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芸術鑑賞の備忘録

映画『線は、僕を描く』

映画『線は、僕を描く』を鑑賞しての備忘録
2022年製作の日本映画。
106分。
監督は、小泉徳宏
原作は、砥上裕將の小説『線は、僕を描く』。
脚本は、片岡翔と小泉徳宏
撮影は、安藤広樹。
照明は、太田宏幸。
録音は、赤澤靖大。
美術は、五辻圭。
装飾は、前田亮。
ヘアメイクディレクションは、古久保英人。
ヘアメイクは、吉田仁美。
スタイリストは、新崎みのり。
サウンドデザインは、大河原将。
編集は、穗垣順之助。
音楽は、横山克

 

神社の境内。神楽殿脇には展示用のパネルが並んでいる。大学生の青山霜介(横浜流星)が1枚の絵の前から動かない。霜介の目に涙が浮かぶ。表装された色紙ほどの画面には、紅白の椿がモノクロームで描かれていた。脇には千瑛と記されている。
楽殿の舞台にいた西濱(江口洋介)が霜介を呼ぶ。霜介は、友人の古前巧(細田佳央太)に誘われて展示設営のアルバイトに来ていたが、巧の姿はない。設営しながら西濱が霜介に尋ねる。学生なんでしょ、何勉強してるの? 法律です。スゴいねえ。将来は弁護士とか? いいえ、何にもならないです。なれないんじゃなくて、ならないのか……。人って、何かになるんじゃなくて、何かに変わってくもんかもね。水墨画の展示を観るの初めて? 初めてです。ここの宮司さんの取り計らいで展示させてもらえたんだ。……あの、先ほどセンエイ[千瑛]という人の椿の絵を見たんですけど。 センエイ?
君だけでも来てくれて良かった。設営が一段落したところで西濱から労われ、弁当を食べて行けと言われた霜介が控え室の茶店に向かう。アルバイト用と書かれた段ボールから弁当を取り出そうとするとはみ出したケチャップでべっとりと手が汚れてしまった。そこへ髭を蓄えたグレーヘアの洒落た紳士(三浦友和)が現われて霜介に白いハンカチを差し出す。躊躇する霜介の手にハンカチを載せると、こっちにしようと来賓用のステーキ弁当を取り出し、霜介に手渡す。弁当を食べ始めると、医者に止められててねと紳士がステーキを譲ってくれる。2人が食事をしながら話しているところへ西濱が慌てた様子で顔を出す。ここにいらっしゃったんですか。開始時間を下げようと思って。やっぱりチアキ[千瑛]が臍を曲げているみたいで。西濱は霜介に目を留めると、君がいたかと笑みを浮かべる。ステーキ弁当最高でしょ、と紳士も霜介に手伝うことを承服させる。
楽殿の前には大勢の人が集まっている。観客の中に川岸美嘉(河合優実)を見付けた巧がその隣に入り込む。すごい人だね。紹介したバイトは? 巧はすっぽかしたらしい。舞台に上がった司会者が挨拶をしてイヴェントがスタートする。……それでは、篠田湖山先生です。シノダコザン? 知らないの、今年文化勲章受章したでしょ。廻廊を通り和装の篠田湖山(三浦友和)が舞台に向かう。スタッフとして舞台脇に控えていた霜介は、先ほどの洋装の紳士が水墨画の巨匠その人だったと知って驚く。縦6尺、横36尺は優にありそうな白い画面の前に立った湖山は、1本の筆を取ると一気に紙に走らせる。細い筆、刷毛のような幅広い筆など次々と持ち替え、時には布で墨を拭う。多彩な墨の線が次第に鷹や松の具体的な姿を取り始める。観客は息を呑んで湖山の筆捌きと画面を見詰めている。滝を見晴るかす松と、そこから飛び立とうと羽を広げる鷹の図が完成し、落款をした湖山が頭を下げる。万雷の拍手。司会者がインタヴューしようとしたところ、湖山は舞台の脇にいた霜介に歩み寄る。私の弟子になってみない?
西濱の運転するピックアップトラックの助手席に霜介が座っている。霜介は美術雑誌の湖山の記事を眺める。湖山先生の弟子は全国にいるけど内弟子は少なくてね。堅苦しいもんじゃない、家族みたいなもんだよ。……僕にはもったいないです。先日のハンカチの御礼に来ただけです。
湖山の屋敷は歴史のありそうな立派な日本建築だった。玄関に入った途端、強い匂いに包まれる。墨の匂いに初めての人はみんな驚くんだ。西濱が霜介に説明する。いらっしゃい。湖山が姿を現わす。先日はありがとうございました。霜介は建物のあちらこちらに感嘆の眼差しを向けながら、湖山の後を追って2階に上がる。襖で仕切られていない広い畳敷きの和室。筆を始め沢山の道具が置かれている。湖山は轆轤に載せた器に絵付けをしている。ケチャップがどうしても落ちなかったので一番近いものを探して来ました。霜介が白いハンカチを湖山に差し出す。ハンカチを受け取った湖山は轆轤と器を脇に置き、机の上に紙を載せる。よく見てて。湖山はスッ、スッと筆を走らせ、いとも容易く花の絵を描き終える。これは春蘭。シュンラン? この絵には私が教える全てが入っている。これで大抵の絵が描ける。弟子ではなくて湖山墨絵教室に入会するというのはどうかな? 湖山は筆を霜介に差し出す。……僕にはできない。できるかできないかじゃなくて、やるかやらないか。霜介は筆を取り、湖山の手本を見ながら筆を動かす。……やっぱり、すいません。筆の持ち方が綺麗だ。えっ? 湖山は手本として描いた春蘭に「其馨若蘭」と賛を入れると、紙ならいくらでもあると大量の紙を霜介の前に置く。
西濱が様子を見に2階に上がると、湖山が縁側の椅子で居眠りする中、霜介が懸命に紙に向かって筆を走らせていた。西濱はほくそ笑むと静かに階段を降りていく。
霜介が絵皿を洗おうと広い建物の中を徘徊していると、1階でやっと流しを見付ける。流しのある部屋では真剣に薔薇を描く女性(清原果耶)の姿があった。彼女の姿と描き出す絵に見惚れていると、彼女は千瑛と落款した。センエイ! 誰? すいません、勝手に覗いてしまって。あなたがお弟子さん……。このタイミングで弟子を取るなんて私への当て付けに違いないわね。そこへ湖山が姿を現わす。私の生徒に画材道具を見繕ってやってくれ。

