映画『ハウス・オブ・グッチ』を鑑賞しての備忘録
2021年製作のアメリカ映画。
159分。
監督は、リドリー・スコット(Ridley Scott)。
原作は、サラ・ゲイ・フォーデン(Sara Gay Forden)のノンフィクション『ハウス・オブ・グッチ(The House of Gucci: A Sensational Story of Murder, Madness, Glamour, and Greed)』。
原案は、ベッキー・ジョンストン(Becky Johnston)。
脚本は、ベッキー・ジョンストン(Becky Johnston)とロベルト・ベンティベーニャ(Roberto Bentivegna)。
撮影は、ダリウス・ウォルスキー(Dariusz Wolski)。
美術は、アーサー・マックス(Arthur Max)。
衣装は、ジャンティ・イェーツ(Janty Yates)。
音楽は、ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ(Harry Gregson-Williams)。
編集は、クレア・シンプソン(Claire Simpson)。
原題は、"House of Gucci"。
マウリツィオ・グッチ(Adam Driver)が喫茶店を出ると、裾バンドをして自転車に跨がる。軽快にペダルを漕いでオフィスの建物の入口に到着すると、守衛に自転車を預け、裾のバンドを外して石段を上がっていく。背後から彼の名を呼ぶ男の声がする。
1978年。ミラノ。25歳のパトリツィア・レッジャーニ(Lady Gaga)が運転する車が、トラックの並ぶ駐車場に入ってくる。車を降りたパトリツィアは、トラック運転手に冷やかされながら、敷地の隅に立つ小さな建物に向かう。父フェルナンド・レッジャーニ(Vincent Riotta)の経営する運送会社で事務をしているのだ。パトリツィアがタイプライターを打っていると、父が小切手帳のサインが自分の筆跡によく似ていると娘を褒める。パトリツィアが食事に金を掛けすぎだと父に注意すると、母さんには言わないでくれと頼まれる。パトリツィアに電話があり、今晩予定が空いているならパーティーに行こうと誘われる。
仮装パーティーで、参加者は皆変装用のマスクを身につけていた。一頻り踊ったパトリツィアがバー・カウンターに向かう。カクテルを頼むと、眼鏡をかけた男はバーテンダーではないという。それでも彼はパトリツィアのためにカクテルを作ってくれた。彼はパーティーの主催者であるビアンカの招待で来たという。堅物そうな彼だったが、パトリツィアのことをエリザベス・テイラーに擬えた。マウリツィオ・グッチと名乗った彼に俄然興味の湧いたパトリツィアは、彼に踊ろうと誘う。0時を迎えて帰ろうとする彼にパトリツィアはシンデレラなのと尋ねると、マウリツィオはカエルだと答えた。
パトリツィアは後日、偶然を装って図書館でマウリツィオに会う。彼は立法に関する分厚い書籍を抱えていた。弁護士になるための勉強をしているという。弁護士にしては人が良すぎるんじゃない? 弁護士にだっていい人はいるさ。死んだ人だけでしょ。図書館を出た2人。マウリツィオがヴェスパに跨がると、パトリツィアはデートに誘いなさいと、ウィンド・シールドに口紅で電話番号を書いた。
父の経営する運送会社で事務をしていたパトリツィア・レッジャーニ(Lady Gaga)は、仮装パーティーで、ファッションブランド「グッチ」の創業者一族のマウリツィオ・グッチ(Adam Driver)と出会う。パトリツィアの必死のアプローチが功を奏して、マウリツィオとの交際が始まる。マウリツィオは父ロドルフォ・グッチ(Jeremy Irons)にパトリツィアを紹介するが、ロドルフォは彼女が財産目当ての女だとして遊び相手に留めるよう息子に忠告する。憤慨したマウリツィオは実家と縁を切り、パトリツィアの父フェルナンド・レッジャーニ(Vincent Riotta)の経営する運送会社で働き、パトリツィアと結婚する。アルド・グッチ(Al Pacino)は息子のパオロ・グッチ(Jared Leto)に後継者としての器量が備わっていないことから、「グッチ」の後継者として甥のマウリツィオに期待を寄せる。「グッチ」に嫁いだと認識しているパトリツィアにとって、アルドのマウリツィオへの接近は渡りに船であった。
パトリツィアがマウリツィオに接近し、グッチの創業者一族に食い込み、力を握っていく過程が描かれながら、彼女の動機あるいは内面が描かれない。宿主に寄生して成長するようなパトリツィアは、資本主義の具現化したものとして作中で機能する。パトリツィアに限らず、本作の登場人物は設定された性格に基づいて動き、相互に作用し合うのみである。その結果、鑑賞者は「グッチ」の創業一族の崩壊、あるいはグッチという組織の変容にのみ注意を向けることができる仕組みになっている。あくまでも「ハウス・オブ・グッチ」を描く作品なのだ。あるいは、非小説的作品とも言えよう。
皮を手に入れるための牧場があるイタリアの村を大切にしていた叔父アルドに対して、甥のマウリツィオがブランドの再生のためにアメリカ出身のトム・フォード(Reeve Carney)をクリエイティヴ・ディレクターに迎え入れたことは、創業者一族による家族経営の終焉を象徴する出来事となった。
グスタフ・クリムトの《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ》が、マウリツィオの実家の壁にかかっている。パトリツィアはそれをパブロ・ピカソの作品だと発言することで、彼女に芸術の素養がないことが示される。芸術は値段ではないとの考えをロドルフォは示すが、それでは何故にクリムトの絵を選んだのであろうか。ロドルフォの愛した妻アレッサンドラがドイツ系だったためもあろうが、金銭的評価が芸術の価値判断に作用していることは否定しがたいように思われる。
パオロ・グッチを演じたJared Letoが原形を留めていない。