可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『PLAN 75』

映画『PLAN 75』を鑑賞しての備忘録
2022年製作の日本・フランス・フィリピン・カタール合作映画。
112分。
監督・脚本は、早川千絵。
脚本協力は、ジェイソン・グレイ(Jason Gray)。
撮影は、浦田秀穂。
照明は、常谷良男。
録音は、臼井勝。
美術は、塩川節子。
スタイリストは、岡本華菜子。
ヘアメイクは、宮内三千代。
音楽は、レミ・ブバル(Rémi Boubal)。
編集は、アンヌ・クロッツ(Anne Klotz)。

 

老人ホーム。椅子や車椅子や杖などが通路に散乱している。銃声がする。最後まで生き残っていた入居者が斃れる。若い銃撃犯はゆっくりと館内を歩いて回る。老人の生活を支えるために若者は過剰な負担を強いられている。国のために死ぬことよしとする価値観を踏まえた制度設計がなされて然るべきだ。若者は飲み物で心を落ち着けると、散弾銃の銃口を自らの頭部に向け、躊躇うこと無く引き金を引く。
老人ホーム襲撃事件が後を絶たない中、満75歳を迎えた者が死を選択できる制度、通称「プラン75」の導入を政府が打ち出した。根強い反対もあったが、遂に「プラン75」法が国会で成立する。
ホテルの廊下。角谷ミチ(倍賞千恵子)がカートからリネンを取り出して客室に入ると、同僚の牧稲子(大方斐紗子)はため息をつきながら清掃に当たっている。体調悪いの? 病院は? 恐くて行けないよ。休憩時間、高齢の客室清掃スタッフ4人が控え室のテーブルを囲む。お菓子割れちゃってるわ。食べたら同じよ。角谷が切った林檎を仲間に差し出す。
角谷が1人アパートに帰宅する。誰もいない暗い部屋。まずは帰りに買った食材を冷蔵庫にしまう。1人でとる夕食。テレビではクイズ番組が始まったが関心は無い。静まりかえった部屋で食事をとりたくないだけだ。洗い物を終え、爪を切る。切った爪は観葉植物の鉢に捨てる。
市役所。順番を待つ人たちが椅子に腰を降ろしている。5番が呼ばれるが窓口には誰も姿を現わさない。岡部ヒロム(磯村勇斗)が寝ている老人に声をかける。5番でお待ちではないですか? 果たして男性は5番の番号を持っていた。歩くのに不安があると見てとるや岡部は車椅子を用意する。少し距離がありますから。岡部は老人の体を支えて車椅子に乗せてやる。岡部は「プラン75」担当職員。個室で女性の相談に応じる。彼女のパンフレットにはいくつも付箋が。すごい勉強されてるんですね。聞きたいことが沢山あるの。支度金、10万円もらえるんでしょ? 何に使ってもいいの? ええ、自由にお使い頂けます。旅行でも美味しい食事でも何でもどうぞ。ご褒美みたいなものね。葬儀費用に充てるって方もいらっしゃいますけど。それじゃ、つまんないわね。そうそう、合同プランってどんなもの? 提携している火葬場と霊園がありまして、そこで皆様ご一緒に火葬・埋葬させて頂くプランです。これなら全て無料でご利用頂けます。死んじゃったら分からないものね。他の方と一緒の方が寂しくないと言う方もいらっしゃいます。女性は無料のプランを気に入り、その場で登録を決める。
高齢者介護施設。マリア(ステファニー・アリアン)はお茶を出したり、足を洗ったり、次々に業務をこなしている。洗濯機が作動している間、マリアはフィリピンにいる娘に電話する。注射を打ったという娘に電話を父親と替わってもらい、娘の病状について手術が必要な状況か確認する。
角谷は検診会場の待合室で、他の高齢者たちと自分の順番を待っている。そこに設置されたモニターでは「プラン75」を紹介する映像が流れている。キャッチコピーは「未来を守りたいから」。生まれる時は選べないけれど死ぬ時は自分で決められると、高齢の女性が明るい表情で訴える。1人の男性がリモコンを操作して映像を止めようとするが止められない。苛立った男は電源コードをコンセントから抜いて、映像を消してしまう。

 

満75歳を迎えた者が死を選択できる「プラン75」が導入された近未来に日本。78歳の角谷ミチ(倍賞千恵子)に身寄りは無く、ホテルの客室清掃の仕事をしながらアパートで一人暮らしをしている。仲のいい同僚の牧稲子(大方斐紗子)が職場で倒れたことをきっかけに、高齢のスタッフが一斉に解雇される。アパートの解体も重なり、角谷は仕事と住まいを同時に失うことになった。部屋を借りたいが収入のない角谷には貸し手がいない。仕事をしたいが高齢の角谷を採用する職場はない。生活保護を受けたらいいとの不動産屋のアドヴァイスには従う気は無かった。角谷は交通誘導の仕事を始め、住まいを確保することができた。
市役所の福祉課所属の岡部ヒロム(磯村勇斗)は「プラン75」を担当し、市役所に相談に訪れる高齢者に対応するだけではなく、公園などで「プラン75」を周知するキャンペーンを行なっている。ある日、相談窓口に20年近く会っていなかった叔父(たかお鷹)が姿を現わす。
心臓の病気を抱える娘のためにフィリプンから日本に出稼ぎに来ているマリア(ステファニー・アリアン)は、高齢者介護施設で懸命に働いていた。娘の手術が早急に必要になったマリアは、フィリピン人コミュニティの教会を頼った際、高収入の政府関連の仕事を紹介される。

冒頭、入居者全員が殺され、銃撃犯も自殺した高齢者福祉施設から、曇ったガラス越しに外の景色が映し出される。高齢者福祉施設は超「超高齢社会」日本のメタファーであり、不透明な未来の果てに「誰もいなくなった」ことを暗示する。
角谷がホテル清掃の同僚で友人の牧の家で一緒に夕食をとる。ゆっくりしていけとの牧の言葉に甘え泊まることになった角谷は、夜、眠る牧の手に自らの手を重ねる。深い皺の寄る手は作中で象徴的に何度か表わされるが、ここでは、生活のために必死で働く孤独な高齢者たちの連帯を象徴するものである。そして、昼間の青空を背景に背した(桜の?)細い木の枝へと、手(ないし指・血管)のイメージがつなげられる。それはベンチから空を見上げた岡部の見ている景色であり、岡部が高齢者を相手にしていることを示す。しかも、彼は市の管理する公園のベンチで誰も眠ることができないように「排除アート」施工の下見に来ているところなのだ。この流れにより、角谷と牧との関係が断たれることが仄めかされている。
客室清掃の職を解雇された角谷は、自分の使っていたロッカーから自分の持ち物を取り出すと、丁寧に磨くのみならず、ロッカーに向けて両手を合わせて感謝を示す。角谷にとっては、客室清掃スタッフとしての自分の墓(標)である。のみならず、手を合わせるという動作は文化である。死とは無であると考えるなら全く意味のない動作であるが、その挙措は精神に働きかけることはできる。人間もまた死の後は廃棄物と捉えるべきなのか。「プラン75」の寒々しさは、文化や精神が一切存在しない、裸の合理性が生むものだ。そこには物質があるのみで、人間の姿はない。それが「誰もいなくなった」世界である。
交通誘導の仕事に当たる角谷のベストに取り付けられた赤い照明が点滅する。エネルギーを失ったウルトラマンのカラータイマーのように見える(余談だが、映画『シン・ウルトラマン』では、カラータイマーは採用されていない)。