 

大学生の青山霜介(横浜流星)は神社境内で行われる水墨画展の設営のアルバイトをすることになった。霜介は展示されていた1点の椿の絵に激しく心を揺さぶられる。西濱(江口洋介)の指示に従って仕事を終えた霜介が控え室で親切な紳士と弁当を食べていると、神楽殿で行われるイヴェントの手伝いを急遽西濱に頼まれる。司会者に呼び込まれ舞台に姿を見せた水墨画の巨匠・篠田湖山(三浦友和)は、霜介が遭遇した紳士その人だった。大画面に大胆かつ繊細に松鷹図を描き上げる湖山に観客は息を呑む。落款をし頭を下げた湖山に惜しみない拍手が送られる中、湖山は唐突に舞台脇に控えていた霜介を弟子にスカウトする。後日、霜介は、食事の際に渡されたハンカチの礼のため、西濱の案内で湖山の屋敷に向かう。湖山の弟子は多いが内弟子は僅か、家族みたいなものだと西濱に諭されるが、霜介はなおさら自分には分不相応だと思う。霜介には家族を見捨て失った苦い過去があった。湖山は弟子を固辞する霜介に墨絵教室の生徒ではどうかと持ちかけ、手本となる春蘭図を描いてみせる。何も無い画面に瞬時に花が咲く妙技に心を奪われた霜介は、促されるままに写し始め、すぐに没頭する。絵皿を洗おうと屋敷内を徘徊した霜介は湖山の孫娘・篠田千瑛(清原果耶)に出会す。彼女こそ霜介の心を鷲摑みにした椿の絵の作者であった。新進気鋭の水墨画家としてメディアでも注目される千瑛は斯界最高の栄誉である四季賞を狙っていたが、同賞の審査員長を務める藤堂翠山(富田靖子)に酷評されて以来思うように描けなくなり、そんな彼女を突き放す祖父・湖山との関係も悪化していた。霜介が湖山の指導を受けるようになった話を聞いた友人の古前巧(細田佳央太)は、美貌の千瑛に指導を仰ぎたいとはしゃぎ、川岸美嘉(河合優実)とともに水墨画サークルを起ち上げる。巧には霜介が家族のトラウマから解放される場を作ってやりたいとの思いがあった。

(以下では、冒頭以外の内容についても触れる。)

冒頭、青山霜介が立ち尽くし、動けなくなっている姿が映し出される。彼を釘付けにしたのは椿の花の絵である。椿は霜介の実家の庭にあり、かつてその手入れも手伝った馴染みの花であった。椿は家、家族の象徴である。霜介は家族と仲違いしたまま家を出て、そのまま永遠に離ればなれになってしまった。そのために家族を見捨ててしまったという思いに囚われている。椿に「霜」が降りれば花は傷もう。冒頭のシーンは、霜介の苦境を描き出したものである。
篠田千瑛の描いた椿の花には命が宿っていたと霜介は直感した。その姿を目にした篠田湖山は霜介の鑑識眼に期待をかけ、弟子になるよう声をかける。入門を固辞する霜介に、できるかできないかではなく、やるかやらないかだと励ます。紙ならいくらでもあると告げるのは、筆を入れるのは命を生み出すのに等しいと直観している霜介に、たとえ命を奪うことになってもやり直すことはできると伝えるためだ。
もっとも霜介が描くのは、湖山の手本であり、鉢植えの花である。千瑛が薔薇の切り花を描いているのとは対照的である。霜介は命を奪うことができない。そのために霜介の花には命が宿らない。藤堂翠山はそれを看破する。だからこそ西濱は食事(や食材の準備)を通して、日々命を奪って生きていることを霜介に伝えようとするのだ。
霜介は自らに縁のある場所を訪れ、同行した千瑛から落ちていた椿の花を示されて初めて、死は生であることを感得することになるだろう。
テーマは良い。出演陣はいずれも魅力的なキャラクターを体現していたことを強調しておきたい。その上で、描き込み過ぎで筆が流れてとめが無く、水墨画のような余白が活かされなかったストーリーが残念である。また、ある意味では主人公と言える水墨画に全く魅力を感じなかった。安っぽい作品に辟易した。スクリーン越しに魅力が伝わらなかっただけであろうか。とりわけ、水墨画を通して生死を伝えることをテーマにしつつ、白い画面に線を入れる緊張感が全く伝わってこなかったのは致命的だった。
湖山会展覧会で湖山の代役が急遽公開制作を行うシーンが典型的だが、画家の自意識が前面に出て自慰行為に見えてしまう(そもそも筆がファルスであり、白い紙に線を描き入れることは、性行為に擬えられうる)。もっとも、これに関しては、場内に政治家や芸能人を始めスノッブな連中が溢れていたため、その当て擦りであったと解釈すべきかもしれない。