可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 今津景個展『Mapping the Land/Body/Stories of its Past』

展覧会『今津景個展「Mapping the Land/Body/Stories of its Past」』を鑑賞しての備忘録
ANOMALYにて、2021年10月2日~11月7日。

絵画、鉄線による平面的なイメージのモビール、絵画を消去するインスタレーションで構成される、今津景の個展。

《Artificial green by nature green 2.0》(バグース・パンデガとの共作)は、緑の濃淡によって描かれた熱帯雨林の絵画の前にレールを敷き、そのレール上を水を垂らしながら絵筆を画面に擦り付ける機械が移動することで、密林のイメージが徐々に消去されていく様子を見せる作品。絵画の左脇には鉢植えのアブラヤシがあり、その茎に取り付けられたパッチからコードが延びて、絵画除去装置に接続されている。アブラヤシが発した電流を動作に影響させているらしい。(糖を生成するのに水素が必要なため)光合成で光を利用して水からプロトン(水素イオン)を取り出す際、電子が流れる仕組み(2H2O→O2+4H++4e−)を利用しているのだろうか。差し当たり仕組みを等閑に付して結果だけ見れば、アブラヤシによって、密林が消されるという構造が浮かび上がる。そして、絵画を消している幅広の刷毛ではなく、敢て5本の絵筆が並べられているのは、人間が「工作人(Homo Faber)」と表現される所以である手のイメージを再現するためであろう。人間がパーム油を取るために、オランウータンの生息地でもあるジャングルを燃やしてアブラヤシ農園へと変貌させている状況を訴えているのだ。「手」を緩めること無く、淡々と消去作業を続ける機械の姿が恐ろしい。

天井からは、鉄の線を折り曲げたり溶接したりして作成した平面的なイメージのモビールが吊されている。トラの顔を表した《トラ》や骨盤を表した《骨盤》などもあるが、後述する《母疲れ》や《戦い》など物語性のある作品も見られる。黒染加工による(?)鉄線は黒色を呈していて、影を連想させる。作品の物語性と相俟って、インドネシアの影絵芝居「ワヤン・クリ」に通底するものがある。鉄線作品においても、「手」のイメージが組み込まれた作品が目立つ。具体的には、直立したピテカントロプス(Pithecanthropus)、すなわち猿人(pithekos=猿、anthropos=人)が右「手」に持ったナイフを見つめる《ピテカントロプス》、寝そべって前屈するような姿勢の母親(長い指により「手」が大きく表されている)の乳房に吸い付く仰向けの子供を表した《母疲れ》、人間から攻撃されたオランウータンが防戦のため槍と肩とを「手」で摑んでいる《戦い》、東南アジアを侵略した日本の姿を触「手」を伸ばすタコに見立てた《魔ダコ》である。

絵画作品《RIB》(2000mm×3000mm)には、土偶などの考古遺物、サンドロ・ボッティチェリヴィーナスの誕生(La Nascita di Venere)》や上村松園《焔》など古今東西の絵画・彫刻、頭蓋骨や子宮などの身体部位などが散りばめられている。イメージの多くは胸や腰など女性の身体、とりわけ出産と育児に関わる部位である点で共通性を持つ。《ヴィーナスの誕生》については、貝(=女陰)とヴィーナスの脚のみ(=出産)を恰もネオン・サインのような明るいピンクで画面一杯に配し、やはり画面左下4分の1を占める写実的表現の頭蓋骨(=死)と対置させている。生と死とは始点と終点であり、時間(歴史)のことであろう。インターネットの世界では、過去と現在とが常に隣り合い、その境が存在しない。美術史上の傑作が織り成すアナクロニズムは歴史(時間)の雲散を象徴している。それに対し、向かい合わせにされた巨大な手(指先)は、現在からの視点と過去からの始点とを指し示すことで、歴史の復権を試みている。
ワニを騙して並ばせてその背を使って川を渡ったマメジカ「カンシル」の寓話を描いた《Kancil and Crocodiles》(2000mm×3000mm)には、ウサギを描くことによって、その物語に似た日本の昔話「因幡の白兎」との接続を試みている。画面の左下にはイメージ群を支え持つような両手が大きく表されている。物語を受け取る手であり、同時に次世代へ手渡す手でもある。あるいは、スマートフォンを通じて世界の情報を手にできる状況を描いているともとれる。その場合、世界を掌に載せた釈迦になったと錯覚している現状の揶揄との冷笑的な解釈も可能だろう。もっとも、作家がコンピューター上で出力可能なイメージを作成しつつ、敢て油彩作品として呈示していることを勘案すれば、手あるいは手業を尊重する姿勢をこそ読み取るべきだろう。デジタル・イメージは、画面上の点に与えられた色素の集合として得られると言う点で、座標で表される地図と等価である。だが、デジタル・イメージを油彩作品に作り変えることで、作成されたイメージが個々の点に還元されることに抗している。それはクローン化(≒複製)を拒絶してアイデンティティを守ろうとする人間の姿とも重ねられるだろう。