可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『女優は泣かない』

映画『女優は泣かない』を鑑賞しての備忘録
2023年製作の日本映画。
116分。
監督・脚本・編集は、有働佳史。
撮影監督は、長野泰隆。
照明は、児玉淳。
録音は、岡正剛。
美術は、鳴滝良弘。
スタイリストは、中野雅世。
ヘアメイクは、岡本侑子。
カラリストは、関谷和久。
音響効果は、田中俊。
音楽は、吉田ゐさお

 

阿蘇くまもと空港。女優の安藤梨花(蓮佛美沙子)を出迎えるのはくまモンの看板だけ。マネージャーやスタッフの姿がない。梨花は事務所の社長・猪本則男(緋田康人)に電話する。集合場所に誰もいないんですけど。マネージャーはどうしたんですか? 明日美の方に付けた。バタバタしててな。私の現場には誰が付くんですか? 今、調整してるとこ。誰も来なかったらまた電話してくれ。社長! 猪本に電話を切られてしまう。そこへ沢山の荷物を持ったラフな装いの女性(伊藤万理華)が近付いてくる。安藤さんですよね? イダテレビの瀬野です。じゃ、行きましょう。プロデューサーとかは? 今日は私一人です。こんなご時世で、予算無いんですよ。梨花は再度社長に電話するが繋がらない。
空港の駐車場。トランクにスーツケースを自ら運び込んだ梨花が後部座席に坐る。台本読んで頂けましたか? 運転席の瀬野が尋ねる。昨日の夜事務所にお送りしたんですけど。読んでいないようでしたら、そこの紙袋に入ってますので。紙袋の中には「RESTART」の脚本が入っていた。ペラペラ捲ると梨花の台詞が書いてある。台詞は全部覚えて下さい。ドキュメンタリーですよね? ドキュメンタリーでも演出は必要なんです。どこで降ろしたらいいですかね? ホテルに泊まるんじゃないんですか? 実家に泊まるって。事務所からはOKとれてるんですけどね。実家は無理。ホテルとってもらえる? 予算無いんで。じゃあ自分で払うからホテルに連れて行って下さい。了解です。自動車は間もなく農村地帯に入る。梨花はサングラスを外し、車窓を流れる10年ぶりの地元の風景を眺める。
瀬野が向かったのはロードサイドのホテルの駐車場。ラブホじゃん! 驚く梨花。この辺で一番安かったんで。現場にも近いですし。ラブホでも特に抵抗が無いと瀬野は悪びれることもなく言う。明日現地集合で。梨花は瀬野に言い捨てて、スーツケースを引っ張って立ち去る。
車道脇を一人歩いていた梨花スマートフォンでタクシーを呼ぶ。だが自分のいる場所を説明できない。ラブホテルの近くで…。説明しかけたところで電話が切れる。梨花スマートフォンの電池が切れていた。梨花はスーツケースを引き摺って、田んぼの中の一本道を行く。
10年前。オーディション会場。長机の3人の審査員とカメラを回す男性スタッフを前に高校を中退して上京したばかりの梨花が自己紹介する。園田梨枝、18歳です。よろしくお願いします。早速だけど、泣いてみてくれる? 10秒以内ね。10、9,8…。梨花は涙を流すことができない。
半年前。鏡台の前でヘアメイクの女性に髪をセットしてもらいながら、梨花がタッパーで持参した焼き飯を食べる。ケータリングもありますけど? ADが梨花に告げる。いらない。梨花スマートフォンに萩原監督からメッセージが入る。「今日の夜空いてますか?」。仕事を終えた梨花は萩原監督を訪ねた。マンションから出てきた梨花芸能記者がマイクを向ける。すみませーん、安藤梨花さんですよね? ここって萩原監督の別宅ですよね? 監督は既婚者だってご存じですよね?
梨花が農道を歩いているとタクシーが1台通りかかった。乗りまーす! 梨花は思わず叫ぶ。タクシーは停まった。ヨッシャー! 運転手(上川周作)にスーツケースをトランクに入れてもらい、梨花が後部座席に坐る。近くのホテルか旅館、お願いします。ビジネスホテルでよかですか? 運転手がスマートフォンの充電をしているのに気が付く。その充電器貸してもらえますか? コードが短いからね。梨花が乗り出してコードを自分のスマートフォンに繋ぐと、すぐに社長に電話する。どういうことなんですか、実家に泊まれって。地元に密着した感じが出るかなって。聞いてません。まあせっかく久しぶりに地元に戻ったんだから、成長したリサだっけ? 梨枝です。梨枝を見せてやんなよ。この仕事取るの大変だったんだ。やるって決めたんだろ? 話題になればドラマの仕事も入ってくるだろうし。ま、何かあったら連絡して。
梨花との電話を終えた猪本が、会食相手のイダテレビの田所公平(浜野謙太)のテーブルに戻る。社長、大丈夫ですか? トラブってます? 今回は有り難うございました。猪本が田所にビールを注ぐ。
園田やろ? 運転手がサングラスをかけた梨花に話しかける。俺だよ、猿渡拓郎。サルタク、覚えとらん? …ああ、久しぶり。本当、久しぶりやな。里帰りか? 映画ね? ドラマね? 大きな作品じゃなくて、ドキュメンタリー。地元に戻ったこと黙っててくれない? バレて人が大勢集まると大変だもんな。私とサルタクだけの秘密ってことで。サルタクは梨花と秘密を共有できたことをひどく喜んだ。

