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芸術鑑賞の備忘録

映画『クライ・マッチョ』

映画『クライ・マッチョ』を鑑賞しての備忘録
2021年製作のアメリカ映画。
104分。
監督は、クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)。
原作は、N・リチャード・ナッシュ(N. Richard Nash)の小説『クライ・マッチョ(Cry Macho)』。
脚本は、ニック・シェンクとN・リチャード・ナッシュ(N. Richard Nash)。
撮影は、ベン・デイビス(Ben Davis)。
美術は、ロン・リース(Ronald R. Reiss)。
衣装は、デボラ・ホッパー(Deborah Hopper)。
音楽は、マーク・マンシーナ(Mark Mancina)。
編集は、ジョエル・コックス(Joel Cox)とデイヴィッド・コックス(David Cox)。
原題は、"Cry Macho"。

 

1979年。テキサス州。秋の弱々しい日射しの中、1台のピックアップ・トラックが牧場を通り抜ける。馬の飾りの付いた建物の前で車が停まる。車を降りたマイク・マイロ(Clint Eastwood)が建物に入って行く。事務所にはハワード・ポーク(Dwight Yoakam)が、見知らぬ男とともにいた。マイク、10時半だ。遅いぞ。何でだ? 競馬で勝ててた頃はな、お前を失っちまうってビクビクしたもんさ。5度もオールアメリカン・フューチュリティで勝って、そのたんびマイクを抱えとくなんて無理だ、引き抜かれちまうってな。だけどそんなの昔話だろ。ああ、事故の前だ。ドラッグや酒に溺れる前の話だろ。厩舎を見てみろ、二流の馬ばかりだ。おまけにうちの調教師もな。もうお前がいなくても困らねえ。お前がいたところで損しかしねえからな。新しい血に入れ替える潮時だ。ああ、分かるよ。じゃあお前は何に遅れたのか分かってるのか? 何に? ロッカーを片付けるのにだよ。言いたいことはあるか? いや、ハワード、ちびで弱っちい腑抜けだとずっと思ってたとでも言うところだったが、言ってところで、な。
1年後。マイクの家。棚には家族の写真が飾られ、壁には乗馬で華々しい活躍をしたマイクを紹介した新聞記事がいくつか掛かっている。一番端の記事は、マイクが落馬して大怪我を負ったことを伝えるものだ。ハワードがそれらを眺め佇んでいたところへ、マイクが戻ってきた。鍵を掛けないのか? 盗むような物なんて無いからな。最近どうだ? 暇つぶしに来たのか、それとも何か用なのか? 俺の息子を覚えてるか? ラファエルだろ。ハワードは写真を取り出してマイクに見せる。たしか5、6歳のときのだ。今は13だ。メキシコから連れ戻したい。ここで育てたいんだ。真っ当なことをしたいんだよ。息子に俺と暮らしてもらおうと思ってる。母親の考えは? ああ、レータか、あいつは気違いだよ。まあ、パーティーじゃ楽しいし、あいつが息子を産んでくれたんだが、息子は困ってんだよ。ガキは困ってんだ。あいつのところから連れ戻さないと。なぜ警察に相談しない? そりゃ無理な相談だ。法的な問題があってな。メキシコに入れないんだ。息子は虐待されてんだよ。なぜ分かるんだ? そりゃ直に聞いた訳じゃないさ。でも分かるんだよ。あいつの周りにいる連中からな。あいつはだらしない女さ。ガキを虐待させてんだ。呑み込めないな、俺に何を望んでるんだ? メキシコに行って誘拐してこいって? 母親のところから連れ出せと? お前のガキなら誘拐にならない。勿論俺の子じゃ無いさ。そもそも俺に付いてこないさ。付いてくさ。お前の言うことを聞くよ、マイク。お前さんを見た途端、息子は本物のカウボーイだって分かるからな。牧場を自由に使わせるって伝えてくれよ。自分の馬が持てるって言ってくれ。少年なら誰もが望むものさ。何十人もの雇い人がやってくれるだろう、俺の出る幕じゃない。マイク、分かってるよな、お前は俺に借りがある。お前のためにこの場所の支払いをしてやった。なくさないよう助けてやった。奥さんと息子さんを失った後にな。止めとけってどんだけ言われたか。お前を自由にしてやろうと言ってやったんだ、俺にはマイクに借りがあるってな。お前さんには俺に借りがあると思うがね、お前さんが約束したんだ。大したもんだろ、マイク。ああ、俺はお前に借りがあるよ。よし、この封筒には現金が入ってる。移動と諸経費には十二分だ。あいつの住所と、メキシコシティの地図、それにラファエルの写真だ。今じゃ13だから背は伸びてるだろうがな。

 

マイク・マイロ(Clint Eastwood)は、テキサス州にあるハワード・ポーク(Dwight Yoakam)の牧場でカウボーイをしていた。競馬やロデオで数々の優れた成績を残したが、落馬事故で背中を傷めた後は調教師として引き続きハワードの下で働いた。ハワードに解雇されて1年ほど経ったある日、マイクの家をハワードが訪れた。メキシコシティの妻レータ(Fernanda Urrejola)の下から息子のラファエル(Eduardo Minett)を連れ戻すようマイクに依頼するためだった。マイクは妻子を交通事故で失った際、ドラッグと酒に溺れ生活を破綻させたが、ハワードはマイクを見捨てずに救いの手を差し伸べた。マイクはその恩に報いるべく、メキシコシティを目指す。しかし、レータの暮らす豪邸にラファエルの姿は無かった。

「不知、生れ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る。又不知、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる」という『方丈記』の冒頭を思わせる、Clint Eastwood版の『方丈記』といった趣の作品。マイクがメキシコの道路脇でも礼拝堂でも何処でも眠ることができることや、マイクとラーフォ(ラファエル)が自動車を次々と乗り換えていくことは、現世が「仮の宿り」に過ぎず、人も住処も「よどみに浮ぶうたかた」に過ぎないことを端的に表わすものである。
「男らしさ(macho)」の過剰評価について、マルタ(Natalia Traven)に象徴される女性のしなやかな強さを対置することで、疑問を呈している。メキシコの牧場で、マイクがラーフォを指導して暴れ馬を調教させるのは、「男らしさ(macho)」を激しく求めるラーフォの心を撓めさせるためだ。それが成功したことは、ラーフォが常に伴っていた闘鶏の「マッチョ」をマイクに委ねることから明白である。
マイクは妻子を交通事故で失って薬物や酒に溺れた過去がある。ハワードの妻レータ(Fernanda Urrejola)との出会いは、マイクに対する依存症「再発」の誘惑を象徴するものとなっている。彼女の誘惑を受け付けないという形で、マイクの強さが示されている。
今、1980年を描くことで、アメリカとメキシコとが地続きであるという、当然でありながら、ある意味当然ではなくなってしまった現実についても訴えているだろう。