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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 李燦辰個展『彗星の魔術師』

展覧会『李燦辰個展「彗星の魔術師」』を鑑賞しての備忘録
GALLERY b.TOKYOにて、2023年1月23日~28日。

李燦辰の絵画展。

冒頭に掲げられた《Sneak》(756mm×560mm)には、滝壺の近くに佇む白い丸々とした鳥のような生物を画面上側に、草地に剣と籠を背負った赤いキャラクターが後ろを振り返りながら焚き火を後にする姿を画面下側に描いている。画面右下に表示された4人のキャラクターのアイコンは、複数のプレイヤーの参加するゲーム画面のように見せる。
《Electric Sheep》(243mm×415mm)の明るく淡い灰色と桃色とを基調とした画面は、僅かに草が生え、水溜まり(水辺)があり、遠くに崖や海岸線(あるいは河)も見えるが、荒寥とした印象である。その中央を画面左手前に向かって羊が歩いている。背後から陽を受けて藍色の蔭になり、頭部だけ白い。画面左手前には同種の羊の尻と尾とが覗く。画題の"Electric Sheep"は、フィリップ・K・ディック(Philip Kindred Dick)の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?(Do Androids Dream of Electric Sheep?)』に由来するものだろう。
Cthulhu flame》(840mm×1167mm)には、人や馬や獣などの姿のある赤い炎が画面を覆い尽くしている。炎によって全てが渾然と一体となっている。画題の"Cthulhu"から、H・P・ラヴクラフト(H. P. Lovecraft)の小説に描かれる「クトゥルフ神話(Cthulhu Mythos)」を下敷きにしているようだ。

《Dissociate》(160mm×457mm)では、青を中心とした絵の具を厚く塗った上に黒や白い絵の具を重ね、削り出すことで、白い画面のあちらこちらに不定形の水色が画面から盛り上がっている。「解離する(dissociate)」という画題から、意識や記憶が統御されず、分散された状態を表現するのだろう。
《Consciousness Melting Pot》(1167mm×728mm)の画面上部には、紫の地に七支刀のように軸から枝分かれた先が上を向く形が正三角形の中心に配され、その周囲には生命体らしきものが浮かんでいる。画面下部にはピンクの地に樹木、カタツムリのような殻を持つ生物、複数のプラナリアのような生きもが描かれている。画面下部は集合的な無意識を、境界は閾を、画面の上部の正三角形は意識の統御のイメージを形作っている。

《From the Void》(1620mm×1120mm)には、ピンクと青の流体が画面を覆う中、右下の枠の中に、大きな翼を持った生き物が、人の頭部を持つ四つ脚の動物の背に乗って、大木の前を飛ぶように通過する場面が表わされている。《Squirrel rider》(530mm×410mm)において、ネコ科動物の骨格標本の背に跨がる赤いリスは、画中画として描かれている。画中画のように複数の画面を表わすのは、ディスプレイの中に開かれた複数のウィンドウであって、複数の世界が並行して存在することを示唆する。《Consciousness Melting Pot》や《Onlookers》(1000mm×725mm)における画面の上下の分割や、《Sneak》のアイコン表示も同趣旨であろう。そして、それら複数の世界(自己と他者のみならず、《Consciousness Melting Pot》が描く意識と無意識)は相互に接続し、影響し合う。その相互接続や影響関係を一歩進めて、《Cthulhu flame》では、種々の生物を生命として一体として捉える発想に連なる。《Electric Sheep》に描かれる「電気羊」を羊と区別できないことから、生命と非生命との境界も消え去っている。

《No fouling》(320mm×410mm)には、犬の糞の処分を求める標識(No fouking)とともに、アンドロイド(?)がごみ箱に袋を捨てる場面が描かれるが、「電気犬」なら糞で道を汚すことはない。付着物(汚損)の存在しない(no fouling)完全に清潔なユートピアで廃棄されるのは一体何か。アンドロイドの背後で燃えさかる炎(fire)は火葬のための火(pyre)ではないだろうか。アンドロイドによって焼却されたのはfoulingする人間であり、それによってごみ箱に投じられたのは遺灰である。