可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『グリーン・ナイト』

映画『グリーン・ナイト』を鑑賞しての備忘録
2021年製作のアメリカ・カナダ・アイルランド合作映画。
130分。
監督・脚本・編集は、デビッド・ロウリー(David Lowery)。
原作は、『サー・ガウェインと緑の騎士(Sir Gawain and the Green Knight)』。
撮影は、アンドリュー・D・パレルモ(Andrew Droz Palermo)。
美術は、ジェイド・ヒーリー(Jade Healy)。
衣装は、マウゴシャ・トゥルジャンスカ(Malgosia Turzanska)。
音楽は、ダニエル・ハート(Daniel Hart)。
原題は、"The Green Knight"。

 

高い塔のような建物の暗い内部空間。丸い天窓から光が漏れる。
さあ、見るが良い。地球の誕生以来最も多くの脅威を秘めた世界を。君臨した全ての者の中に、石から剣を引き抜いた少年ほど名声を得た者はいなかった。
壁の高い位置に穿たれた丸窓から光が射し込む。その先には玉座があり、王笏と宝珠を手にした王らしき人影がある。空中から王冠がゆっくりと降りて行く。
だが、これはその王ではない。彼の歌でもない。
王冠が玉座の人物の頭部に達した途端、激しく燃え上がる。
代わりに新たな物語を聞かせよう。語りを聞いたままに話すつもりだ。書簡で伝えられ、歴史に留められた勇敢かつ大胆な冒険。心に、石に、永遠に刻まれた、古のあらゆる偉大な神話のように。
小雪が舞い散る。教会の鐘が鳴り渡る。住居が建ち並ぶ中にある、壁で囲われた家畜の飼養場。馬、アヒル、山羊、羊などの姿がある。近くの家屋の屋根裏部屋の窓から炎が見え、煙が立ち上る。徐々に火勢が強まり、人の叫ぶ声が聞こえる。扉を開けて男女が飼養場に入ってくる。女は馬に乗り、男は剣を取り出す。
飼養場の向かいに立つ娼館。寝穢く眠りこけたガウェイン(Dev Patel)。突然エセル(Alicia Vikander)に水を掛けられ、眠りを覚まされる。キリストが生まれる。啞然とするガウェイン。キリストが生まれる、確かにね。ガウェインがエセルに抱きつく。エセルは身を躱し出ていく。ガウェインが服を身に付けながらエセルの跡を追う。そこら中に娼婦と客の姿がある。何処にいくの? 教会。どうして。俺のブーツはどこだ? 騎士にはなれたの? 何だって? 騎士になったの? まだ。時間はある。おい、エセル! 急いで! ここにいよう。エセルに抱きつこうとして転ぶガウェイン。起きて。いや、まだ準備が整っていない。
ガウェインは厩舎に向かい愛馬のグリンゲロットに乗る。鐘の音が鳴り響く中、大勢の人が教会に向かって歩いている。ガウェインはエセルを見付け、わざと通り過ぎる。ガウェインは馬を止め、エセルを待ち、彼女の手を取る。ガウェインはエセルを乗せて馬を進める。
城館。城壁の階段を登り、城内に忍び込むガウェイン。見咎めた母親(Sarita Choudhury)が尋ねる。どこに行っていたの? ミサだよ。お前がミサに? そうだよ。一晩中? そうだって。ブーツはどうしたの? 何だって? ガウェインは母親の質問を遮ろうとキスをする。ミサの香りが漂っているね。一晩中聖餐を頂いていたの? 愛してるよ、母上。ガウェインは自室に戻るとベッドに倒れ込む。だが、思い直して身嗜みを整え始める。そこへ母親が姿を現わす。身支度は? 今年はお祝いする気分じゃないのよ。でもクリスマスだよ。クリスマス、ご馳走、嬉しい知らせの数々。出かけてはしゃぎなさい。そして、そこで目にしたものを教えなさい。
王城。ガウェインが足を踏み入れると、既に多くの人で賑わっている。吹き抜けになった謁見の間。壁の高い位置にある丸窓からの弱い日差しも、暗い城内では眩しい。奥には玉座があり、王(Sean Harris)と女王(Kate Dickie)の姿がある。
塔の外にある螺旋階段を侍女が登っていく。塔内ではガウェインの母親が秘術を行おうと坐っている。到着した侍女は母親に耳打ちする。
