可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ジャパニーズ スタイル Japanese Style』

映画『ジャパニーズ スタイル Japanese Style』を鑑賞しての備忘録
2020年製作の日本映画。
93分。
監督は、アベラヒデノブ。
脚本は、アベラヒデノブと敦賀零。
企画は、アベラヒデノブ、吉村界人武田梨奈
撮影は、栗田東治郎。
録音は、寒川聖美。
ヘアメイクは、堀奈津子。
衣装は、小宮山芽以。
音楽は、茂野雅道

 

空港の展望デッキ。男(吉村界人)が電話を右耳に当てている。通話相手はアメリカに渡った千花(田中佐季)。チーズバーガーを食べながら話す千花。男の目から涙が溢れる。
ねえ、また私の絵、描いてよ。千花の言葉が男の脳裡に蘇る。
絵画展中止です。君が作品を提出しないから。スポンサーが降りると言っている。男に連絡が入った。以後、頻繁に電話の着信音が鳴る。
水を張ったバスタブに服を着たまま身を沈めて息を止める男。アラームが鳴っても水の中で耐え続ける。限界に達し、自ら出ると、アラームを止める。
12月31日。午前11時に羽田空港で千花と再会する約束。女性の目の辺りだけが塗り残された巨大な肖像画を抱えて、男は部屋を出る。通りに出て、タクシーを拾おうと手を挙げるが、止まる車は無い。黄色い三輪タクシーが停まっているのが目に入る。男が絵を運びたいと声をかけると、運転手(フェルナンデス直行)は快諾する。屋根に絵画を縛り付けて空港へ向かって走り出す。南米系の顔立ちをした男は、何故か君が代はと歌いながらハンドルを握ってご機嫌だ。
梨本倫(武田梨奈)の脳裡を過る、哲司(山崎潤)の写真と、彼の言葉。最近どうだ、幸せか? 今更迷惑なんですけど。目を閉じて深呼吸する。目の前には彼の住むアパートの102号室の扉。
空港の動く歩道。倫は段ボールを抱えながら母親と電話で話している。背後ではカップルが痴話喧嘩している。
輪タクシーを降りると、男は1万円札を運転手に渡す。ベリー・ハンサムボーイと運転手は喜ぶ。男は絵を抱えて急ぐ。絵を運んで視界が悪い男は、エスカレーターの手前で、床に段ボールを置いて座り込んでいた女とぶつかる。良いお年を。男は空港の展墓デッキへ。千花、遅れてごめん。千花は元気だった? だが千花は男の見た幻で、千花の姿は無かった。フェンスに絵を立て掛け、男は地面に倒れ込んで悶える。
男はロビーで先ほどぶつかった女が浮かない顔で坐っているのを目にする。彼女に妻の面影を認めた男は近くに坐って彼女の顔をスケッチする。女が立ち去ると、その後を追う。
倫は三輪タクシーの運転手に、ここじゃないどこかへ向かって欲しいと頼む。ジャパンからゲタウェーしたいんだなと運転手は二つ返事で引き受ける。そこに絵を抱えた男が駆け付ける。「重野重文」の名刺を倫に渡すと、この絵の人に似ててと、絵のモデルになって欲しいと依頼する。運転手は重野と絵を乗せて三輪タクシーを走らせる。

 

晦日。展覧会に出品する予定の女性の肖像画の目の部分だけを完成させることができなかった男(吉村界人)は、大きな絵を抱えて肖像画のモデルである千花(田中佐季)に会いに羽田空港へ向かう。千花に会えなかった男は、偶然見かけた女性(武田梨奈)に千花の面影を見出す。彼女が自分が来るのに使った三輪タクシーに乗り込むのを見た男は、「重野重文」の名刺を彼女に差し出し、今抱えている絵の目の部分のモデルになって欲しいと訴える。女はここではないどこかへ向かって欲しいと運転手(フェルナンデス直行)に依頼していたため、重野を受け入れる。女性は梨本倫と言い、今日中に元婚約者と会って関係を完全に断つことに決めていた。男は肖像画の目の部分を今日中に完成させると宣言する。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

年内に過去を清算して新年に新しいスタートを切りたい。変わることのできない自分をとにかく変えたいという欲求が、目の部分を描くことのできない肖像画に象徴されている。
目の描き入れられていない絵画は達磨でもあろう。達磨は面壁して悟りを開いたが、画家のシゲノは画面を前にして悶えるばかり。だがそれこそが衆生というものだろう。

バスタブの水に沈むシゲノは停滞する状況を映し出す(なお後のセリフに『日本沈没』が登場するため、シゲノに日本が重ねられていることも判明する)。三輪タクシー(源流に日本の人力車がある)の運転手フェルは羽田空港からまず近くの多摩川へ向かう(実はシゲノは「川」に「馳せ」る者として設定されている)。淀みから流れへ。「ゆく川の流れは絶えずして」の『方丈記』の世界を導入している。そもそも空港の展望デッキを舞台にしたのも、飛行機が離発着を繰り返すからである。「ジャパニーズ スタイル」とは、何より無常観として提示されている。
梨本倫(無し、元、零!)は過去へ逃避する。横浜の中華街は幼い頃の家族の思い出の場所である(かつ「中国」は父親が向かった先である)。彼女が立ち寄るスケートリンクには氷である。氷は水(流れ)の固着であり、過去の記憶そのものである。スケートリンクを滑走する倫は、過去の記憶に囚われていることを象徴するのである。
目を描くために、何故シゲノが青い絵の具を用いようとするのか。青い絵の具は水だからだ。青い絵の具の迸りは、水を流れさせることを意味する。

壁に貼られた付箋は、複数の時間の混在を象徴し、部屋は多元的な宇宙を包括する場となる。冒頭から、複数の場面を瞬く間に繋ぎ併せるのも、時間の交錯する世界への導入であり、繰り返し登場する立ち並ぶ鳥居はワームホールのようだ。
羽田・横浜間の狭い空間の中に果てしない時空が広がっている。その中を主人公の2人とともに(映画館の閉ざされた空間に坐る)観客は疾走する。

主演2人は企画から参加したとのことで、それぞれキャラクターそのもので恰もドキュメンタリーのように見せ、荒削りな作品を板に付けていた。
居酒屋に現れる三浦貴大も印象的。芸能一家云々の自虐的なセリフは自ら考案したものだろうか。結婚を叶えるために賽銭をいくら用意していたのか気になる。