 

半年前、女優の安藤梨花こと園田梨枝(蓮佛美沙子)は映画監督の別宅のあるマンションで写真を撮られ、不倫疑惑により活動を自粛していた。所属事務所の社長・猪本則男(緋田康人)がイダテレビの田所公平(浜野謙太)に頼み込み、復帰の足掛かりとしてドキュメンタリー番組を制作することになった。その撮影のため梨花は10年ぶりに地元・熊本の土を踏む。梨花は18歳の時、父・康夫(升毅)や姉・真希(三倉茉奈)の反対を蹴って高校を中退して女優になるべく上京したのだ。復帰作の制作費はほとんどなくスタッフはディレクターの瀬野咲(伊藤万理華)1人だけ。宿泊場所も用意されず途方に暮れた梨花は同級生・猿渡拓郎(上川周作)のタクシーを偶然拾う。帰郷して撮影している件を黙っていてくれと約束した猿渡は梨花を実家に運ぶ。留守宅に鍵を開けて上がり込んだ梨花はまずは仏壇に向かう。梨花は亡き母・枝美子(幸田尚子)とある約束を交わしていた。父の部屋の扉を見た梨花は、母の七回忌法要に出ずに上京して父に勘当されたことがありありと脳裡に浮かんだ。そこへ帰宅した弟の勇治(吉田仁人)と鉢合わせする。梨花は勇治に鉗口令を敷くと撮影に向かった。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

女優の安藤梨花は小学生の頃、女優になって賞を取り、父親にプレゼントすると母と約束した。18歳のとき、母親の七回忌法要に出ずに女優となるべく上京した梨花は父親に勘当される。10年後、梨花は映画監督との不倫疑惑で活動自粛に追い込まれた。復帰作となるドキュメンタリー番組の撮影のため、梨花はやむを得ず帰郷するが、実家には近寄りがたい。
梨花のドキュメンタリー番組を担当するのはイダテレビの瀬野咲。今回の企画を成功させれば、制作局の上長・田所にドラマ部転属を掛け合ってもらえる約束だ。既に監督デビューが決まっている同期の宇部には水をあけられている。何としても番組を成立させるべく台本通りのドキュメンタリーを制作しようとする。気が付けば自分が毛嫌いしていたヴァラエティの演出に瀬野は手を染めていた。

(以下では、結末についても言及する。)

焼き飯は父が梨花=梨枝と2人で過すときに作ってくれた料理であり、父との繋がりを梨花が大切にしていることが示される。女優として受賞して父に賞をプレゼントする約束を果さなければ、父に会わす顔がないと考えていた。
梨花はオーディションで涙を流すことが出来なかった。梨花は泣けない女優であり、演技の出来ない女優である。だが涙を流すことだけが泣くことだろうか。それは鼻孔を刺激することで涙を流すことが本物の涙と評価するのと同じくらい意味が無い。梨花は思わず涙が零れるようなつらく悲しい場面で涙を流さない。それもまた演技である。涙を流さないことが演技が出来ないことにはならないのだ。女優は泣かない。
梨花は卵とウィンナー、マヨネーズとソースで味付けした焼き飯だけは作って食べる。
梨花=梨枝の父は、梨枝が女優になることに反対する。反対されても女優になる覚悟がなければ成功は覚束ない。梨枝を勘当するのも、退路を断って女優業に娘を邁進させるためであった。姉の真希も父の梨枝への思いを理解し、父と同じように梨枝を勘当する。帰郷して父の真意を悟った梨枝もまた真希の思いも汲み取るだろう。