王城では侍従長(Chris McHallem)がガウェインに近付き、王がお呼びだと伝える。杯を飲み干してガウェインが王の前へ進む。母親はどうした? 気分が優れないのです、陛下。こちらへ来て坐りなさい。朕と王妃の間だ。私の場所ではありません。確かに。今日は構わん。その場所の主は不在なのだ。しかもその主が何時戻るかなど誰も知らぬ。そなたに会えて満足だ。近くに家族がいるのは嬉しいものだ。血族のな。陛下の騎士たちは陛下の名の下に十分な血を流し、私などよりも確かな紐帯があります。その通り。だが、そなたは我が妹の息子だ。妹の腹から出てきたな。騎士たちは違う。今日この場にいる友人どもに気を配っておる。詩。どんなミューズでさえも口にしたり夢見たことのないような。だがそなたに目を向けると、朕に何が見える? そなたが誰かは分かる、だがそなたの何を知ろう。非難するのではない。残念なのだ。これまで隣に座らせなかったことや、生まれた時に抱かなかったことがな。しかしクリスマスだ。絆を深めたい。だから陽気になる前に、朕に贈り物をするのだ。そなた自身の物語を聞かせよ。そなたのことが分かるかもしれぬ。王の言葉に、しばし考え込むガウェイン。お話しすることが何もございません、陛下。まだ、でしょう。女王がガウェインを慰める。そなたはまだ話すことを持っていないのです。周囲をご覧なさい。何が見えますか? ガウェインは円卓に集う騎士たちの姿を見回す。伝説が見えます。その中で無為に過ごしてはなりませんよ。王が立ち上がる。友よ。兄弟たち。姉妹たち。この祝福された日に朕のためにパンを分けてくれたことに感謝する。朕は今朝窓から見た、そなたらの手によって形作られた土地を。そなたらは同じ手をサクソン人に襲いかかった。今や彼らはそなたたちに怯え、嬰児のように頭を垂れる。平和。そなたらがそなたらの王国にもたらした平和。平和の中にあるのだ。王は円卓の騎士たちの前を歩く。朕はそなたらに告げる。朕は今日ここにあって至福である。なぜならばそならに囲まれておるからだ。キリストの降誕を祝する前に、彼の御名において偉大な業績を上げた者の1人を讃えよう。ゆえに物語、あるいは見せ物。そなたらは何を持っておる? 朕と王妃をそなたらの神話や詩篇で楽しませてはくれぬか?
ガウェインの母親は塔の中で秘儀を執り行い、手紙を認める。彼女が封蠟した手紙を宙に差し出すように浮かべると、燃え上がる。その灰が落ちると、そこから一瞬にして植物が生える。
突然王城の門扉が開き、馬に乗った騎士(Ralph Ineson)が姿を現わす。騎乗したまま玉座に向かって行く騎士に対し、円卓の騎士たちが立ち上がり剣を抜く。待て。王は司教(Donncha Crowley)に視線を投げ掛け、侵入者を受け容れるべきとの判断を得る。王が招き寄せると、騎乗の全身が緑の人物は手紙を王に差し出す。王妃が手を伸ばし王に代わって手紙を取ると、封蠟を折って手紙を読み上げる。その声は王妃のものではなく、何者かが乗り移ったものだった。偉大なる王よ、心地よいクリスマスの遊戯で我を楽しませよ。そなたの騎士の中で最も勇敢で手に負えない心の持ち主を登場させ、武器を取らせ、名誉を持って我に一撃を加えさせよ。我を傷つけた者は誰でも我が武器の権利を手に入れよう。それは栄光であり、富はそなたのものだ。だが、その者には果たさねばならぬ義務が生じる。一撃を加えるなら、1年後のクリスマスイヴに北へ6泊の旅をして緑の礼拝堂に我を訪ねなければならぬ。その者は我を見付け、膝を屈し、我に一撃を食らわせることが定めとなる。頬のかすり傷でも喉の切り傷でも、我に与えられたものをお返ししよう。そのとき信頼と友情の下、離別を迎えることとなる。それでは、我と手を合わせるのはどなたかな? 王妃は卒倒し、落ちた手紙は燃え上がる。王が緑の騎士に向かって問いかける。この挑戦はそなた自身のものか? この円卓を跳びこえてそなたと手を合わせたいと願っても、身体が言うことを聞かぬのだ。ここにいる者たちの中にこの騎士に立ち向かう者がいるはずだ。円卓の騎士たちは皆顔を合わせるばかり。そのとき、ガウェインが名乗りを上げた。

