分のことを可哀想だと同情されることを否定しようとする姿が印象に残る。そのとき、警察で従兄から受けた性的被害を訴えることができず、結果として文の行為を正当化できなかったという拭いがたい後悔の念に更紗は襲われているのだ。
主演の広瀬すず松坂桃李とが更紗と文とを実在させて見事であった。少女時代の更紗を生き生きと演じた白鳥玉季は広瀬すずを髣髴とさせる声や面立ちで(逆も又然り)15年の懸隔を繋いで説得力があった。横浜流星が一方的な思いをぶつけるDV男になりきった。
これぞ映画という美しい画面。更紗が滞在する文の部屋に入る日射し、風にそよぐカーテンといった身近なものが掛け替えのない貴重なものに見える。雨風が強まる中、橋(川)を渡る場面の雲と日射しの動きであるとか、文と恋人との後を追って更紗が横断歩道を渡るときの信号の切り替わりであるとか、タイミングも計算され尽していた。
文の母親(内田也哉子)が発育不全の若木を引っこ抜くという演出も明快で見事。