可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『母へ捧げる僕たちのアリア』

映画『母へ捧げる僕たちのアリア』を鑑賞しての備忘録
2021年製作のフランス映画。
108分。
監督・脚本は、ヨアン・マンカ(Yohan Manca)。
撮影は、マルコ・グラツィアプレーナ(Marco Graziaplena)。
美術は、ジョナタン・イスラエル(Jonathan Israël)。
衣装は、ナディア・アシミ(Nadia Acimi)。
編集は、クレモンス・ディアール(Clémence Diard)。
音楽は、バシャール・マーカリーフェ(Bachar Mar-Khalifé)。
原題は、"Mes frères et moi"。

 

南フランスの海岸。幼い女の子が海に入ってバケツに水を汲んでいる。波間にはサッカーボールが浮かんでいる。
砂浜では男たちが裸足でサッカー・ボールを蹴り合っている。ヌール(Maël Rouin Berrandou)はコンクリートの堤防に座って、アベル(Dali Benssalah)、モー(Sofian Khammes)、エディ(Moncef Farfar)の3人の兄たちが仲間とサッカーに興じているのを眺めている。明日から夏休み。暑くなる。学校を辞めると言おう。勉強なんて役に立たない。仕事を探して、見つからなければ、サッカーをすればいい。ヌールは隣に座っている少女に声をかける。地元の子? 電話に夢中の少女は生返事。正直言うとさ、暴力的なスポーツは嫌いだよ。君はサッカーは好き? 彼女はやはり生返事。ただし、サッカーは嫌いではないらしい。倒されたエディがPKだと騒ぎ始めた。脚を狙われたと訴えるが仲間たちに聞き入れられない。憤慨したエディはボールを取ると遠くへ蹴り出して立ち去る。
膨らんだ大きなチェックのレジャー・バッグと水のボトルを抱えたヌールが、道すがら時折団地の住人と挨拶を交わす。帰宅したヌールは、スイカを食べながらPCに向かう。廊下にスピーカーを置くと母親(Fadila Djoudi)の部屋に向けてオペラを流す。よく毎晩聞けるな。モーは髪を整え、鍛えた身体を見て満足すると、どこぞへと出かける。アベルが現れ、音量を下げるようヌールに注文し、レジャーバックのユニフォームはこれだけかと確認する。ヌールはそうだとしか言いようがない。アベルから夏休みの予定を聞かれ、社会奉仕活動に参加しなくてはならないことを伝える。アベルはピザ屋で働くようヌールに言いつける。エディに使い走りをさせられると訴えると、エディが命令してきたら告げ口するように言い含める。
炎天下、少年たちが待っていた停留所に黄色いバスが停まる。バスが向かったのは中学校。ピエトロ(Luc Schwarz)の監督で、建物の修繕や清掃などの作業が、TIG(社会奉仕活動)のロゴ入りの黄色いビブスを身に付けた少年たちに割り当てられる。3時間後に確認しにいく。俺を怒らせるようなことをしたら2ヶ月延長だからな。ピエトロは少年たちを持ち場に散らす。ペンキと脚榻を抱えたヌールは校舎の階段を上がっていく。偶然自分の通っている学校だったので勝手は分かっていた。はしゃぐ柔道着を着た生徒たちと擦れ違う。ヌールは脚榻に上り、壁に白いペンキを塗っていく。
部屋で寝たきりで意識のない母親を、訪問看護のスタッフらとともに、アベルとモーが世話している。シーツを替え、身体を動かす。看護師(Corinne Blanc-Faugère)は在宅ケアは負担だろうと病院での看病を勧める。伯父のマニュ(Olivier Loustau)が費用を出すからと入院を熱心に勧めていたが、自宅で看取られたがっていた母親の意志を尊重して、アベルは首を縦に振らない。
ヌールが壁にペンキを塗っていると、オペラが聞こえてくる。ヌールが脚榻を教室の前に運んで、窓から中を覗き込むと、 小さなモニターにパヴァロッティの独唱が映し出されていた。ヌールは巡廻していたピエトロに見つかり、脚榻から引きずり下ろされる。廊下での騒ぎに、夏期講座で歌唱を担当するサラ(Judith Chemla)が教室から姿を表わす。ピエトロはお騒がせしたと謝罪し、社会奉仕活動で校内の修繕を行っているので問題があればお知らせ下さいと告げる。再び脚榻に上って作業しているヌールのもとにサラが現れる。

 

南フランスにある海辺のリゾート地。中学生のヌール(Maël Rouin Berrandou)は、団地の1室で、アベル(Dali Benssalah)、モー(Sofian Khammes)、エディ(Moncef Farfar)の3人の兄たちと、意識がなく寝たきりの母親(Fadila Djoudi)と暮らしている。アベルは出所のいかがわしいスポーツ用品を販売し、モーはリゾート・ホテルに潜り込んで男女問わず身体を売っているが、自宅で看取られたいと望んでいた母親の介護に熱心だ。薬物を売り捌くエディは、意識がなく死期が迫る母親に労力と金を注ぎ込むのは無意味だと寄り付かない。ヌールは毎晩、眠っている母親にオペラを聴かせている。大好きだった曲を聴けば意識が戻るかも知れないからだ。ヌールは夏休みだが、ピエトロ(Luc Schwarz)の監督の下、社会奉仕活動に参加しなくてはならない。たまたま自分の学校の修繕が割り当てられたヌールは、作業中、パヴァロッティの歌声に誘われてサラ(Judith Chemla)の教室を覗く。声楽家のサラはオペラに関心を持つヌールを自らの夏期講座に参加させることにする。最初は躊躇していたヌールだが、母親の愛していたオペラへの興味と、何よりサラの熱意と優しさに打たれ、奉仕活動や兄たちの使い走りの合間を縫って歌唱教室に熱心に参加するようになる。

四人兄弟で一番年下のヌールは、兄たちに適わない。力で捩じ伏せられてしまう。冒頭で波間に浮かぶサッカーボールは、兄たちに翻弄されるヌールの象徴である。父親は亡くなり、末っ子を甘えさせてくれるはずの母親は、病気のために意識がない。
ヌールは奉仕活動で自分の通う学校に向かう。夏休みではしゃぐ楽しげな生徒たちを尻目に、自分は一人黙々と修繕作業を行うことになる。脚榻を抱えて階段を上るヌールの姿は、十字架を背負いゴルゴダの丘を登るイエスのようだ。そんなヌールの前に、聖母のようなサラが姿を現わす。ヌールの喜びやいかばかりだろう。
サラと女子生徒しかいない教室は、カーテンによってピンク色の光に包まれている。白い無機質な廊下で一人黙々と作業をこなし、そしてピエトロに作業の中断を見咎められてどやされるヌールにとって、サラの教室は聖母と天使たちの楽園である。彼我のあまりの落差に、サラから誘われた当初、ヌールは教室に足を踏み入れることさえできない。
これ以上何を求めよう、彼女は僕を愛してるのだから。「人知れぬ涙(Una furtiva lagrima)」は、サラから愛情を注がれるヌールの心情を伝える。同様に、デュエットである「乾杯の歌(Libiamo ne'lieti calici)」は、ヌールとサラの歌となる。
ろくでもない兄弟たちだが、それでも彼らが時折見せる愛情や優しさにほだされ、彼らを憎むことはできない。
ヌールは、町を出て、伯父のマニュのように社会的に成功するかも知れない。そして、兄たちと母と過ごした、サラに歌のレッスンを受けた、二度と戻らない夏を、いつの日か懐かしく思い返すことだろう。そんなヌールの夏の記憶のように、胸に焼き付く作品である。