 

クリスマスの朝、ガウェイン(Dev Patel)は娼館でエセル(Alicia Vikander)に起こされる。教会にエセルを送り届けた後、ガウェインは密かに城館に戻るが、母親(Sarita Choudhury)に見咎められる。ガウェインは身支度を整え、王城に向かう。謁見の間には円卓の騎士たちを始め、多くの人がクリスマスの祝宴に集っていた。王(Sean Harris)はガウェインを近くに招き、妹の子でありながら疎遠だった関係を改めたいと、ガウェイン自らを知るための物語を所望する。だが、ガウェインにはこれと言って語るべき事柄が無かった。王はガウェインに代わり、伺候した騎士や親類縁者に物語を求めると、突然騎乗のまま全身緑色の騎士(Ralph Ineson)が姿を現わす。司教(Donncha Crowley)の判断を仰ぎ緑の騎士の謁見を許した王は、手紙を差し出される。王に代わり手紙を受け取った女王(Kate Dickie)は何者に取り憑かれたように読み上げる。クリスマスの余興に、最も勇敢な騎士に武器を取らせ、我と一戦を交えさせよ。一撃でも与えられた者には我が武器の権利を与えよう。但し、1年後のクリスマスイヴに北にある緑の礼拝堂を訪ね、我によって報復の一撃を食らわせられることが定めとなる。王は自らは衰えていると参集した円卓の騎士たちに手合わせを促すが、顔を見合わせるばかり。そのとき、ガウェインが私がと名乗りを上げ、王から剣を授けられる。緑の騎士は斧を床に置き、戦う姿勢を示さない。ガウェインは躊躇した後、思い切って彼の首を切り落とす。緑の騎士は自ら首を拾い上げると、高笑いをして王城を去る。
ガウェインが遊蕩している間に1年が過ぎ去った。王に促され、ガウェインは緑の礼拝堂を目指すことにする。エセルから鈴を受け取り、母親から護身の呪力の籠められた緑色の帯を受け取ると、1人愛馬グリンゲロットに跨がり、北へ向かう。

冒頭から、カメラを固定した映像を配し、わずかな動き(変化)に目を向けさせるなど、静的なイメージを随所に組み込むことで、14世紀の物語絵巻を立ち上げる。
目的地(緑の騎士の待つ緑の礼拝堂)は決まっていながらその前途に何が待ち受けているかは分からない(最後には死が待ち受けている、人の生のメタファーでもある)。鑑賞者はガウェインとともに暗中模索することになる。
ガウェインは素直な性格である。王に自らの物語を語るよう求められて、何も語ることがないと白状する。それは、エセルも認める彼の長所である。そして、正しいことを行おうとしながらも、困難にぶつかればその度に心が大きく揺れ動き、迷う。それでも行動しないことによってもたらされる悪い結果を想像し、それを回避すべく行動に出ることでより良い未来を手に入れようとする。
放蕩生活を送っていたガウェインは空虚であった。彼が歌うべき自分の物語はない。タブラ・ラサである。彼が緑の礼拝堂を目指す旅路で遭遇する劇的な出来事の数々は、そのまま彼の人生であり、歌われるべき物語として掻き込まれることになる。
序盤で、ガウェインの母親の執り行う秘儀が物語の展開に重ねられることによって、ガウェインや周囲の人々にもたらされる不思議な出来事も必然のように感じられる仕掛けになっている。
緑の騎士が決闘を申し込みながら、自らは武器である斧を床に置いてしまう。ガウェインが攻撃を躊躇してしまうのもやむを得ない。無抵抗の者に攻撃することは残忍であり、それが策略であればひっかかることになってしまうからだ。
ガウェインの母親によって召喚された緑の騎士は、植物(生命)の象徴である(緑の騎士が王城に姿を現わすとき、母親の秘儀において植物が生える)。人は植物や動物の生命を奪って生きている。人もいずれ死を迎え、生命のサイクルに組み込まれる。死を想起すること(メメント・モリ)により、生を充実させよというのが、ガウェインの母の願いであろう。
素直なガウェインにリアリティを与えたDev Patelに、何より心の揺れを抱える人物がはまる真田広之に近しいものを感じたのは私だけだろうか。
ベリーショートのためか、エセルがAlicia Vikanderだとは全く気付かなかった。